日本の高齢者の割合は、2位のイタリア(23・3%)3位のポルトガル(22・8%)を大きく引き離し、世界最高である。さらに第2次ベビーブーム世代(1971年〜74年生まれ)が高齢者となる2040年には、その数値は実に35%を超えるとされている。

 となれば、従来の就業のスタイルも大きく変わらざるを得ない。現在、国内での高齢者の就業率は約25%で、こちらも上昇の一途を辿るのは自明の理。還暦はおろか古希が近づいても楽隠居とはいかず、これまで通り身体を動かし続けるのであれば、「老化」はまさに天敵とも言えよう。

 そんな中、熊本大学は6月下旬、同大の発生医学研究所が、体内の細胞の老化をブロックする「NSD2(エヌエスディーツー)」という酵素と、その働きのメカニズムを初めて解明したと発表した。この研究成果は、すでに科学誌「Aging Cell」電子版にも掲載されている。

 研究グループを率いる中尾光善教授が言う。

「『老化』とは、おもに成長期の後に訪れる、身体の生理機能の低下を意味します。似た言葉に『加齢』がありますが、こちらはヒトが生まれてから死ぬまでの時間の経過のことで、誰もが一定のスピードで進行します。これに対し老化のスピードは決して一定ではなく、その人に備わった遺伝子と外部環境によって変化していく。つまり加齢という時間軸の中で、遺伝と環境とが互いに作用しながら老化が進んでいくと言えます」

 その老化にも、「個体老化」と、およそ60年前に米国の研究者によって発見された「細胞老化」の二つがあるといい、

「個体老化は一般にイメージされる老化とほぼイコールで、全身が衰え、運動や知的能力にも支障をきたすような状態のことです。対して細胞老化とは、細胞の不可逆的な増殖停止を指します。細胞は分裂を繰り返して増殖できますが、ある一定の回数を超えるとそれがストップするのです」

 細胞の老化は、放射線・紫外線や薬剤などの物理的・化学的ストレスによってDNAが損傷を受けることで促進されるといい、こうした細胞は老化細胞と呼ばれ、実際に個体老化で増えてくる。

「老化細胞は増殖機能を失いながらも、炎症性たんぱく質を分泌する特徴を持っていることが、近年の研究で明らかになりました。この分泌物は、血管を回って全身に行き渡り、あちこちで慢性炎症を引き起こします。たとえば皮膚のシワや目の緑内障につながり、また腎臓の働きが低下する。その他、認知機能の低下や筋肉量の減少といった加齢に伴う症状を促すことも、判明しています」

 実際にマウスを使った実験では、老化細胞を除去すると老化が遅くなるとの研究結果が報告されているのだが、その一方、

「実は、老化細胞にはプラスの作用もあるのです。その一つが、がん化を防ぐという役割です。腫瘍には良性腫瘍と悪性腫瘍の二つがあり、良性の場合、細胞が盛んに増殖して腫瘍を作っても他の部位に転移したり浸潤したりすることはありません。その良性腫瘍の中に、老化細胞が蓄積していることが発見されたのは15年前でした。がんの遺伝子が活性化してがん細胞になり始めると、その細胞は老化して増殖をストップさせていたのです」

 仮にこの老化細胞を取り除いてしまえば、がんリスクを高めることになる。細胞の老化とは、がん細胞が悪性化するのを阻止する仕組みでもあるわけだ。

「老化した細胞はしばらく死なずに残るので、身体の組織を維持していく上で重要です。従って“細胞老化を全部止めてしまえば身体の老化も止まって寿命も延びる”といった、単純な話ではありません」

 それでも、この細胞老化を上手に制御することで、全身の老化の進度を調節できる可能性があるという。

「私たちは『エピジェネティクス』と呼ばれる学問の観点からこのメカニズムを研究しています。ヒトの設計図、すなわちゲノムには約2万5千個の遺伝子があると言われています。これらの遺伝子の情報は、メッセンジャーRNAに転写された後、さまざまなたんぱく質として発現するのですが、同じゲノムを使って作られているにもかかわらず、私たちの細胞は神経や筋肉、血液など200種類もの異なったものに分化していきます。それは、ゲノムは同じでも酵素などの働きを借りてそれぞれの遺伝子のONとOFFを切り替えることで、発現するパターンを変えられるからなのです」

 そうしたONとOFFの印がついたゲノムを「エピゲノム」といい、

「例えるならゲノムが辞書、遺伝子が単語で、エピゲノムが文法といったところでしょうか。辞書にある単語をバラバラに並べても意味は通じない。文法に従って単語を使って初めて、意味のある文章になるわけです」

ONとOFFを切り替え

 中尾教授の研究グループは「線維芽細胞」と呼ばれる、ヒトのすべての組織・器官に存在する細胞種を調べ、老化に関わる因子をスクリーニング(ふるい分け)し、老化のプログラム解明を進めてきた。

「実際に老化に関わるものとして、これまで20種類ほどの因子の同定(突き止め)に成功しています。今回のNSD2酵素の解明の前に、2017年には『SETD8(セットディーエイト)』という酵素も、細胞老化を防ぐ酵素として発表しています」

 とのことで、

「これらはいずれも、ヒトの遺伝子に働きかけてそのONとOFFを切り替える『エピゲノム酵素』です。SETD8は、たんぱく質の合成を抑制する働きがあり、結果、老化細胞においてはその量が顕著に減少し、炎症性たんぱく質の合成・分泌が起こってしまいます。一方のNSD2は、細胞増殖に関わる遺伝子に働きかけ、増殖を調整する性質を有しています。この酵素の量が減少すると増殖を停止して老化する。つまり老化を防ぐ作用があるのです」

 NSD2は従来、遺伝子の働きを調節することが報告されていたものの、老化との関係は分かっていなかった。

「今回、線維芽細胞でNSD2酵素の働きを抑える実験を行ったところ、細胞の増殖が止まって一気に老化が進むことが分かりました。この二つの酵素の仕組みを解明したことで、細胞老化のメカニズムが明らかになってきました」

 もっとも、

「遺伝子のONとOFFを切り替えるエピゲノム酵素は、その量や働きを人為的に増減できるものではありません。また、働きが抑えられると顕著な老化が見られるものの、増えたからといって老化が防げるわけではない。生命現象によくある“逆は必ずしも真ならず”なのです」

 ただし、このエピゲノム酵素全体を活性化させる方法があるという。それは、

「細胞内のミトコンドリアを活発に働かせることです。ミトコンドリアとはエネルギー産生に関わる真核生物の細胞内小器官の一つで、いわば細胞内のエネルギー工場。ここでは酸素や栄養などを使ってさまざまなエネルギーが作り出されていますが、その際に生じる代謝物は、エピゲノム酵素の働きに欠かせません。つまり、ミトコンドリアが元気になるような生活習慣を続けていれば、おのずとNSD2やSETD8のようなエピゲノム酵素の働きもよくなり、老化を防ぐことができるわけです」

 では“細胞内工場”を稼働させるため、何をすればいいのか。

「それには『運動』『空腹』『適度な寒さ』の三つの生活習慣が効果的です」

 と、中尾教授は明かすのだ。

「運動はエネルギーを消費するので、ミトコンドリアは盛んにエネルギーを産出しようとします。また空腹状態になると、同じく蓄積した脂肪を燃やしてエネルギーを作り出そうとする。そして寒さに晒されると、体温を維持するために、ミトコンドリアはエネルギーの代わりに熱を作ろうとするのです。ちゃんと体を動かし、3食以外に間食は避け、お腹がすいたところで食べる。それから室内だけで過ごさず、思い切ってある程度の寒さに体を晒してみることです。寒い日の軽い運動など、相乗的効果があるかもしれません」

「インターバル速歩」が

 老化のカギを握るミトコンドリアの役割については、日本ミトコンドリア学会名誉理事長の太田成男・日本医科大学名誉教授も、

「電気やガソリンがなければコンピュータや自動車が動かないのと同じで、ミトコンドリアで生成されるエネルギーがなければ、私たち人間も活動ができません」

 そう指摘する通りで、

「ミトコンドリアは、エネルギー不足の状態を作ってあげれば活発に活動します。エネルギーはアデノシン三リン酸(ATP)という物質であり、体内のエネルギーが消費されてこのATPがアデノシン一リン酸(AMP)という物質に変わると、エネルギー不足の状態になる。運動したり空腹状態にしたり、寒さに身を置いてこの状態にすることで『PGC−1α』という、ミトコンドリアを活性化させる“司令塔”であるたんぱく質が動き出すのです」

 その上で、あらためて先述の「運動」「空腹」「寒さ」の重要性を説くのだ。

「運動して心臓の鼓動が早まったり息が切れたりするのは、酸素を多く取り込んでエネルギーを作ろうとしているからです。かつては『1日に1万歩歩きなさい』などと言われましたが、現在はそれだけでは何の意味もないことが分かっています。実は、速く歩いてゆっくり歩く、を繰り返す『インターバル速歩』が効果的なのです」

 緩急をつけることで、無理なくエネルギーが枯渇した状態を作ることができるというのだ。続けて、

「カロリーを制限し、空腹の状態を作り出すことです。摂取カロリー3割減を目安に、腹八分目くらいの食事を心がけてください。そして寒さですが、10℃くらいの水温で寒中水泳をしたり、寒い場所で乾布摩擦をしたりするのが効果的です。また、水素を摂取するとミトコンドリアは活性化しますし、栄養ドリンクなどに含まれているタウリンもミトコンドリアを稼動させる成分の一つとして働くので、運動後に摂取するとよいでしょう。暖かい部屋で“食べては寝る”の生活をしていてはいけません。これから寒くなりますが、コロナ禍の巣ごもり生活には気をつけたいところです」

 国内の百寿者は先ごろ、初めて8万人を超えた。1万人を超えたのが1998年だというから、医学の進歩を如実に物語る数字ではある。それでも中尾教授は、

「“不老不死”は人類の見果てぬ夢ですが、実現はおそらく難しいでしょう。これまで述べたように、老化を止めると今度はがん化が起こりやすくなる。私たちは老化そのものを止めるのではなく、また若返りを求めるのでもなく、健康寿命を延ばすような社会を目指しています。細胞老化のメカニズムを解き明かし、それを上手にコントロールすることで、加齢性疾患の制御や予防が可能になるのではと考えています」

 齢を重ねながらも、老化を遠ざける余地は大いにあるというのだ。

「週刊新潮」2020年10月8日号 掲載