夫婦は必ずしも「心と心がつながっている」から婚姻を継続しているわけではない。中には「離婚すると経済的に損をするから」「世間体が悪いから」など、さまざまな理由で結婚を続けたほうがいいと利害関係が一致している場合もある。
「うちの場合は、結婚生活を続ける意味がよくわからなくなっているんです。愛情がないのはお互いに認めている。それでも妻の玲佳は『仮面でいいから夫婦でいて』と強要する。妻の実家のほうが資産があるはずだし、僕がいなくてもまったく困らない」
井上崇彰さん(49歳・仮名=以下同)は落ち着いた様子でそう話した。落ち着いているというより、もう諦めているのかもと彼はうっすら笑う。
「誰が見ても離婚したほうがいい状態なのに、絶対にしないと言い張る。かといって冷たいわけでもない」
単純に考えれば、妻がまだ夫に気持ちを残しているからではないかと言うと、彼はクスッと笑った。妻には愛人がいる、と。若い男をとっかえひっかえだ、と。
「調停を起こして、そこで合意できなければ裁判にして、そうやって離婚することも可能だとは思います。だけどそこまでして何になる? 離婚したという事実が残るだけ。僕らはずっと前から家庭内別居状態なんです。だから今さら離婚しても、家をどうするとか、そういうめんどうなことが新たに生まれるだけ。だから離婚するのがめんどうなんですよ」
とはいえ、崇彰さんは離婚を望んでいるようにみえる。
「実はよそに恋人がいるので……」
彼の声が少し低くなった。
夢を諦めた後の出会い
崇彰さんが1つ年下の玲佳さんと知り合ったのは、26歳のときだった。大学を出て中堅企業に就職し、「そこそこの人生」を歩んでいた。
「本当は夢がありました。今だから言えるけど、ミュージシャンになりたかった。でも学生時代、バンドを組んで活動したけどまったくプロになれる見通しはたたなかった。すでにバブルも崩壊していて不況のまっただ中でしたしね。それでなくても才能はなかったんだと思う。バンドも解散して全員、地道な仕事へと散らばっていきました。自分に絶望しながら」
浪人や留年をしていたので、玲佳さんと出会ったころは新入社員で、「仕事に没頭してはいたが、心に穴があいたような状態」だったと彼は言う。生活のために仕事をしなければいけなかったし、自分が会社員となる道を選んだのだから、そこで凡庸ながら能力を磨き、発揮しようとけなげに考えていたそうだ。
「玲佳は僕の妹の友人でした。僕が音楽の道を諦めたことに同情した妹が、玲佳とともに食事会を開いてくれたんです。ありがたかったけど、新人だから仕事を覚えなければいけないと一度は辞退した。そうしたら玲佳が自分から連絡をくれて……。おいしい火鍋の店を見つけたけど女ふたりじゃ食べきれないかもしれない、助っ人に来てって。会ったこともないのに電話でそんなふうに言うなんて、おもしろい人だと思って」
初夏に火鍋というのも興味深かった。当日は熱くて辛い火鍋を3人で思う存分食べた。玲佳さんの健啖家ぶりに驚いたと彼は言う。
「あっけらかんとしていて、話し上手で聞き上手。結局、妹は途中で気をきかせたのか帰ってしまい、玲佳とふたりで話し続けました。彼女、けっこういいところのお嬢さんだと聞いていたんですが、『あ、でも私は養女だから』とあっさり言うんですよ。思わず聞き返してしまいました」
養女として育てられて
玲佳さんの両親は彼女が幼い頃に離婚、母が再婚したのが現在の父なのだが、再婚して3年もたたないうちに母が他界。彼女が10歳のころに養父が再婚したためにまったく血縁関係のない家庭で育ったというのだ。
「親が離婚再婚を繰り返せば、そういうこともあり得ますよね。彼女がラッキーだったのは、養父が再婚した相手との間に子どもができなかったこと。そして養親がふたりとも、彼女の才能を認めたことだと思います」
玲佳さんは利発な子だった。養父はいちはやくそれを見抜き、彼女を私立の中高一貫教育の女子校に入れた。そして優秀な成績で有名大学に入学した。
「彼女は笑いながら言っていました。『養母はもっと女の子らしくしてほしかったみたい。私は大学生になってからは肉体労働のアルバイトばかりしていたの。引っ越しとか工事現場とか。だから養親はよく嘆いてた。でも無理矢理枠にはめる人たちではなかったから助かった』と」
そして結婚
当時、彼女は養父の事業とは関係のない会社に勤めていた。養父の仕事を継ぐ気はなかったそうだ。たとえ血のつながった親子であっても、親の会社をそのまま継ぐなんて意味がないと彼女は言った。適材かどうかわからないのだから。
「私は自分の力で何かをやっていくと彼女は決めたそうです。大学を卒業して留学、血のにじむような苦労をして勉強したとか。当時の写真を見せてもらったら、あまりに痩せていてびっくりしました。同時に、鉄の意志をもった玲佳に惹かれたんです」
自分が夢を諦めて卑屈になっているのが恥ずかしかった。だが、玲佳さんは彼のそういう人間臭いところが好きだと言ってくれた。自分には繊細な情感が足りない、と。お互いに自分の足りないところに惹かれたのだろう。
ふたりはときどき会うようになった。急な仕事が入ってデートをキャンセルしても、彼女は文句ひとつ言わなかった。「嘘じゃなければいい」といつも言っていた。
そして出会ってから2年、ふたりは結婚した。
「結婚も簡単でした。ふたりでそれぞれの親に挨拶に行っただけ。うちは普通のサラリーマン家庭だし、妹からある程度話もいっていたようで、両親は彼女を大歓迎。母親が手抜き料理をたくさん作ってもてなしていました。『これは冷凍なの』『これはそこの商店街のお惣菜屋さんで買ってきた』って、いちいちネタばらしするから、妹も僕もかっこ悪いからやめろと言って。玲佳は笑い転げていました。『あなたは素敵な家庭に育ったのね』と言われた。ごく普通のサラリーマンの家庭だよと言ったら、『私はやっぱりかっこつけすぎて生きてると感じたわ』って」
一方、妻の家庭でおぼえた“違和感”
彼女の家でも養親は友好的だった。だが、玲佳さんも養親も確かにどこか遠慮しているような雰囲気があった。理屈でお互いを尊重しあい、温かい雰囲気を作り出そうとしていると、崇彰さんは感じたという。
「血がつながっているいないは関係ないのかもしれない。彼女の場合は、やはり養親ふたりともに対して遠慮があるんでしょう。自分の母親が生きていれば、それほど気を遣う必要はなかったかもしれないけど。それでもまっすぐ育った彼女に僕は敬意を抱いていましたよ。養親もいい人たちだった」
ふたりだけで早く家庭を作ろうと彼は彼女に言った。玲佳さんは「絶対に壊さない」と彼に全身を預けながら言った。
甘いといってもいい新婚生活だった。仕事以外はずっと一緒にいた。週末はふたりでテニスをしたり遊園地に行ったりもした。彼女はほとんど遊園地に行ったことがなかったという。
「子どもみたいに無邪気に笑っていましたね。楽しかったなあ、あのころは」
崇彰さんは遠くを見るようなまなざしになった。子どもがほしいと思ったが、玲佳さんはなかなか乗り気にはなれなかったようだ。自分の人生を考えると当然だったのかもしれない。
30代になると、ふたりに大きな転機が訪れた。
後編【「あなたの妻は男性秘書とデキています」 ある日、突然届いた怪文書に49歳夫が思ったこと】へつづく
亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。
デイリー新潮編集部