農林水産省の元事務次官・熊沢英昭容疑者が、「他人に危害を加えてはいけない」との理由から、ひきこもりの長男を殺害したのは今年6月。当然ながら、事件は反響を呼んだが、元事務次官に対しての同情論も上がった。例えば、元大阪市長の橋下徹氏は、ツイッターに《僕が熊沢氏と同じ立場だったら、同じ選択をしたかもしれない。本当に熊沢氏の息子に他人様の子供を殺める危険性があったのであれば、刑に服するのは当然としても、僕は熊沢氏を責められない》と投稿した。

「橋本さんが述べているように、この事件に対する世間の反応が、“元事務次官、あっぱれ”みたいな論調になっていることに、違和感を覚えました。すごく怖いなと」

 そう語るのは、精神科医の片田珠美氏である。この7月に、『子どもを攻撃せずにはいられない親』(PHP新書)を出版した。熊沢容疑者の長男について、その本でこう書いている。

《長男の家庭内暴力が始まったのは中学二年のときで、当時長男は東大への進学実績が高い都内の中高一貫校に通学していた。当時のことを長男自身が二〇一七年にツイッターに書き込んでいる。〈中2の時、初めて愚母を殴り倒した時の快感は今でも覚えている〉(中略)〈私が勉強を頑張ったのは愚母に玩具を崩されたくなかったからだ〉〈愚母はエルガイムMK−IIを壊した大罪人だ。万死に値する。いいか?1万回死んでようやく貴様の罪は償われるのだ。自分の犯した罪の大きさを思い知れ。貴様の葬式では遺影に灰を投げつけてやる〉これらのツイートから透けて見えるのは、母親に対する強い怒りと復讐願望だ。(中略)成人してからも家庭内暴力を続けた長男を擁護するわけではないが、子供の怒りと復讐願望をかき立てるようなことを親がやっていた可能性は否定しがたい》

「3年前、名古屋で、父親が受験勉強で言うことを聞かない小6の息子を殺害した事件がありましたが、このケースにも“教育虐待”があったと思われます。元次官の事件に話を戻せば、そもそも長男の家庭内暴力が始まった背景には、教育虐待があったからです。子どもがひきこもりになった時、地域支援センンターなどの相談窓口があります。第三者の力を借りなければ、ひきこもりを解決することはできません。元事務次官がそういう選択をしなかったのは、世間体を気にしすぎたからかもしれません」

 親がなぜ子どもを攻撃するのか。

「その背景にあるのは、“子どもは自分をよく見せるための付属物”という認識と、“子どもを自分の思い通りにしたいという支配欲求”、さらに、“子どもは自分のものという所有意識”があるからです。子どもにいい大学に行かせて、いい企業に就職させる、これは子どもの幸福のためだと親は思っていますが、実際は、親自身を良く見せることができ、自慢になるという打算が潜んでいるのです」

 なかでも、最も厄介なのが、“子どもは自分のものという所有意識”だという。元事務次官が長男を殺したのも、所有意識があったからだと見る。今年1月、千葉県野田市で小学4年生の栗原心愛さんが浴室で父親から虐待されて殺された事件も、“所有意識”がもたらした典型的な例だったと分析する。

「心愛さんを殺害した父親の勇一郎被告は、子どもへの虐待は、“自分の子どもをどうしつけようが、私の勝手だ”と言っています。子どもを自分の所有物としてみなしているからこそ、自分の好きなように扱ってもいいと思い込むわけです。だから、虐待をしても、自分が悪いとは思っていないのです」

 さらに、子どもへの支配欲求が強い親は、ルールを作って、子どもを従わせようとし、徹底的に管理する。それが子どもに与える影響は計り知れない。2008年に起こった秋葉原無差別殺傷事件を引き起こした加藤智大死刑囚の母親は、その顕著な例だと指摘する。

「加藤死刑囚は、子どもの頃、親から徹底的に管理されていました。友達の家に遊びに行くことを禁止。男女交際も許さない。テレビを自由に見るのは禁止され、許された番組は『ドラえもん』と『まんが日本昔ばなし』だけだったそうです。完璧主義の母親は、原稿用紙で一文字でも間違えたり、汚い字があると、書き直しさせたといいます。また、母親の作文指導には“10秒ルール”があり、“この熟語を使った意図は?”などと質問し、母親が10秒のカウントダウンをする。ゼロになるまで答えられないとビンタしたそうです。母親の子どもへの支配欲求が、加藤死刑囚の精神面に強い影響を与えたことは想像に難くありません」

 親が、兄弟姉妹で“格差”をつけることで、子どもの心を傷つけ、後々まで禍根を残すこともあるという。その典型となったのが、昨年6月、走行中の東海道新幹線の車内で男女3人を刃物で襲い、男性1人が死亡した事件である。

「逮捕された小島一朗被告は、中2の新学期に母親が姉には新品の水筒を与えたのに、自分には貰い物が与えられたことに腹を立て、その日の夜中に両親の寝室で包丁と金槌を投げつけています。水筒をめぐる不満は氷山の一角で、日頃からこうした格差を感じていたのではないでしょうか」

親の“攻撃”から身を守るには、“親との対決”しかない

 片田氏は新書の中で、親から“支配欲求”を受けた体験を告白している。

《私は、文学部に進んで新聞記者か作家になることを夢見ていたのだが、両親は決して許さなかった。「医者になれ」の一点張りで、「文学部なんか一文にもならない」と猛反発された。(中略)両親が私を医者にすることに固執したのは、二つの理由によると私は考えている。一つは、経済的な理由である。田舎でお金持ちというと医者くらいしかいないので、医者になって開業してバンバン稼ぎたいと思ったのだろう。もう一つの理由として考えられるのは、父の兄(私にとっては伯父)を見返したいという願望だ》

「医学部に行かないと学費を出さないというので、嫌々医学部に進み、医者になりましたが、つらいこと、苦しいことがありました。本当に悩んだことも。文学部に進んで、好きな道に進むという子どもの希望が無視されたのに、今でも母親は、医者にさせたことを悪いこととは思ってもいません。親は、子どもを支配したことを、良かれと思い込んでいるのですね」

 こういう親には、どう向き合えばいいのか。

「親に逆らわず、親と対決すべき時に対決しないと、後から大きなツケが回ってきます。この対決は親のためではなく、自分のために行うものだからです。親と対決しなければ、一生心の最深部に横たわっている“恐れ“に悩まされるかもしれないし、傷ついた自尊心を抱えたまま、無力感にさいなまれるかもしれません。子どもの時に親と対決できなくても、ある時期になったら対決すべきです」

週刊新潮WEB取材班

2019年7月21日 掲載