罪を犯す愚かさと、被害者の無念や遺族の哀しみ。それらを誰よりも知っている筈(はず)の男が、人を殺めた。大学では准教授として、犯罪心理学を教えていた浅野正容疑者(51)。妻を刺殺するに至るほどの心の闇とは。

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 3月16日夕刻、浅野容疑者は自転車に乗っていた妻の法代さん(53)を押し倒し、馬乗りになって何度も刃物を振り下ろした。左胸の傷は心臓付近にまで達し、失血死に至らしめたのだ。

 事件は埼玉県さいたま市の官庁街、さいたま地裁前の路上で起きた。法代さんは、地裁に隣接する少年鑑別所に勤務する国家公務員で、その目と鼻の先にある官舎に住んでいたという。

 社会部記者によれば、

「浅野容疑者と亡くなった妻との間には3人の娘がいて、上から20代、10代、10代未満と合わせて5人家族で住んでいることになっていましたが、実際の夫婦は別居状態。県警の聞き取りで、子供たちは“小さい頃から夫婦喧嘩をして不仲だった”と話し、当の容疑者も逮捕直後から、妻を“知人”だと言い捨て、取り調べでも妻だと認めず、動機についても一貫して黙秘を続けています」

 県警は、夫婦間に憎悪を生むトラブルがあったとみて捜査を続けているが、浅野容疑者が教鞭をとっていた文教大学人間科学部の学生たちは、彼の異変に気づいていた。

「ゼミは定員超え」

「1月頃から体調を崩して顔色も悪く、学会や授業も時々休んでいたそうです」

 そう明かすのは、同大学に通う心理学科の学生だ。

「事件の日は卒業式の予定がコロナで中止。もし式があればこんなことは起こらなかったのではと思うと……。ウチの大学は教職をとる学生が多くて、先生は“教師をする上で心理学は役に立つ筈だよ”なんて声をかけてくれた。指導も丁寧で怒るところは見たことがなく、ゼミは定員超えの年もあるほど人気でした」

 講義では「犯罪被害者の心理」を担当していた浅野容疑者は、埼玉犯罪被害者援助センター理事という肩書も持つ。2007年に文教大学へ採用される以前は、殺害された妻と同じく法務省の職員として、主に関東地方の少年鑑別所や刑務所などに12年間勤務していたという。

 犯罪心理学に詳しい新潟青陵大学大学院の碓井真史教授に訊くと、

「彼のような経歴で研究者の道に進む例は珍しくありませんが、犯罪被害者の支援活動もしていたことから、大学という象牙の塔に籠って現場を軽んじるような方ではなかったと思います」

 精神科医の片田珠美氏はこう指摘する。

「ニーチェは『善悪の彼岸』の中で、〈怪物とたたかう者は、みずからも怪物とならぬようにこころせよ。なんじが久しく深淵を見入るとき、深淵もまたなんじを見入るのである〉という言葉を記しています。自戒を込めて言えば、犯罪に接する機会の多い仕事は、内なる攻撃衝動が刺激されて一線を越えることが当たり前のように感じてしまう。自らが怪物になる危険を孕むことを、肝に銘じる必要があります」

 学生向けの自己紹介で浅野容疑者は、〈大学での学びは、人のためになる生き方を学ぶことです〉と書いていたのだが……。

「週刊新潮」2020年4月2日号 掲載