コロナ禍で、開店営業していることを批判された施設のひとつにパチンコ屋がある。遊戯場として、開店しているなんてけしからんということなのだろうが、しかし、パチンコを仕事として、生計を立てている人たちが存在するのも事実。そう、パチプロだ。彼らにとって、パチンコ屋が開店しているか閉店しているかは死活問題になる。結果パチンコ屋は閉店し、彼らの生活は、相当なダメージを受けた。パチンコ屋の行列も、これで生活をする人たちがいるという目で見れば、また風景が変わって見える。みんな必死なのだ。

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 そんなパチプロ業界で、数年前からの妙な動きが話題となっている。内地のパチプロがこぞって沖縄入りしているというのだ。なんで沖縄なのか。南国気分でパチンコを打ちたいから……ではあるまい。ちなみに沖縄のスロットは沖スロと呼ばれ、仕様が違う。勝ち負けには関係ないらしいが、ハイビスカス模様の外観で、沖縄の雰囲気に浸れるということから、行ったらパチスロファンは一度打ってみることを薦める。

「2年前くらいから、ホールで、見ない顔が増えているなと思って。沖縄の人じゃない風貌の人がたくさんいるようになったんです」(沖縄在住のパチプロA)

 現在、パチプロは軍団という名称で、組織として活動していることが多い。打ち子という台でひたすら打つバイトを雇い、主(リーダー)が、打つ台や、やめ時を指示する。打ち子のバイト代は800から900円程度。軍団を率いる主は、打ち子をだいたい5から6人従えている人で月に約100万円の収入があるという。

「よく見たら軍団を従えて、つるんでいるようなんですよ。それで注目してみてみたら打ち子を含めて軽く20人くらいはいる。それから注視して観察していたら、どうやら主だけでも10人以上はいるように見えた。一応、沖縄の軍団同士には最低限のルールというか縄張り意識や暗黙の了解というものがあるんですけど、彼らにはちょっと近寄りがたいところがあって誰も何も声をかけなかったですね」(同上)

 なぜ、わざわざ沖縄のパチンコで打つ意味があるのだろうか。

「沖縄は、全国的に見て、台の設定が甘いんです。つまり当たりを出しやすいんです。また、お客さんの9割は、おじいちゃんやおばあちゃんで、勝つということに疎い人が多い。良い台に座っていても平気で途中で帰ったりする。それにパチプロの数も少なく競争相手がいない。つまり穴場なんですね。それは、パチンコファンの間では有名でした。しかしわざわざ沖縄まで来るとは思わなかった」(沖縄のパチプロB)

 ある沖縄在住のパチプロのひとりが彼らに声をかけてみたところ、「福岡から来た」と答えたという。しかし、彼らもある大きな軍団の組織の支部の者だそうで、軍団の規模の大きさが伺える。なんでも、もっとも大きい組織になると、打ち子も含めて1000人以上が所属する軍団もあるそうだ。たぶん、沖縄の主も打ち子から昇格した者のひとりだろう。打ち子が昇格してマネージャーとなり、独立して軍団の主となっていくパターンが多い。

 沖縄ではアパートを借りて住み込みで暮らしていた。車もレンタカーではなく所有していたというから、腰を据えて活動していることが見て取れる。それでも、余裕で儲かって黒字なのだから、パチプロというのは、よっぽどおいしい商売なのだろうか。と、甘言に誘われて、痛い目を見る人はいつの時代にもいるので気をつけよう。パチンコの話で聞くのは、ほとんど負けたあげくの悲惨なものばかりである。

 そして、今年3月から猛威を振るった新型コロナウイルスが大流行して自粛が始まり、沖縄のパチンコ店は約3週間もの休業を余儀なくされた。その間、内地から来ていた出張パチプロたちはどうしていたのだろうか。

打ち子に休業補償なし

「内地には帰ってなかったみたいですね。自粛明けには普通にパチンコ店に来ていましたから。たぶん、アパートの部屋でじっとしていたんでしょう。お金は持っていますから、生活に不安はないと思います。かわいそうなのは打ち子。みんなクビを切られてしまったようです。打ち子に休業補償はなかった。ここでも立場の弱いものが1番割を食うんです」(沖縄のパチプロC)

 打ち子は現地、沖縄で調達していたというから、ほとんどが沖縄人。ここでも沖縄の貧困が浮き彫りになった。

「でも、何もスキルのない若者は、働こうと思っても沖縄ではほとんど職がないんですよ。だからパチンコの打ち子は、ただ打っているだけで時給900円ももらえるおいしい仕事なんです。飛び付きますよね。遊び感覚だし」(同上)

 雇用の創出か、単に都合のいい働き手なのか、パチプロが沖縄に来たことによって、沖縄の雇用のエコシステムが微妙に変化しようとしている。しかし衰退する一方のパチンコ業界で、いつまでパチプロ自体が存続できるかもわからないのだが……。

神田桂一(かんだ・けいいち)
1978年、大阪生まれ。関西学院大学法学部卒。カルチャー記事からエッセイ、ルポルタージュまで幅広く執筆。今年、台湾に関する紀行ノンフィクションを刊行予定。著書に『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(宝島社=菊池良と共著)など。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年7月5日 掲載