“注意”は難しい

「注意は、相手を思い、相手の感情を斟酌(しんしゃく)しながら、どう言えば受け入れてくれるか、TPOまで考えてするものである。基本的に相手の思考パターン、感情のツボなどを考慮しながら、脳をフルに使って行う。当然、感情のおもむくまま、気の向くままにやっていては、相手の心には届かない。演出の意識が必要になる」

 これは先月発売された『あなたはなぜ誤解されるのか―「私」を演出する技術―』という本の一節。著者の竹内一郎さんは劇作家、演出家でミリオンセラー『人は見た目が9割』でも知られる。

 この文章を肝に銘じたほうがいい人は少なからずいるようだ。「注意」のやり方でしくじった、そんな事例が最近、同日に続けて起こった。

 本人は正しいことを言ったつもりが、むしろ反発がブーメランのごとく返ってきたのだ。

 主人公は、立憲民主党の蓮舫参議院議員と、漫才コンビ、キングコングの西野亮廣の二人である。

「そんな答弁だから言葉が伝わらないんです」

 それぞれの例を振り返ってみよう。

 まず蓮舫議員。

 1月27日の参議院予算委員会。いつものように舌鋒鋭く、与党を攻撃する。内閣支持率は低下傾向にあり、国民の政府への不満も高まっている。そんな空気を感じていたのだろうか、菅義偉首相に対してこう言い放った。

「そんな答弁だから言葉が伝わらないんです。そんなメッセージだから国民に危機感が伝わらないんですよ。あなたには、総理としての自覚や責任感、それを言葉で伝えようとする、そういう思いはあるんですか」

 これに対して、普段は感情を見せない菅首相も「失礼じゃないでしょうか」と反発した。蓮舫議員としては、このくらい強く言っても、国民の共感を得られるという計算があったのかもしれない。が、残念ながら思惑は大きく外れた。

 菅首相に厳しい世論も、このやり取りに限っては、ワイドショーやネット上を見る限り圧倒的に「蓮舫さん言い過ぎ」という声が多数派に。もともと一部からは嫌われていた彼女だが、「コロナ対応について野党だって偉そうなことは言えない」という潜在的な不満があったことを示す結果となってしまったのである。

 改めて彼女の主張を見ると、それ自体は正しいところもある。昨今、ずっと菅首相の発信力が疑問視されていたのは事実だ。それでもあまりに物言いが強かったがために「失礼」「言い過ぎ」という反応を招いたことになる。

「ナメ腐っていたので、会社ごとガン詰めしました」

 もう一人、キングコング西野はどうだったか。

 奇しくもこちらも1月27日、ツイッターで所属事務所である吉本興業への不満を表明した。自身が製作総指揮・原作・脚本をつとめるアニメ映画「映画 えんとつ町のプペル」の宣伝に関連して、マネジャーの仕事ぶりに不満があったという。

「連日走り回ってくださっている吉本興業外部のスタッフさんに対しての吉本興業の対応がナメ腐っていたので、会社ごとガン詰めしました。しっかりしろ!」

 というツイッター上の言葉遣いの荒さ、そこでマネジャーとのLINEのやり取りを一方的に公開したことなどが、批判を浴びる事態を招いてしまった。

 こちらも彼なりの気持ちや言い分はあるのだろうが、世論を味方につけるには至っていない。ネット記事へのコメントでは、西野への厳しい言葉が目立つ。

 結局、吉本興業と話し合いの末に「円満」に退社することになったというが、せっかく出足好調が伝えられる映画の成功に、自ら水を差す結果となってしまった。

職場にもいる“部下を注意する際に、自分の自慢話が加わる人”

 二人の失敗例から何を学ぶべきだろうか。冒頭の本の著者である竹内さんに話を聞いてみた。

「どの職場にも、本人が思っているほど評価の高くない人がたくさんいるかと思います。頭がよくて、弁も立ち、仕事もできるのに人望がない。最近の表現でいえば『残念な人』ですね。

 本にも書いた通り、『注意』というのは難しいのです。感情のおもむくままに言うのは最悪です。失敗したお二人とも、ちょっと感情的に強い言葉を使っている点は気になります。

 会社では、部下がポカをやった時にただ注意をすれば済むのに、そこに自分の自慢話が加わる人がいます。そういう人からは部下の心が離れやすい。

 本来、注意というものは、相手の警戒心を解いて、心に防御壁がなくなりつつある時に、こちらの話を相手が受け入れてくれる流れを作ることが望ましいのです。理想は相手が自分で気づくような話の進め方。

 そして用件が終わったら、早めに終わる。さっと切り上げるのが肝要です。長くなると、ついつい自慢が入って、『俺だからこういうことも気づいて注意してやれるんだよ』なんて恩着せがましいことも口にしかねない。

 この傾向が顕著だと、注意というよりも説教になります。居酒屋などで、部下に向かって延々と説教をしている人を見かけることがあります。反論できない若い人に何度も何度も繰り返して説教しているうちに、当人はハイになっていく。一種の快感をおぼえているのです。こういうのもやめたほうがいいでしょう。

 今回に限らず、蓮舫さんの場合、どこか国会という舞台で、『強者(≒首相)に立ち向かう勇敢な私』という役柄に酔っている、快感をおぼえているように見られていたのではないでしょうか。

 もともとはタレントだったので、自己演出に長けているはずの方ですが、世の中の反発を見ると、演出に必要な自分を客観視する力が鈍っているのかもしれません。

 もちろん政府を追及するのは大切な仕事なのですが、一方で国民からすれば、与党だろうと野党だろうと国会議員。コロナ禍で収入が激減している人が多い中、まったく収入にダメージがない人たちの集まりと感じている人も多いでしょう。

 現在の国民にとって共通の敵はコロナのはず。国会という舞台では、与野党関係なく、その共通の敵を倒すために知恵を絞っているような姿のほうが国民の共感は得やすいかと思います」

 西野の場合も、映画を成功させるという目的は彼も吉本も担当マネジャーも共有していたであろう。たとえその仕事ぶりに不満があっても、内輪の揉め事を世界に向けて発信する必要はまったくない。夢のある映画を観たファンにとっても、そんな裏事情は知りたくない情報である。

「私が正しい」「俺が正しい」と強く思ったとしても、強い言葉や極端な行動に出ると、ごく一部の支持は得られるかもしれないが、往々にして多数の共感は得られない、というのが教訓だろうか。

デイリー新潮編集部

2021年2月9日 掲載