JR横須賀線の逗子駅−東逗子駅間にあった踏切が、8月19日の終電後に廃止された。同踏切は、近年になって社会問題化した“開かずの踏切”ではない。なぜなら、遮断機も警報機もついていなので踏切が閉まることがないからだ。

 遮断機も警報機もない踏切は、第4種踏切と呼ばれる。第4種踏切は運行本数が少ないローカル線では珍しくない。しかし、神奈川県逗子に所在する同踏切は、頻繁に電車が行き来する。都市圏で残る第4種踏切は、かなり珍しい。

 同踏切を横切る線路は、留置線なども含めて9本。そのため、踏切道は長く、約35.5メートルもある。高齢者だったら、渡るのに時間を要する。

 同踏切では事故の危険性が繰り返し指摘されてきた。そのため、踏切が廃止されることになった。安全対策の観点から見れば、踏切の廃止は当然の措置と言える。

 JR東日本が同踏切を存続させてきた理由のひとつに、周辺住民からの存続の要望が挙げられる。踏切を廃止すると、これまで踏切を日常的に渡ってきた人たちは別の踏切を使わなければならない。迂回を余儀なくされ、それは時間のロスにもなる。踏切の廃止によって生活に支障が出るというのが反対派の主張だ。

 この言い分には理解できる部分もある。しかし、国土交通省や地方自治体などは安全面から踏切の廃止を進めてきた。

 近年は東京、大阪などの大都市圏で開かずの踏切によって慢性的な交通渋滞が深刻化していることもあり、渋滞解消を名目とした踏切の廃止が相次ぐ。

 鉄道事業者にとって、踏切を廃止することは事故リスクの低減といったメリットがある。事故が減少すれば、定時運行をしやすくなる。鉄道事業者にとって定時運行はかなり大きなメリットになる。

 踏切を廃止するための手段として、これまで行政が積極的に進めてきたのが、立体交差化だ。しかし、積極的な行政に対して鉄道事業者はそれほど前向きではなかった。

 なぜか? 立体交差化には莫大な工費が必要になるからだ。また、立体交差化した後に生まれる空間を有効活用する術がなかったことも消極的だった理由として挙げられる。こうした事情から、鉄道事業者は軽々に立体交差化を決断できなかった。

 立体交差が進まないと、それは地域にとって損失にもつながる。工費という障壁を取り除くため、都道府県や地元の市町村が工費を負担する形で立体交差化を進めるスキームが生まれた。これが踏切廃止の流れを後押しした。

 こうして深刻な渋滞が発生している踏切から、立体交差化は着手されていく。厄介者の踏切は、遠からず消えていく運命にある。

愛された踏切

 現役時代には嫌われ者だった踏切が姿を消していく一方で、役目を終えて引退した踏切が途端に愛されるようになることも少なくない。

 愛知県名古屋市の名古屋鉄道(名鉄)の本線とJR東海道本線が並走する区間は、せわしなく電車が行き来する。そのため、多くは立体交差化されていたが、神宮前駅の隣には長らく踏切の上げ下げを操作する保安員が常駐する踏切があった。

 通常の踏切は「全開」「全閉」の2つの状態しかないが、同踏切には「半開」という珍しいシステムが存在した。

 名鉄と東海道本線の線路の間には小休止できる小島のような待避スペースがあり、歩行者や自転車は「半開」のときに小島のような待避スペースまで進むことができる。少しでも歩行者・自転車を滞留させないような工夫だった。それでも危険な踏切であることに変わりはなく、2012年に廃止された。

 厄介な踏切ではあったが、珍しい「半開」システムの踏切は名所となっており、それを懐かしがる人は少なくない。

 開かずの踏切ではなくても、役割を終えたことで廃止される。こうした踏切が地元自治体や周辺住民の意向によって記念碑的に残されるケースもある。

 東京・汐留にポツンと立つ警報機は、汐留貨物駅と築地市場とを結ぶ約1.1キロメートルの短い貨物線の踏切の名残だ。同線は交通量の激しい都道316号線を横切る。そうした厄介な踏切だった。

 厄介な踏切だから蛇蝎の如く嫌われていたと思われがちだが、有志たちによって踏切だけが保存された。すでに廃止から40年近くの歳月を経ていることもあり、周辺を闊歩している人たちが踏切に気づくこともなく、気づいていても気に留めることはない。

 築地市場へと延びる専用線だけではなく、汐留貨物駅も1986年に廃止。跡地や周辺は再開発によって見違えた風景へと変貌しているが、踏切のあった場所は時が止まったかのような雰囲気をわずかに保っている。

 郊外の住宅地にも記念碑的に残されている踏切がある。

 JR八高線の高麗川駅から太平洋セメントの工場へと延びていた専用線は、1999年に廃止された。同専用線跡は2009年に地元の埼玉県日高市へと寄付され、日高市は線路跡地を遊歩道として整備した。

 こちらの専用線は約1.4キロメートルで、やはり短い。一部区間は舗装されたが、レールを埋め込んだまま残した。踏切も保存された。その遊歩道を近所の人たちが散歩している。

 現役時代は厄介者として扱われた踏切は、引退後に愛される存在へと変わり、幸せな余生を送ることもある。

 全国を見渡せば、まだ踏切は山のように残っている。踏切が日本全土から全廃される可能性は低いだろうが、急速に数を減らすことは間違いない。

小川裕夫/フリーランスライター

デイリー新潮取材班編集

2021年9月7日 掲載