「タイトルというのは、奪取するよりも防衛する方がずっと難しい」。将棋や囲碁界でよく言われる言葉もこの男には関係ないのか。

 8月24、25日に徳島市の渭水苑で行われていた王位戦七番勝負の第5局は、挑戦者の豊島将之二冠(31、叡王・竜王)に3勝で「王手」をかけていた藤井聡太二冠(19、棋聖・王位)が77手までで勝利し、4勝1敗で王位を初防衛した。藤井はことし7月3日に渡辺明三冠(37、名人・王将・棋王)を退けて棋聖位を守っており、昨年夏に初戴冠した二冠とも、あっさりと防衛してしまった。

 徳島での王位戦は、豊島の失着とも思える一手で、横へ移動できなくなった飛車を藤井が9七に跳ねた桂馬で取りに来たあたりから豊島の形勢は明らかに悪くなった。AbemaTVで解説していた屋敷伸之九段も「藤井さんが変なこと(手)を考えないで普通に対応していけば藤井さんが勝ちます」と早々と断言していた。豊島は9筋から必死に攻めたが藤井がミスなくさばき、「銀損」していた豊島は、藤井玉に迫る手立てもなく午後5時前に早々と投了した。豊島玉が詰むまでには多く手数がかかるが、将棋ファンも驚く非常に早い段階での投了だった。

 藤井は「序盤中盤、難しい局面もあったのですが。(5局を通しては)苦しい場面の長い将棋も多かった」などと淡々。豊島は「(初日の最後に)いい手を指されて封じ手(二日制の将棋で、持ち時間に不公平が出ないように初日の最終手番の棋士が次の手を書いた紙を入れた封筒を立会人に渡し、翌日開封して再開する)のあたりでも自信がなかった。見どころのない将棋にしてしまって本当に申し訳ありません」と大盤解説会場でもしょげていた。豊島のこんな惨敗も見たことがない。

 この王位戦の第一局は名古屋能楽堂で行われたが豊島が圧勝し、藤井は午後3時頃には投了してしまい「やはり天敵豊島には弱いか」と思わせた。しかし、旭川市で行われた第2局で藤井は苦しい将棋を逆転し、そこから一挙に4連勝だった。思い返せば、藤井は昨年、木村一基王位から王位を奪った際、札幌での第2局で、絶望的だった局面を大逆転、その勢いで木村王位を「4タテ」にして王位を奪取した。藤井にとって北海道は「逆転力」を神が与えてくれる場所かもしれない。

 少し前後する。筆者は徳島には行けなかったが8月22日の日曜日、名古屋東急ホテルで行われた叡王戦5番勝負の第4局は、「最年少三冠」の可能性があり、駆けつけた。しかしこの時は藤井が早々に完敗し2勝2敗となり「最年少三冠」は最終局次第になった。豊島の飛車打ち込みの王手に藤井はいつもの粘りも見せずに投了してしまっていた。

「天敵」に強くなってきた

 さて、叡王戦と王位戦の二つのタイトルは今、「夏の12番勝負」と言われている。藤井の相手がいずれも最も苦手としていた豊島だからだ。羽生善治永世七冠資格、佐藤天彦元名人、佐藤康光元名人、広瀬章人元竜王、渡辺明二冠などタイトルホルダー経験者たちを次々と撃ち落としてきた。羽生には4勝1敗。中でも「最強」といわれていた渡辺に対しては公式戦で8勝1敗と大きく引き離してしまった。

 そんな藤井が「唯一」苦手としたのが天敵・豊島。昨年まで1勝もできずに6連敗だった。今年1月に一矢を報いたが、王位戦の初戦は大敗を喫した。ところがその王位戦もそこから4連勝して防衛してしまったのだ。これで今年に入ってから7勝3敗。通算では7勝9敗となった。早くも「天敵」という言葉は使えなくなった。

「豊島に苦手意識を持ってしまえば真のトップにはなれない」(幼い頃に藤井が通った瀬戸市の「ふみもと子供将棋教室」の文本力雄さん)藤井だが、逆に言えば、豊島を克服してしまえば、一挙に「藤井一強時代」に突入してしまう可能性もある。

 叡王戦の五番勝負は9月13日の千駄ヶ谷の将棋会館で雌雄を決する。藤井二冠が叡王を獲得すれば、1993年に羽生善治九段(50)が記録していた22歳3ヶ月の「最年少三冠記録」を28年ぶりに更新することになる。

 藤井聡太についてはもはや「史上最年少」の枕詞は「食傷気味」になってきた感もある。とはいえ、過去、同時に三冠以上に輝いた棋士は9人しかいない。現役では豊島、渡辺明、羽生善治、森内将之、谷川浩司、引退棋士は中原誠。故人では米長邦雄、大山康晴、升田幸三、とそれこそ、大正期以来の大棋士ばかりである。しかも、それを十代でやってのけるとあっては、報道が過熱しても無理もないだろう。

 今年に入って、「天敵」に藤井が強くなってきたことについて元A級棋士で、公式戦で藤井を破っている井上慶太九段(58)は「負けが込んでいたころの対局も、内容的にはそんなに差はなかった」と語る。8月22日の敗戦後には「やはり、まだ序盤の組み立てなどは豊島二冠が上回っていると思います。まあ、評価値的に言えば55%豊島さんという感じですか。研究熱心な豊島二冠はAIなどでしらみつぶしに序盤の戦略を研究してきたのではないでしょうか。藤井二冠は序盤から意表をつかれた感じで、最後は粘りようもない完敗でした。とはいえ、また建て直してくるでしょう。まだ一強時代と言うには早いでしょうし、渡辺二冠や永瀬拓矢さん(王座)も巻き返してくるでしょう。また、そうでなければ」と話してくれた。

 藤井は瀬戸市、豊島は一宮市と、愛知県の同郷だ。二人の初対局は2014年12月だった。藤井はまだ小学6年。豊島は既にトップ級棋士として名を馳せていた。藤井の師匠の杉本昌隆八段が、豊島に「私の弟子とぜひ、お手合わせをお願いできませんか」と頼み、実現したという。結果は豊島の貫禄勝ちだった。その頃、この対局を報じていた地元の東海テレビで、杉本氏は「この二人は将来、タイトル戦を戦うことになると思います」と語っていた。杉本氏の予言が早くも実現している。8月25日、徳島で記者からそのことを訊かれた藤井は「これからも(豊島二冠と)多く指せるようになれば嬉しいです」と話していた。

 7月3日の棋聖戦は、熱海市で犠牲者を出した豪雨の中の対局だった。沼津市も大きな被害が出ていた。王位戦の第3局は当初、佐賀県嬉野市で行われる予定だったのが、これまた甚大な災害を出した豪雨に見舞われて対局中断の恐れが出て急遽、会場を大阪の関西将棋会館に変更していた。コロナ禍や自然災害でこの夏、日本将棋連盟の職員など「裏方」も大変だった。

 藤井が「不出来」だった王位戦の第1局と叡王戦の第4局、逆に豊島が「不出来」だった25日の王位戦第5局、この3局に関してはお世辞にも「熱戦」と言えない。藤井も豊島も口には出さないが、すさまじいばかりのハードスケジュールでやや疲れが出ていた気もする。藤井が棋聖位を「最年少防衛」したのと前後して叡王戦と王位戦がスタートした。

 叡王戦は2017年度にタイトルに昇格。長年、7つだったタイトルが8つに増え、トップ棋士は休む暇もない。名古屋で叡王戦第4局を終えた二人は一夜明けた8月23日に徳島市へ移動して二日制の王位戦に臨んでいた。疲れもあるだろうが若い二人のこと、9月13日、東京での叡王戦の最終局こそ、大熱戦を期待したい。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」「警察の犯罪」「検察に、殺される」「ルポ 原発難民」など。

デイリー新潮取材班編集

2021年8月28日 掲載