たとえ不倫であっても「ひとつの恋愛の形」ではある。誰にも知られないよう、大事に大事に育んできたその恋愛が、ある日突然、なくなったとしたら……。自分たちの関係は何だったのか、彼女は本当に自分を愛してくれていたのか。もう返ってくることのない答えを待ち続けている男性がいる。【亀山早苗/フリーライター】

「ふたりとも家庭がある状態で14年つきあっていました。長いのか短いのかわからない。その間には彼女の子どもの受験があったり、うちの子が怪我をしたりで会えない時期もありました。だけどいつかは会えると信じて、お互いを励まし合ってやってきたんです。まさか永遠に会えなくなるとは思ってもいなかった」

 憔悴した表情でそう話すのは、とある地方都市に住んでいる高田将太さん(48歳・仮名=以下同)だ。14年つきあっていた同い年の安藤絵美さんは、2年前、くも膜下出血で還らぬ人となった。そのショックからいまだに立ち直れていない。将太さんはふたりで撮った写真を見せてくれた。将太さんは今より肌の色艶がいい。ふたりとも満面の笑顔だ。特に絵美さんのはじけるような笑顔がまぶしい。

「これは最初で最後の旅行です。帰ってから1週間後、次に会おうと約束していた前日に彼女は亡くなったんです」

 ふたりが知り合ったのは32歳のとき。絵美さんは、将太さんが勤める会社の企業内託児所の保育士だった。以来14年、「家族を欺き、人目をはばかって」一緒に過ごす時間を大事にしてきたのだという。

逃れられないと覚悟して結婚

 将太さんは大学卒業後、地元企業に就職した。29歳のとき3歳下の女性と社内結婚。すぐに長男が、31歳のときに次男が生まれた。それを機に夫婦で会社近くに住み、社内託児所を利用するようになった。

「今になってこんなことを言うのは、妻の亜由美に失礼だとわかってはいるんですが、この機会ではないと言えないので本音を打ち明けます。妻のことは特に好きではなかったんです。面倒見がよくて明るい子だったけど、そのとき、学生時代からつきあっていた彼女と遠距離恋愛になっていた。魔が差したんでしょうね。部署の飲み会の帰りに亜由美がいきなり腕を組んできて、『もう一軒、行こうよぅ』としなだれかかってきた。亜由美のつけている香水だか化粧だかわからないけど、甘い香りがぷーんと鼻孔をくすぐってきて……。ふたりでみんなから離れてそのままホテルに行ってしまったんです」

 たった1回で亜由美さんは妊娠。逃れられないと覚悟して結婚したのだという。子どもができてからも共働きを続けているために世帯収入は悪くない。家事も育児も協力しあってこなしている。それでも彼は、この結婚への不満を心の底にためていった。

「亜由美はいい人なんだけど、一緒にいておもしろくないんです。結婚して初めてわかったけど、彼女は“食”に興味がない。食だけじゃなくて、文化的なもの全般に関心がないんです。映画も観ないし本も読まない。それでも生活はできるけど、『人間はそれで満足できるのか』と僕はいつも疑問を抱いていました」

 忙しいからという理由で、亜由美さんは冷凍食品や出来合いの惣菜を頻繁に食卓に出す。週末、「たまには作り置き惣菜を作ろう」と将太さんが持ちかけても、亜由美さんは「ふだん忙しいんだから休もうよ」とだらだらしている。将太さんはひとりでキッチンに立つ。

「それでもいいんですけどね、なんだか寂しいじゃないですか。キンピラ、こんな味でいいかなとか、前にレストランで食べた魚のムースを再現してみようよとか、そうやってふたりで探求するのが好きなんですよ、僕は。亜由美は絶対にそういうことを一緒にしようとはしない」

 子どもたちが寝静まってから、ふたりでワインでも飲みながらDVDを観ようと誘ったことも多々あるが、「映画って眠くなっちゃうんだよね」と亜由美さんは言う。それでも営業職の彼女は業績がよく、取引先の評判もいい。

「人と話すのが好きなんでしょうね。努力もしていると思う。ただ、文化的なことには興味がない。非常に現実的な女性なんだと思います。それはそれで悪くはないけど、僕とは違う。結婚生活を続けていくうちにそう感じるようになっていったんです」

「映画」で意気投合

 だから他の保育園から転職してきた絵美さんに出会い、言葉を交わすうちに惹かれるようになった。たまたま絵美さんと映画の話になり、好きな作品が一致したことから話が盛り上がったのだ。

「それからは顔を合わせるたびに、『この映画観たことある?』と言うようになって。僕から『やっぱり映画は映画館で観たい。今度一緒に行きませんか』と誘いました。もちろん絵美は亜由美のことも知っているから『だって……』とひるみました。『妻は映画に興味がないんです』と言うと、『うちの夫もそうです』って。映画くらいいいじゃないですかと、僕にしてはかなり強引に誘った記憶があります」

 ちょうど3連休で、亜由美さんの両親が孫の顔を見に来ることになっていた。1日だけ昼間、抜けていいかと妻に聞くと「いいわよ、じいじとばあばと5人で遊園地に行ってくる」と言う。絵美さんにも当時、5歳になる子がいたのだが、連休は夫の両親の元へ行くことになっていた。

「私は義父母に嫌われているから来なくていいと夫も言ってる、と。それはそれで寂しい話なんだけど、当時の僕にはラッキーとしか思えなかった」

 連休中日、朝から映画館に行き、ランチをとりながら「猛烈に」映画の話をした。結婚当初からの欲求不満が一気に吹っ飛んでいくほど満足したと将太さんは言う。

「はっと気づいたら4時間もたっていました。映画だけじゃなくて絵美と一緒に芝居も観たい、おいしいものも食べたいと思いが募るような時間でした。心から『ありがとう。人生でいちばん楽しい時間だった』と言ったら、絵美は『おおげさね』と笑っていましたが、本当の気持ちだったんです」

 同時に「もっと親密になりたい」という思いが濃くなっていった。

逢瀬を繰り返し、そして…

 絵美さんも同じ気持ちだったのだろう。なんとかふたりきりになれる時間を作ろうと、ともに策を練った。

「それぞれ共働き家庭ですから、やはり夜の時間帯はむずかしい。連休とか、僕が代休をとれる日とかを彼女に早めに伝えて、彼女もなんとか時間をやりくりする。そういう感じで会うようになりました。妻には『今日、午後から代休だからジムに行く』とか『ちょっと実家に寄ってくる』とか、たくさん嘘をつくようになりましたが、妻はほとんど疑いませんでしたね」

 最初に映画館に行ってから3回目のデートで、ふたりはごく自然にホテルへ行った。穏やかな気持ちで腕枕をしながら、こうしなければいても立ってもいられないような気持ちだったと将太さんが言うと、「私も」と絵美さんは笑ったという。

 つきあいを続けていく過程で、彼女にはもう両親がいないこと、兄がひとりいるが10年以上も音信不通であることなどを知った。

「『うちは早死にする家系みたい』と言っていたのを思い出します。両親に早く死なれて、しかも夫の両親には来なくていいと言われてしまうなんて……。不運な境遇なんですよね。そういう話を聞くにつれ、僕といる時間が彼女にとって少しでも救いになればいいなと。いや、それ以上に僕が彼女に惹かれていたんですが」

 次男が生まれてから、妻との夫婦生活はほぼなくなったと将太さんは言う。だからこそ絵美さんには心身ともに魅せられた。相性がよかった、と将太さんは耳を赤くした。

バレずに14年、ある時LINEが既読にならず

 誰にもバレずに14年。家庭優先で無理せず、会えないときでも連絡だけは取り合おう。ふたりの決め事はそれだけだった。携帯電話がスマホになり、連絡を取り合うことがたやすくなった。

「つきあって10年を過ぎたころ、お互いの子どもたちが成人したら、一緒になる方法を考えてもいいんじゃないかと話したこともあります。亜由美との老後はあまり想像できないのに、絵美との老後は想像できた。それがうれしいようなせつないような。絵美と過ごしていると、楽しいのにせつなくなる。だから一緒になろう、と伝えたんです。『そんな日が本当に来たらうれしくて逆立ちしちゃう』と彼女は笑っていました」

 もうひとつ、将太さんには夢があった。絵美さんとの旅行である。外泊さえしたことがなかったが、「一泊旅行」くらい、周到に準備すればできるのではないかと思うようになったのだ。

「僕は大学を東京で過ごしたので、同窓会という名目は作れる。絵美も東京に親しい友人がいるという。じゃあ、ふたりで東京に行こう、と。2年前のお盆休みに決行しました。人が多いから地元から時間差で出発、東京駅から離れた新宿で待ち合わせて。東京では歌舞伎を観たり寄席に行ったりと、ふたりでエンタメを思い切り楽しみました」

 夜は一睡もせずに愛し合った。翌日は朝から行きたかった浅草や上野などで下町文化を堪能したという。

「帰りの新幹線も別々にしました。そういうところが寂しかったけど、しかたがない。別れ際、次の週に会う約束をして東京駅の近くで別れたんです」

 帰宅してからも毎日連絡はとりあっていた。そして「今日の午後は絵美に会える」と思いながら出社し、『いつもの場所でね』とLINEをしたのだが返事がない。既読にもならない。おかしいと思っているうちに、絵美さんが早朝、自宅で倒れて病院に運ばれたと社内で話題になっていた。

「膝がガクガク震えました。昔、上の子がサッカーの練習中に怪我して運ばれたと連絡があったときも震えましたが、それ以上の衝撃だった。どうしたらいいかわからなくて、託児所へ駆け込んで、彼女の同僚の保育士さんたちに聞いたら本当だという。でも詳細は誰も知らないんですよ。帰宅してから、妻にそのことを言ったら『え、そうだったの? 今日はずっと外回りだったから知らなかった』と。こんな重要なことをどうして知らないんだと怒りそうになりましたが、妻には関係がないんだと思い直して……。とにかく、あの日は祈ることしかできなかった」

 翌日、絵美さんが亡くなったと会社に知らせが入った。自宅に飛んで行きたいが、そうもいかない。何もできない立場なのだと改めて思い知らされたようなものだった。

「お通夜とお葬式についての連絡がありました。長年、託児所を利用していたので僕が行っても不審がられることはないと思ったけど、結局、行けなかった。彼女がもういないと認めたくなかったんです」

 託児所も会社も、翌日は何事もなかったかのように動いている。当然のことではあるが、将太さんは誰にも言えない分、心が沈んでいった。

「その後、どうやって日常を過ごしていたのか、あまり覚えていないんです。ただ、妻に『最近、疲れてるみたい。大丈夫?』と言われたのは記憶にあります」

突然かかってきた電話

 1年後、絵美さんの携帯から電話がかかってきて、将太さんは飛び上がるほど驚いた。出てみると、女性の声で「絵美の娘です」と言う。その日、仕事が終わってから会うことになった。

「絵美にそっくりなお嬢さんでした。名乗るより前に『母が愛した男性に会いたかったんです』と。僕は何も言えなかった。『私、先日、20歳になったんです。生きていれば、母はあなたと一緒になれたかもしれないのに』と彼女は言いました」

 絵美さんの娘の弥生さんは、母親の携帯を解約する気になれず、ずっと保管していた。暗証番号も知ってはいたが、見ることはできなかった。20歳になったのをきっかけに思い切って見てみたら、「やはり母には好きな人がいた」とわかったのだという。

「母は父からいつもモラハラを受けていました。私は中学生くらいのときから、離婚すればいいと母に言っていた。でも母は大丈夫だからって、私の前ではいつも笑っていた。高校生のとき、繁華街で偶然、母を見かけた。母の足取りが見たことがないほど軽かったので追ってみたら、カフェに飛び込んでいった。男性と待ち合わせをしていたらしい。男性の顔は見えなかったが、母はとろけるような笑顔をその男性に向けていた」

 弥生さんはそう将太さんに話した。聞いているうちに将太さんは涙を流していた。絵美さんが亡くなって初めて、やっと泣くことができたのだという。

「責められてもしかたがない立場なのに、弥生さんは僕を責めなかった。母にも幸せな時間があってよかったと言ってくれて。大学生の弥生さんとは、たまに連絡を取り合っています。就職の相談に乗っていますね、最近は。本当なら縁を切ったほうがいいのかもしれないけど、彼女の顔を見ると絵美がいるような気がして。つらいのに会いたい。会いたいけどつらい。絵美がいなくなったのを、僕はまだ認めたくないんです」

 不思議な縁から生まれた新たな縁なのかもしれない。絵美さんが亡くなって2年がたつ。将太さんの子は19歳と17歳になった。あのままいけば、3年後にふたりは一緒になるための行動を起こしていたのかもしれない。

亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。

デイリー新潮取材班編集

2021年10月13日 掲載