10年近くも続けた方針をやめるのは、確かに自己否定につながりかねない。日銀を統(す)べる黒田東彦(はるひこ)総裁(78)の異次元緩和政策が曲がり角を迎えている。しかも当人は都内の高級マンションに住み、住宅ローンも抱えていないとなれば怨嗟の声も聞こえてくるはずで……。
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「世界中の経済学者は彼を“ドクター”と呼んでいます。修士課程までしか修了していませんが、その博識ぶりに敬意を込めてそう呼んでいるのです」
と語るのは、黒田総裁を知る財務省関係者。旧大蔵省からアジア開発銀行の総裁を経て、日銀総裁に就き、まもなく10年。2023年4月の任期満了が迫る中、そのドクター黒田は一つの「うそ」をついた。
「利上げではない。金融引き締めではまったくない」
日銀は22年12月20日までに開いた金融政策決定会合で、長期金利の許容変動幅をそれまでのプラスマイナス0.25%程度から0.5%程度に拡大することを決定した。黒田氏は、今回の措置について、「企業金融などにマイナスの影響を与える恐れがあるので、市場機能の改善を図った」と語り、金融緩和政策の転換を否定した。しかし、市場は額面通りには受け取らなかった。
「黒田総裁は“利上げではない”としていますが、金利上昇局面の今なら事実上の利上げと言われても仕方ないでしょう」
とは、第一生命経済研究所首席エコノミストの永濱利廣氏。
「株価は下がりましたし、今後、住宅ローンも固定金利は上がる可能性があります。また、円高が進んだので、輸出関連企業を中心に業績の下押し要因になる可能性もあります。短期的に見れば、経済にはマイナスです。一方で、国債買い入れ額を増額するとはいえ、今後、金融引き締めに向かうようなら、本格的な景気悪化が懸念されます」
決死の判断
日銀総裁に就任した13年以降、黒田氏は当時の安倍晋三総理と歩調を合わせ、「物価上昇率2%」の安定的実現を目指し、異次元の金融緩和を続けてきた。
「不運なのは、新型コロナウイルスによるパンデミックやウクライナ戦争が重なり、世界が40年ぶりのインフレになったことでした。各国が金融引き締めに走る一方、日本は需要不足で緩和を続けざるを得なかったことで金利差が生じ、円安が行き過ぎてしまったのです」(同)
日本を「安い国」へ変貌させた黒田氏にとって、今回の政策転換は決死の判断、といえるのかもしれない。
“図書室の本を全部読んだ”といううわさ
そもそも、黒田氏はなぜこれほど愚直に緩和を続けてきたのか。キーワードとなるのは明晰な「頭脳」と一徹すぎる「頑固さ」だ。
1944年に福岡県内で生まれた黒田氏。海上保安官だった父の転勤で各地を転々とする中、楽しみは「読書」だったと、黒田氏の実姉が語る。
「子供の頃、父が俸給をもらうと、そのタイミングで本を必ず買ってくれたんです。“何が欲しい?”と父が聞いてくれて、私は『少女クラブ』なんかをお願いしていたのに、あの子は毎回偉人伝。キュリー夫人からエジソンから、何でも読んだ。それが子供の頃から唯一の楽しみだった」
小学校5年生のとき世田谷区内の小学校に転校し、自宅からすぐそばの東京教育大学附属駒場中学校・高等学校(現在の筑波大学附属駒場中学校・高等学校)に進学する。
同級生によれば、
「確か部活はやってなかったんじゃないかな。柔道部を3日くらいで挫折して、放送委員会もお母さんが反対して入れなかったとか。本人は教科書を一回読んだら忘れないというタイプで、“図書室の本を全部読んだ”といううわさもあったくらい」
「大変な秀才でした」
当時の夢は天文学者。図書館の数学や物理学の本を読みあさっていたという。
同級生には、細田博之衆院議長や元NHKアナウンサーの松平定知氏などがいた。100人以上いた同学年の半分が東京大学に進学するといわれていた中、「ごはんを食べるような感覚で勉強して」(同級生談)東大文科一類に進み、法学部で学ぶ。
大学時代も成績優秀で、在学中に司法試験にも合格。
67年に大蔵省に入省すると、3年目にイギリスのオックスフォード大学に留学。経済学で修士号を取得し、帰国後は、主に主税局と国際金融局でキャリアを重ねていった。
「僕は黒田さんに近いからバイアスがかかっていると思うけど、異次元の緩和政策は成功したと思うよ。13年以降、中長期的に見れば、景気回復は進みましたから」
とは「ミスター円」と呼ばれた大蔵省の元財務官・榊原英資氏である。年次で二つ下となる黒田氏とは、国際金融局時代に上司と部下の関係でもあった。
「彼は大変な秀才でした。大蔵省時代、よく一緒に海外出張に行っていた頃、僕なんかは飛行機で酒飲んで寝ちゃうんだけど、彼は本を読んでいた。ジャンルの幅も広かったと聞いています」
黒田氏の知人も言う。
「アリストテレスの『ニコマコス倫理学』を面白いと言って読んでいたのを見たことがあります。“読み終わったから”とエドワード・ギボンの『ローマ帝国衰亡史』をポンと渡されたこともありました」
「自己主張が強すぎて…」
ミステリーなどの小説もこよなく愛するかたわら、仕事では逆風を恐れぬ「信念の人」だった。
経済部デスクが言う。
「批判覚悟ではっきりモノを言う人でしたね。89年、消費税導入で野党から猛批判にさらされた時、主税局の中にも“ひょっとしたらひょっとするぞ”という雰囲気が漂いましたが、黒田さんは“消費税は廃止させない”と息巻いていました。“先行きが分からない時は麻雀と同じ。主体的に考え、次の手を打つしかないんだ”と言っていた。思い込んだら命懸け、というようなところがありましたね」
そうした性格が災いしたのか、財務省トップである次官には手が届かなかった。
「自己主張が強すぎて、国際金融局に出されてしまうんです。主税局は“所得税を上げるのでお願いします”と議員に頭を下げる仕事。上層部は“黒田にそういう仕事はきつい”とずっと漏らしていました」(同)
主計局が重んじられる大蔵省の中では必ずしもメインストリームではなかったものの、2003年、省内ナンバー2である財務官を最後に退官する。
生涯賃金は12億円超か
当然、粉骨砕身で働いてきた分、それなりの報酬も得てきた。公務員制度に詳しいジャーナリストの若林亜紀氏によれば、
「財務省時代の生涯賃金は推計で3億8千万円程度でしょう。退職金は事務次官レベルで7600万円弱となりますが、黒田さんは出世が順当だったこともあり、次官並みの7500万円程度は出ているのではと思います」
退官後は一橋大学教授を経てアジア開発銀行の総裁を8年務める。総裁の年収はおよそ48万ドル。当時の為替を考慮すると、3億6千万円程度の報酬があったとみられる。
「フィリピンのマニラに住み、奥さんはボランティア活動に熱心で、現地では有名人でした。チャリティーオークションで絵画を何枚も買っていて、上流階級の奥様という感じでしたね」(財務省関係者)
その後に就いた日銀総裁の年収は約3500万円。
「退職金はおそらく4500万円程度ではないか」(同)
というから、生涯賃金はざっと12億円は下らない。
億ションをキャッシュで購入
それを裏付けるかのように、総裁在任中の15年に世田谷区内の億ションをキャッシュで購入している。
「高級住宅街にあり、中古とはいえ1億円以上はする。黒田さんはそのマンションに住む前は都内の別のタワーマンションに住んでおり、そちらも家賃20万円以上の高級賃貸でした。13年には、都内に息子とともに30坪ほどの土地を購入し、一軒家を建てています」(同)
だからといって庶民の気持ちが分からないとは言わないが、今回の決定で庶民生活に悪影響が及ぶことは否めない。
「今回、長期金利の変動幅を広げながら、国債の購入は増やし、金融緩和は続けるとしています。しかし、次期総裁次第では短期金利を上げていく可能性も全くないとはいえないでしょう」(永濱氏)
経済アナリストの森永卓郎氏が指摘する。
「そうなれば景気は失速する上、企業業績の悪化で就職や転職が難しくなる時代がくるでしょう。住宅ローンは短期金利が上がれば変動金利が上がります。変動金利が1%上がれば、3千万円借り入れの場合、毎月約7万6千円の返済額から、1万7千円ほども上がることになります」
これとて住宅ローンを契約していない黒田氏には対岸の火事でしかなかろう。
「学食で皆と食べるのが楽しい」
いずれにせよ、任期満了まで約3カ月の黒田日銀に終焉(しゅうえん)が近づいている。先の実姉が現在の黒田氏の胸中を代弁する。
「長期金利を上げただけでは利上げでないというのが本人の言い分です。ただ、自分ひとりで決めたことではないですし、実は大学の先生をやりたいんです。昔、一橋大学で教授をやっていたでしょ。“学生と一緒に勉強して、学食で皆と食べるのが楽しい”と言っていました。そういうタイプなんですよ」
確かに、株価は回復し、一部の投資家と企業は潤ったかもしれない。しかし、約10年にも及ぶ異次元の金融緩和は日本経済に深い霧をもたらした。その霧が晴れた先にどんな景色が現れるのか、学究肌の秀才でも見通すことはできまい。
「週刊新潮」2023年1月5・12日号 掲載