王将戦七番勝負(主催・毎日新聞社、スポーツニッポン新聞社)の第6局が、3月11日、12日の両日、佐賀県上峰町の料亭「大幸園(たいこうえん)」で指され、藤井聡太五冠(20)が挑戦者の羽生善治九段(52)を88手で破り、通算4勝2敗で初防衛、五冠を維持した。藤井のタイトル獲得数は12期となり、歴代8位の森内俊之九段(52)に並んだ。これで羽生との対戦成績は藤井の11勝3敗。前人未到のタイトル100期を期待された羽生だったが力及ばず、大記録は持ち越された。【粟野仁雄/ジャーナリスト】
「封じ手」前の時間戦略
1日目、筑紫平野を見渡す大幸園 は黄砂でけぶっていた。2日目はこの時期としては異常なほど気温が上がり、対局中に藤井が立ち上がって自らエアコンの設定温度を下げる場面もあった。
先手は羽生。「角換わり早繰り銀」という比較的古くからある戦法で両者がぶつかった。最近よく見られる「腰掛け銀」より一筋右側から銀が早く上がってゆくスタイルだ。
藤井の56手目「7二金」に、羽生は59分の長考の末、自玉を「3九」へ引いた。そして、午後6時の「封じ手」が近づく中、藤井が「3三桂」と跳ねて応じた。その瞬間、それまでほぼ互角だったABEMAのAI評価値が、羽生の勝算30%に落ちた。
そのまま封じるかと思った藤井が、「3三桂」を指したのは5時42分。そうなると羽生が封じなくてはならない。午後6時となり、羽生は「封じ手」を書いて立会人の深浦康市九段(51)に手渡した。勝負所の重要な局面で羽生に考える時間を与えない藤井の戦略だったのだろうか。
徐々に差が広がる
翌朝、開封された59手目の封じ手は「3四銀打」と攻めの手だった。封じ手にはいくつかの候補手があったが、羽生は受けの手を選ばなかった。
2日目はゆっくりしたペースになり、午後3時までに10手ほどしか進まなかった。しかし、遠方の「7四」から角で羽生玉を睨んでいた藤井が、徐々に差を広げていく。
羽生は67手目に藤井陣の「2一」に角を打ち込んだ。これは勝負手に見えた。さらに羽生は、67分の長考から71手目に「6四歩打」と攻め込んだ。しかし、藤井は守りの薄い羽生陣の中央を狙って「5七銀打」とした。藤井の「7四」の角がよく効いている。
羽生が「6四歩打」と攻めた場面は、ABEMAのAIによると「6八金」と中央に寄せる手がベストだった。
藤井の陣形は「中住まい」と言われ、玉を中央に位置して左右で桂馬と金がバランスよく守っている。一方、羽生の陣は左右が大きく分裂してしまう悪形。それを「6八金」で修正することが先決だったようだ。このシリーズの羽生は、長考した後に形勢を損ねる手を打つ傾向があった。
「羽生さんの強さ、自分の課題も感じた」
午後3時56分、88手目に藤井が飛車で王手をすると、即詰みを見た羽生は投了した。藤井は持ち時間を1時間35分も残す完勝だった。羽生も持ち時間を1時間以上残したまま白旗を上げざるを得なかった。
対局室で主催社の記者に「勝利が見えたのは?」と問われた藤井は「『5六角』で働くように見えた」などと答えた。藤井はシリーズを振り返り「考えてもわからない局面が多く、将棋の奥深さを感じた。盤上に没頭して指せた」とした。レジェンドとの戦いの印象を訊かれると「(持ち時間が各)8時間の長い将棋を6局指せた。羽生さんの強さ、自分の課題も感じた」などと話し、1局目の具体的な羽生の手まで示した。
一方のた羽生は「角換わり早繰り銀」の戦法を問われ、「去年、公式戦で同じ形になり、わからない部分もあってもう一度やってみた。角と銀が持ち駒になってもう少し手を作れるかと……。桂頭を責める筋を作りたかった」などと振り返った。39手目までは昨年11月に羽生が永瀬拓矢王座(30)と対局した時の「角換わり早繰り銀」と全く同じ局面だった。藤井が指した40手目「6四角打」から、羽生にとっては「未知の世界」の戦いとなった。
藤井は羽生の43手目「7五歩」を「同歩」として取るのに72分をかけた。これに羽生が「6六銀」と応じるのに69分かけるなど、2人の長考が連続した。
見落とさない藤井
この将棋、少し面白いのは、羽生が途中で6筋に飛車を振ったため一見すると「振り飛車」のように見えたことだ。ABEMAで解説していた振り飛車党の菅井竜也八段(30)は「これって振り飛車ですよね」と盛んに話していた。どの時点で飛車を振るかにもよるが、最近の自由自在な戦法を見ていると、「将来、居飛車党や振り飛車党という概念もなくなってしまうのでは?」とすら想像してしまう一局だった。
藤井は桂馬を大胆に活用することが一つの特徴だが、角の使い方も非常に巧みである。この対局でも、50手目に「7四」に打った藤井の「筋違い角」(対局開始時の角の位置からは絶対に動けない位置の角。持ち駒にして打つしかない)が、羽生玉にとって終始脅威になっていた。
この角は自分の飛車の真横に打ったが、「飛車と角を近づけるな」というのは昔流の将棋では常識だった。金や銀を打たれると、どちらかが取られやすいからだ。同じ理由から「自玉に角や飛車を近づけるな」とされていたのと同様、そんな格言は現代将棋では吹き飛んでいるようだ。
実は「相手の桂馬と角の動きはプロでも見落としやすい」と、ある棋士が解説で語っていたことがある。桂馬は唯一、駒を飛び越えて移動できるので、動きを見落としやすい。さらに、角の斜めの動きというのも、人間の視覚にとって弱いのではないか。
想像でしかないが、藤井聡太という男の「五感」には、人類のこうした根源的に弱いとされるような部分は全くないのかもしれない。
大胆に新戦略を駆使した羽生
感想戦で聞こえてくるのは、もっぱら羽生の声だった。不安定な自陣を固めるべきだった場面で「2一」に角を打ち込んだ局面や、「6四歩」でなく「6八金」で自陣を引き締めるべきだった局面では、「それをやれば難しかったんだ」などと悔しそうだった。
今回の王将戦、羽生は予選リーグ全勝で挑戦権を得るという驚くべき力を見せた。本番の6局では多くの戦法を試し、豊富な経験から前例のある局面に誘導したかと思うと、前例のない形に導いたりした。それに食らいついた藤井は、信じられないような冷静さで対処した。
羽生は第6局の終了後、「封じ手あたりは悪いと思っていた。その前に問題があった。苦しい局面をどのくらい頑張れるかでしたが……。(6局通して)いろいろやってみたが、全体的に指し手の精度を上げていかなくては」と反省の弁を述べた。藤井の印象は「いろいろな変化、読み筋がたくさん出てくる。対局して大変だったが勉強になった」と話した。タイトル100期については「自分の至らないところを改善して臨みたい」と話した。
深くAIの研究をして若手に食らいつき、豊富な経験に頼らず大胆に新戦略を繰り出して「最強の若武者」にぶつかった52歳のレジェンド。その若々しい戦い方に落ち着いて対処した藤井のほうが先輩棋士かと錯覚しそうになった。
正月明けに始まった「世紀の七番勝負」。ぜひ第7局まで見たかったが、2カ月余で戦いは終わった。羽生はこの間も、今季からB級1組での名人戦・順位戦の終盤戦を戦っていたが、最終成績は6勝6敗で1期でA級に戻ることはできなかった。だが、久しぶりのタイトル戦で存在感を十二分に見せたように、まだまだ光り輝き続ける羽生には、今後、100期はもちろんのこと、63歳で名人戦に挑戦した怪物・大山康晴十五世名人(1923〜1992)を目指す戦いを期待したい。
粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。
デイリー新潮編集部