岸田文雄首相は9月13日に行った内閣改造で女性閣僚を5人登用した。女性の閣僚数では史上最多タイだという。その中で「静かな衝撃」と言えるインパクトを残したのが、上川陽子の外務大臣への起用である。永田町以外ではそれほど名の知られた政治家ではなく、むしろ比較的地味な部類かもしれない。そんな上川の抜擢がなぜ大きな意味を持つのかといえば、上川が事実上、将来の首相候補争いに電撃的に参入したことになるからである。【冬木陽一/政治アナリスト】

 上川は衆院静岡1区選出で衆院当選7回の70歳。岸田派に所属し、閣僚として少子化対策担当相、法相を歴任した。自民党役員としては女性局長、幹事長代理などを務めた。東大、三菱総合研究所、ハーバード大大学院を経て、政策コンサルティング会社を設立している。政策通との評が一般的で、国際関係から女性政策、憲法まで幅広く手がけた。

高市早苗、稲田朋美らとの“違い”

 上川が「ポスト岸田」候補になった理由は、外相が財務相と並ぶ重要閣僚だからではない。

 まず、首相候補と目される他の女性政治家と比べた場合の「異質さ」にある。これまで自民党で女性の首相候補として挙がってきたのは、主に高市早苗、野田聖子、小渕優子、稲田朋美らであった。彼女たちは自身が手を挙げて党総裁選に立候補したり、首相を目指すと公言したりした。あるいは目上のベテラン有力政治家らの寵愛を受けて「将来の首相だ」と言ってもらうことで「資格」を付与されてきた。

 高市、野田は実際に総裁選に出馬した。稲田は故安倍晋三元首相 から次々と要職に抜擢され、首相を目指すと発言してきた。小渕は故小渕恵三元首相の娘であり、恵三の系譜に連なる故青木幹雄元官房長官らから「プリンセス」としての期待を一身に背負ってきた。

 一方、上川が首相を狙うと発言したことはこれまでなく、強力な後ろ盾も見当たらない。政策力や問題解決能力などを周囲に認められ、結果的にポストを歩んできた。人物評として共通するのは「頭脳明晰」「聡明」「飾らない人柄」などだ。平たく言えば「頭は切れて、人当たりは良いが卑屈ではなく、性格もいい」となる。

 また大きなスキャンダルが発覚しておらず、周囲との目立った軋轢も特に聞こえない点も、優位である。例えば小渕は、政治資金規正法違反事件で元秘書が有罪判決を受けた。当時、事務所にあった証拠品とみられるパソコンがドリルで壊されており「ドリル優子」との揶揄を今も受ける。稲田は2017年、南スーダン国連平和維持活動の日報隠蔽問題で防衛相を辞任に追い込まれた。失言も目立った。

 高市は閣僚としての記者会見で2022年、増税問題で意見の合わない岸田に「(閣僚を)罷免されても仕方がない」などと挑発的な発言をして物議をかもすなど、歯に衣着せぬ政治スタイルだ。宰相を目指すには野心が必要だとの論評は多いが、権力を狙う過度な欲望は、時としてトラブルの要因となる。トップを狙う「野心のなさ」が、結果的に上川の評価を高める遠因となっている。「従来型」の女性リーダー候補との明白な違いでもある。

「オウム」死刑執行で存在感

 もちろん、上川の政治家としての足跡は見逃せない。これまで彼女の名を最も知らしめたのは2018年、地下鉄、松本両サリン事件などオウム真理教による事件で死刑が確定した松本智津夫死刑囚(教祖名・麻原彰晃)ら13人の死刑執行を命じたことだろう。信者らによる「報復」などが懸念される中、決断は注目を集めた。

 与党筋は「オウムの死刑執行は、胆力や根性があることを行動で示した」「行政における粛然とした態度は、国際情勢との対峙にも通じる」と話す。

 岸田派関係者は「オウムの死刑執行は非常に決断力が要ったはず。自分の意見を明確に示すことができる人だ。官房長官の呼び声があったことからも、女性の中では最も首相の座に近くなった」との見方を示す。

 複数の関係筋によると、自民党副総裁の麻生太郎も上川の能力を評価しており、外相起用の背景となった。党内には「重鎮、有力政治家に上川を高く買う人がいる。政策づくりなどを通じて人脈を広げているようだ」との指摘がある。

 もっとも「売り込み上手だ」との冷ややかな視線もある。上川は今年に入り、報道だけで、官邸を訪れての岸田首相への面会が10回程度確認できる。最近の主要な役職は党幹事長代理だ。党務の要を預かる幹事長室で党運営など実務の力を磨いたとみられる。「後輩の指導や仲間づくりといった、いわゆる政治家的な動きも見せていた」(永田町筋)との声もある。

岸田が仕掛けた「権力闘争」

 さて、上川の外相起用には、もう一つの重要な側面がある。それは同じ岸田派内で、岸田とそりが合わないとされる林芳正を外相ポストから外し、同じ岸田派から後任を据えたことだ。つまり、岸田が仕掛けた「権力闘争」の形ともなった。

 林と岸田は牽制し合う。因縁の背景には、かつて会長として宏池会(現岸田派)を率いた古賀誠元幹事長と、岸田の愛憎の歴史がある。

 古賀は岸田を若手時代から「宏池会のプリンス」として目をかけてきた。しかし岸田が派閥会長に就任して以降、次第に亀裂が生じる。総裁選で現職安倍への対抗馬として野田聖子が立候補を模索した際には、岸田が安倍支持を表明していたにもかかわらず、古賀は岸田派内の国会議員に対し、総裁選で野田の推薦人になるよう勧めたとされる。

 さらに古賀は、岸田の最大の政敵である菅義偉前首相と良好な関係を維持してきたとされる。菅が過去に、自民党で古賀の部下に当たる役職を務めたことなどが背景にある。関係者によると、菅が岸田を下した2020年の総裁選でも、古賀は菅支持に回ったと言われている。

 岸田と古賀の関係はこじれた。岸田と古賀は離れ、古賀は林寄りとなる。関係筋によると、古賀は周囲に「岸田は、昔はあのようではなかったのに」などと言い、岸田との距離感をにじませているという。林のバックには古賀がいる形なのだ。

 岸田による上川の抜擢により、林は派閥内で唯一のポスト岸田候補という地位を失った。林は今後、河野太郎、茂木敏充、石破茂、小泉進次郞、加藤勝信、西村康稔、世耕弘成らや、先に挙げた女性政治家たちと宰相の座を争うだけではない。派閥内での上川との競争が加わった。これは「二正面作戦」を迫られることを意味する。

「岸田派の存在感は上がった」

 一方、岸田にとっては、いつかは来る自身の首相退陣後、林、上川という2枚の後継カードを持つことになった。これは他派閥に対する優位性を高める。また、林と上川を競わせることにより、岸田は宏池会の「キングメーカー」として実権を握り続けることを可能にする。自民党筋の一人は、こう読み解く。

「これまで政策系の仕事が多かった林は今後、党で党務、派閥で閥務の力を磨くことになる。上川が重要閣僚の座を射止めたことで、岸田派には首相候補と目される人物が増えた。例えば人数が桁違いに多い清和会でも、首相候補と言えるのは2〜3人程度。岸田派の存在感は上がった」

 今回の内閣改造後は、直後の世論調査で内閣支持率が横ばいにとどまったケースが散見され、政権浮揚への効果は限定的だったようだ。長期政権を実現する道筋は藪の中と言って良い。しかし岸田が今回、上川カードを切ったことは、局地的にしろ「人事好き岸田」の本領を垣間見せた。このわずかな糸口を、来秋の総裁選勝利に向けた光明につなげることができるのか。見ものである。(敬称略)

冬木陽一/政治アナリスト

デイリー新潮編集部