9月11日に行われた内閣改造人事で、当初初入閣の方向で調整・・と報じられた三原じゅん子参議院議員(54)の名はなかった。一説には、入閣候補議員に行われる“身体検査”で引っ掛ったなんていう声も出ているが、真相ははっきりしない。

 せっかくなので、改めて、彼女の来し方を振り返ってみよう。

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〈昭和39年9月13日、私は東京都板橋区にある都立豊島病院で生まれました。赤ちゃんの時の私って、とにかく小っちゃかったそうなの。顔も小っちゃくて、とても可愛かったんですって。〉(註:以下、引用に関しては改行を省略)

 とは、1980年に出版された三原の処女作「片恋いのラブレター あなたに伝えたい」(KKベストセラーズ)の本文冒頭である。この前年、「3年B組金八先生」(TBS)の第1シリーズに、山田麗子役で出演したのが彼女だった。茶髪の聖子ちゃんカット、ロングスカートの制服に腕まくりという、ツッパリを演じて人気者に。リンチシーンにおける「顔はやばいよ、ボディーをやんな、ボディーを!」のセリフは、今でも語り種(ぐさ)となっている。その後、アイドルとなっても、ツッパリ路線を貫いていく。

 だから、この著書も他のアイドル本とはちょっと様子が異なる。小学校時代は〈人見知りな女の子〉である反面、〈とにかく喧嘩っ早い女の子で有名〉だったそうで、その暴れん坊ぶりときたら〈小学校4年になった時には、女の子では私に逆らう子は1人もいなくなったほどです。私がみんなを従えて、1日1人の割で男の子を殴って泣かしてた〉という。小学生のときから山田麗子だったのだ。

 その後、私立中学へ入学したが、芸能活動が認められていなかったために区立中学へ。

山田麗子そのもの

〈初めて近所の学校へ通うことになったんですけど、みんな顔見知りの子でも、私は生意気だって嫌われていたから、友達なんか1年間ぐらい出来なかったの。(中略)転校して、友達もいないし、一人ぼっちで、真面目でいるっていうことは、私にとってちょっときつかったの。〈もういいや、ツッパってやろう〉そう思ったの。志村一中は、真面目な子ばっかりだったから、すごく目立ってた……。スカートを長くして、カバンはペッタンコ。授業中も腕組んで、足組んで、ふんぞり返って聞いてたの。言ってみれば、『金八先生』の山田麗子みたいな感じでした〉

 高校は、都立代々木高校を受験するも不合格。明大付属中野高校定時制に入学した。ちょうど、その頃に書かれたのがこの著書で、〈今は高校を何としてでも卒業したいと思っています。試験にはカンニングがつきもの。絶対に卒業したい! こんなこと書いちゃいけないかな。でも、先生が読むわけでもないもの、いいんじゃないかしら。それに、もし読んだって、笑ってみのがしてくれますよね、先生!?〉とあるのだか、結局、退学したようだ。

 80年9月、「セクシー・ナイト」で歌手デビューを果たす。他のアイドルと一線を画す雰囲気は“ポスト百恵ちゃん”と呼ばれ、デビューシングルは30万枚以上を売り上げた。

 ところが、その後、彼女の話題は、男が中心となっていくのだ。出演した「ザ・ベストテン」(TBS)で、“恋人がいる”宣言。12月には“ケーキ屋ケンちゃん”こと宮脇康之との交際宣言をするものの、長くは続かず破局。

 続いて「金八先生」第2シリーズの不良役(松浦悟)を演じて人気となった沖田浩之、さらに巨人軍の水野雄仁選手とも浮き名を流し、10代にして“恋多き女”の称号を得た。ただし、宮脇と沖田について彼女は後に「男女の関係はなかった」と言っている。

 そして、この次がミュージシャンの立川利明だ。87年4月2日未明、豊島区の路上で2人してタクシーを降車したところを、写真誌「FRIDAY」が激写。これに激昂した2人は、

〈「フィルムを出せ」といい、ひざげりをするなどして乱暴。さらに三原は今井さんがカメラを抱えて路上にうずくまっているところへ、馬乗りになり、髪の毛をつかんで頭を路上に打ちつけた。2人のカメラマンは約1週間のけが〉(朝日新聞夕刊87年4月2日付)

「女性自身」は、より詳細に伝えている。

〈……奪ったカメラを路上に叩きつけ、止めに入った同行の佐藤龍カメラマンにも殴りかかり、フィルムを抜き取るなど、かなり酒に酔っていたとはいえ、したい放題の暴力行為。揚句の果てにかけつけた目白署員に、現行犯逮捕されたという次第だ。まだ寝静まった早朝、逃げまどうカメラマンを追いかけ30分にも及ぶ大立ち回り。「何人かもみ合って争っているし、大声で“てめえなんかぶっ殺してやる”と叫んでました。女の声でしたが、あれが三原じゅん子だなんて!?」「女の声でした。“てめえに写真撮られたから商売メチャメチャになった”って、確かにそう言ってました」などと半分冗談にしても、かなり迫力ある目撃談が次から次へと出てくるほど。“ツッパリじゅん子の面目躍如と言ったところ……〉(「女性自身」87年4月21日号)

 カメラマンへの暴行は、ボディどころではなかったようだ。ビートたけしによる“FRIDAY襲撃事件”がこの前年12月に起きたばかり。三原センセイ、当時から時流に乗ることに長けていたのかもしれない。ちなみに、この時2人は現行犯で逮捕され、書類送検(後に起訴猶予)されている。

 その後、三原は立川と結婚宣言までしたものの破局。次のお相手として写真誌「FLASH」(89年3月7日号)が報じたのが、「三原じゅん子&マイケル富岡、熱愛デートの現場!」だった。

 だが、翌90年10月25日に、三原はレーサーの松永雅博との婚約、さらに妊娠2カ月であることを発表する。当時を知る芸能記者は言う。

「三原は87年頃からカーレースに夢中になっており、婚約発表の半年ほど前にレースでコンビを組んだのが出会いのきっかけでした。デキ婚となるはずでしたが、この発表の2日後に流産してしまいます。11月5日に入籍するのですが、その3日後に行われたレースで、彼女は激突事故を起こし、左の肋骨を折り、左肩甲骨にヒビが入る全治1カ月のケガを負います。まさにレースのように目まぐるしい結婚生活となりました。しかし、レーサー夫婦の生活は大変だったのかもしれません。彼女もスポンサー集めに苦労していると語ったことがありますし、94年には荒木経惟氏撮影のヘアヌード写真集『Junco』(KKベストセラーズ)も発売します。91年に始まったヘアヌードブームからはちょっと遅れますが、その頃まだ新婚でしたからね。結局、この夫婦は、99年に離婚することになるのですが……」

大勲位を批判

 ちょうど夫婦関係が上手くいかなくなっていた頃だろうか。「週刊女性」(97年12月9日号)の「こんな政治家、私だったらゼ〜ッタイ抱かれたくない!」という企画において、彼女は珍しく政治について発言している。

〈生理的に嫌なのは中曽根康弘さん。あのバーコード。無理やり作ってる気がしません? 若い時はまだ分け目もはっきり中央寄りだったのが、今では横から無理やりって感じで、風呂上がりは見たくない。それに政治家は一応、国の代表ですから、国会中継でテレビに映されてるときくらいはシャンとしてほしい。同じ日本人として恥ずかしくなります。(中略)テレビを見てても、1人じゃちゃんと歩けないようなヨボヨボ議員が多すぎます。なんかあると派閥、派閥って。そんなことだから昔の政治をいつまでも引きずって、決していい方向に進まないんじゃないかなあ。もう、ああなると男の魅力、ありませんよ。生きた化石。いつまでも昔の形を引きずってやってる。魅力が感じられないですよね。そんな政治家なんて関心もありません〉

 現在では自民党参議院の大先輩・中曽根弘文議員の父君である大勲位をつかまえて、生きた化石だなんて……。とはいえ、政治家となった彼女のテレビ映りはバッチリである。

 99年5月27日、三原は都内のホテルで会見を開き、松永との離婚を発表。と、同時に、巨人の投手コーチとなっていた水野雄仁との交際にも言及している。

「水野のことを『一番大切な人です』と発言し、離婚発表なのか交際宣言なのか分からない会見でしたね。10代の頃に噂となった水野もバツイチで、焼けぼっくいに火が付いた印象でした。また、ちょうどこの頃は、石橋貴明と鈴木保奈美、松田聖子と年下の歯科医など、芸能人の再婚が相次いだ時期でした。ただ、彼女の場合は、これもまた一筋縄にはいきませんでしたけど」(同・芸能記者)

 同年11月、彼女は再婚するのだが、その相手はお笑いコンビ「アニマル梯団」のコアラ(のちにハッピーハッピーに改名)だったのだ。

「再婚の発表は、翌年1月にフジテレビで行われたツーショット会見でした。出会いは、水野との交際宣言の翌月、テレビでの共演だそうです。当然、二股疑惑の質問もあったわけですが、『水野さんには彼との出会いからすべてを話していました』と否定し、結婚を決めた際も『頑張れよと励まされました』と言われたそうです。では、あの交際宣言は何だったんだと思わざるを得ない会見でしたね」(同・芸能記者)

 結婚当初、2人のアツアツぶりは話題となり、芸能界一のおしどり夫婦としてテレビでの共演も増えた。ところが結局、コアラとは2007年9月に離婚。夫の浮気が原因とされた。だが、43歳となったじゅん子姐さんは懲りない。翌年には、「FRIDAY」(08年2月8日号)が「熱愛スクープ ハッピーハッピー。と離婚してわずか3カ月 三原じゅん子『新恋人バックバンドと激愛&婚前旅行」とのタイトルで、11歳年下のミュージシャンSATOSHIとオーストラリアへ向かうところを報じている。

「彼女のバックバンドでキーボードなどを務めていたSATOSHIこそ、のちに三原議員の公設第1秘書となる山口智之氏です。彼女は交際については否定していましたが、当選後に、配偶者を公設秘書にできないため、交際相手を公設秘書にするのは如何なものかと報じられ、私設秘書にしたという経緯があります」(同・芸能記者)

 08年は、子宮頸がんを患い子宮を全摘出することに。この経験を元に、彼女は以後、がん対策などに取り組んでいく。

 とはいえ、男は別腹だろうか。10年、またまた「FRIDAY」(2月12日号)が、「3度目の結婚へ!三原じゅん子『45歳で掴んだ幸せ』 かわいい女の子から『ママ』と呼ばれる生活を満喫中」と報じた。前年の「川中美幸公演」に彼女が出演した際の舞台監督と、交際がスタート。舞台監督には娘がおり、三原は彼女から「ママ」と呼ばれて、結婚目前という話だった。

 ところが、その直後に自民党が彼女に参院選出馬を打診していることが報じられた。政治部記者が言う。

「この前年に民主党が政権与党となりますが、その頃から三原さんは自身のブログ内で政治的発言をするようになりました。政権交代直前の民主党代表選に対し彼女は、〈テレビを見ていたら、民主党は情けないなー。岡田さん!本音を言ってくれたら応援したのに〉〈ガッカリだよ、民主党!〉などと書き込み、8月の衆院選で自民が敗れた時には、〈自民党は全員ダメ 民主党なら誰でもいい この風潮が怖いと私は危惧しています〉。さらに〈農林水産大臣の石破大臣が圧勝しただけでも私はホッとしました〉などと根っからの自民党贔屓であることをアピールしていました」

 そして正式に自民党から比例代表での公認が決まる。当時、「三原じゅん子、参院選出馬!政界殴りこみ」と報じたのはサンケイスポーツだ。

〈“ツッパリキャラ”で一世を風靡した女優、三原じゅん子(45)が夏の参院選に自民党の比例代表候補として出馬することが7日、分かった。テレビドラマ「3年B組金八先生」の不良少女役が人気となり、タレントや歌手として活躍。最近では自身のがん体験を生かし、都内に介護施設を開業した。選挙戦では社会保障制度に取り組む姿勢をアピールする。「金八先生」で見せたドスのきいた声と貫禄たっぷりの演技。民主党の「小沢ガールズ」に対抗する目玉候補として自民党が射止めたのは、かわいいだけのアイドルではない、“元ツッパリ”の個性派女優だった……〉(サンケイスポーツ10年4月8日付)

安倍推しに転身

 彼女は「二足のわらじを履けるほど国会議員の仕事を甘くは考えていない」として、当選した場合は、女優を引退すると宣言し選挙活動に取り組んだ。ある意味、立派である。

「出馬が決まった時にも、彼女の紹介は『金八先生』ばかり。その後、女優として代表作と言える作品に出合えなかったわけで、女優業引退に躊躇はなかったでしょうね。むしろ、それを武器にして、柔道と議員活動の両立を宣言していた民主党のヤワラちゃん・谷亮子を、『死ぬ気でやっているほかの候補に失礼だ』などと批判。敵を想定した戦い方は大したものでした」(同・政治部記者)

 まさにケンカを売るヤンキー選挙。およそ16万8000票を獲得して見事当選した三原議員、その後の動きも素早かった。翌年「週刊新潮」(11年3月17日号)のグラビアでは趣味のプラモデルを披露している。

「カーレースが趣味というのは知っていましたが、プラモデルは初耳でしたね。しかも、夢中になっているのは戦艦大和や護衛艦といった軍事モノという。それじゃあ、石破さんの趣味そのままですからね。彼女が国会で発言した“八紘一宇”も石破さんの歴史観の影響という声もあります。ブログでも石破さん推しだったように、12年の自民党総裁選では彼女は石破さんに投票しました」(同・政治部記者)

 そして参院2期目となる16年7月の選挙では、比例ではなく神奈川県選挙区から出馬した。
 
「実はこの時、自民党からの公認がなかなか下りませんでした。というのも、彼女が総裁選で安倍さんではなく石破さんを支持したからです。もともと安倍さんのお気に入りだっただけに、裏切り者と見なされるようになっていたんです。彼女らしくない見込み違いでしたが、なんとか公認をもらえて、当選できたわけです」(同・政治部記者)

 さぞやつらい選挙戦だったかと思えばそうでもない。16年10月には、24歳年下の公設第2秘書だった中根雄也氏との再々婚も発表された(結婚時、中根氏は私設秘書)。参院選で彼女の選挙スタッフとして働いた縁で、8月から交際に発展、9月に公設秘書となり、すぐに同棲をスタートしたという。

「ツッパリなのか、肉食なのか分かりませんが、切り替えの速さは見事と言って良いかもしれませんね。2期目に入った彼女、その後の安倍推しは見事ですよ」(同・政治部記者)

 その証明とも言えるのが、今年6月24日、参議院本会議で彼女が、問責決議案を提出された安倍首相を庇い、返す刀で野党を叱りつけた迫力の演説だ。

〈……政権交代から6年余り。民主党政権の負の遺産の尻拭いをしてきた安倍総理に、感謝こそすれ、問責決議案を提出するなど、全くの常識外れ、愚か者の所業とのそしりは免れません。野党の皆さん、もう一度改めて申し上げます。恥を知りなさい!〉

 こうした功績もあって、初入閣の声が出たようだ。ところが、コンプライアンス厳しき時代、昔の話とはいえ、筋金入りのツッパリ人生ですね……。

週刊新潮WEB取材班

2019年9月12日 掲載