2019年も間もなく終わろうとしている。平成から令和に変わった節目の年とはいえ、それは昭和から連綿と続く「戦後日本」の延長線上にあることに違いはない。戦後の日本がいかに変わったか、それとも変わらなかったのか。

 その生き証人たる人物が今年もまた一人亡くなった。11月29日に101歳の天寿を全うした中曽根康弘元首相だ。中曽根はその自伝『自省録―歴史法廷の被告として―』(新潮社刊)の中にこのような言葉を残している。

「政治家は歴史法廷の被告である」

 もはや名言として独り歩きするほどの言葉だが、それは自身に向けての自戒であるともに、後輩政治家たちへの箴言と捉えるべきだろう。

 軍人、政治家という“身分”で昭和、平成を駆け抜けた中曽根は、数多くの中枢の「秘密」を見てきた。その中にはまもなく明らかになったものもあれば、文字通り「焚書」となったものもある。海軍少佐で終戦を迎えた彼は、終焉を迎える日本軍の中で次々に打ち捨てられてゆく「秘密」の束を目の当たりにしただろう。政治家になってからも政争しかり、レーガンとの交渉しかり、様々な「秘密」の当事者であった。

 そんな中曽根のことを思い返すと、彼が最後に見ることになった安倍政権、ことに「桜を見る会」であり「モリカケ」問題をどう捉えていたのか考えてしまう。程度の違いこそあれ、これもまた政治の「秘密」であり「焚書」である。

 証拠そのものを断っても、やがては「歴史法廷」で裁かれることになると言いたかったのか、それとも隠し通すこともまた可なり、と言いたかったのか、それとも……。

 死者の思いをわずかでも忖度するために、中曽根より遡ること8代前の首相、岸信介についての、あるエピソードを紹介しよう。ちなみに中曽根は第2次岸改造内閣で科技庁長官として初入閣を果たしている。

〈米国立公文書館には、日本の戦争犯罪記録に関する資料が人物ファイルの形で保管されている。(中略)CIAなど米情報機関が作成した日本人の個人ファイルで、「吉田茂」「正力松太郎」「児玉誉士夫」「昭和天皇」「辻政信」「緒方竹虎」ら数百人の日本人ファイルの中に、「岸信介」もあった。しかし、「岸信介」ファイルは拍子抜けするほど中身がなかった。ファイルにはCIAが作成した資料が5枚しかなく、経歴など一般情報が書かれているだけだった。「緒方竹虎」は約千ページ、「正力松太郎」も約500ページあるが、「岸信介」ファイルには、「Not Declassified」(不開示)とだけ書かれた紙が一枚挟まっており……〉

米大使にカネをせびる佐藤栄作蔵相

 これは時事通信記者として30年にわたり米露の公文書館に通いつめ、対日関係文書をつぶさに調査してきた名越健郎・拓殖大学教授の著書、『秘密資金の戦後政党史』(新潮社刊)に記された一節だ。岸信介が死後30年を過ぎてなお、特別扱いされていることに驚くが、同書には引き続き次のようなエピソードが紹介される。

〈総選挙から2カ月後の1958年7月、岸の実弟で、岸内閣の蔵相だった佐藤栄作が米大使館員と会い、資金援助を求めたことを示す文書が米国立公文書館に保管されている。(中略)佐藤は59年夏の参院選用の資金援助を米側に求めたとみられ、資金援助の実態をうかがわせる文書だ。この文書の機密指定が解除されたのは、90年6月16日と記載されており、(中略)「30年ルール」に沿って機密解除された。〉

 そして、指摘する公文書には以下のような生々しいやり取りが記載されている。

〈『……佐藤氏は、こうした状況を踏まえ、共産主義との闘争を続ける日本の保守勢力に対して、米国が資金援助をしてはどうかと打診してきた。また、「もし米側が同意すれば、この件は極秘扱いにし、米国には何の迷惑もかけないよう処理する」と述べ、資金受領の担当者を川島正次郎(党幹事長)にする案を示した。』〉(米公文書番号794 00/7-2958より名越氏訳)

 時を経て文書によって「歴史法廷」に立たされる大叔父と、いまだ免れ続ける祖父。そして大往生を遂げた中曽根元首相の脇には外相として日米交渉にあたった父・安倍晋太郎が立っている。

 安倍首相の2020年の初夢に現れるのは、いずれの姿であろうか。

デイリー新潮編集部

2019年12月29日 掲載