「目立ちたがり屋」の批判

 周知のように、公職選挙法違反容疑で、前法相の河井克行[広島3区](57)、妻で参院議員[広島県選挙区]の河井案里(46)両容疑者が逮捕された。前代未聞の事態に、自民党内からも怒りの声が上がっているようだ。

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 毎日新聞は7月2日、「河井・前法相夫妻:1.5億円、自民内波紋 重鎮ら憤り 河井夫妻に提供」の記事を朝刊に掲載した。内容の一部をご紹介しよう。(註:全角数字を半角数字に改めるなど、デイリー新潮の表記法に従った、以下同)。

《(編集部註:河井夫妻が)支部長を務める政党支部に自民党本部が提供した計1億5000万円が、党内に波紋を広げている。執行部はさらなる党員獲得を指示するが、所属議員らは「それどころではない」と悲鳴を上げている》

《「今どき票をカネで買うということがあっていいわけがない」。自民党の石破茂元幹事長は1日、テレビ朝日の番組で河井夫妻を批判した》

《6月30日の自民党総務会では、党員120万人獲得を目指す運動方針を提案した執行部に対し、村上誠一郎・元行政改革担当相や石原伸晃元幹事長らベテランが「どういうカネなのかしっかり説明しないと党員獲得どころか、やめる人が続出している」などと突き上げる場面もあった》

 事件は夫の克行容疑者が主導的役割を果たしたとされる。改めて、彼の経歴を確認しておこう。

 1963年3月、広島県三原市に生まれ、広島学院中学校・高等学校を経て、85年に慶應大学法学部を卒業した。

 その後、松下政経塾に第6期生として入塾、卒塾すると地元に戻り、91年に広島県県議会選挙で初当選を果たした。

 93年に衆院選に自民党公認で出馬するが落選。96年に再挑戦し、リベンジを成し遂げた。そして2012年の自民党総裁選では安倍晋三首相(65)を支持。17年の総選挙では7回目の当選を果たした。

 河井克行という政治家が、一般の有権者にも知られるようになったのは、19年9月、法務大臣に就任した時だろう。

 新内閣が発足し、新しい閣僚の顔ぶれが明らかになると、日刊紙や通信社は「閣僚横顔」の記事を掲載する。ところが、この時、一部の大手全国紙は、河井容疑者の記事に相当嫌味な一文を忍ばせている。

 朝日新聞(「第4次安倍再改造内閣 閣僚の横顔」:9月12日)は、《ワシントン訪問は30回を超え、米議会に幅広い人脈を持つが、畑違いの法相としての力量は未知数だ》と評したが、これはまだ可愛い方だ。

 時事通信(「閣僚横顔=第4次安倍再改造内閣」:9月11日)は、《党内からは「協調性に欠ける」との評もあり》と人間性に疑問を示し、読売新聞(「第4次安倍再改造内閣 閣僚の横顔」:9月12日)に至っては《党内からは「目立ちたがり屋」とやっかむ声も》と辛辣だった。

 当然ながら、本人も記事をチェックしている可能性が高い。時事や読売はずいぶんと思い切ったことを書いたが、今になって考えると、両社の報道はある意味、正確だったようにも思えてくる。

“出禁”の理由

 朝日新聞が「米議会に幅広い人材を持つ」と紹介したように、河井容疑者は外交分野を得意としているようだ。

 法相辞任後の19年11月1日に配信された東洋経済オンラインの記事「法務相も辞任、止まらぬ安倍政権「辞任ドミノ」/閣僚連続辞任で政局の節目変わるきっかけに」(註:泉宏氏の署名記事)でも、《日米外交での首相の密使役も務めるなど、首相の懐刀としても活動してきた》と指摘された。

 ならば、外交関係者は河井容疑者のことをどう見ていたのだろうか。ある外務省関係者に取材を依頼すると、「何と言っても、ホワイトハウスを出入り禁止になった男ですよ」と、いきなり一刀両断する。

「首相補佐官として渡米、米政府高官と会談した際、内容を日本の記者団にあまりペラペラ喋るから、アメリカ側を『河井氏では機密保持に問題が生じる』と激怒させ、ホワイトハウスから事実上の出入り禁止を食っています。要するに国益より、自分のことをマスコミに書いてもらうことを優先してきた政治家です」

 時事通信の《協調性に欠ける》や、読売新聞の《目立ちたがり屋》という記述は、かなり正鵠を得ていたようなのだ。

 データベースで全国紙の報道を振り返ってみると、河井容疑者は2014年頃から、渡米してホワイトハウスの関係者などと会談を持ったという記事が目立つようになる。

 集団的自衛権の行使容認、親ロシア派の武装勢力によるマレーシア航空機撃墜事件、イスラム国による日本人人質の身代金要求問題――こうした大きな事案が発生すると、必ず河井容疑者がアメリカの高官と会談を持ち、意見交換を行った内容が新聞記事となっている。

 当時の河井容疑者は単なる自民党議員で、何の肩書もない。異例の露出と言っていいだろう。

 河井容疑者が「ふるさとづくり推進および文化外交」の首相補佐官に抜擢されたのは2015年10月。第3次安倍改造内閣においてだった。

 ここでデータベースを調べてみると、興味深いことが浮き彫りになった。首相補佐官としてもう1つの仕事である「ふるさとづくり推進」に関する報道が極めて少ないのだ。

 朝日、読売、毎日、産経、共同、時事、NHKの記事を『河井 首相 補佐官 外交』で検索すると324件がヒットする。だが、検索ワードを『河井 首相 補佐官 ふるさとづくり』に変えると、たったの8件しか出てこないのだ。どれだけ『外交を担当する首相補佐官』のイメージを重視していたか分かる。

法相でも“外交”に執着

 その上、8件の記事は就任を報じるものと、首相動静、そして退任の時という節目節目のものでしかない。具体的な活動内容を扱った記事は皆無なのだ。

「河井容疑者は、よほど“外交担当の首相補佐官”という肩書に執着があったようです。17年8月、自身のブログに『内閣総理大臣補佐官を退任いたしました』との記事を掲載しました。そして外交については《30回の海外出張で延べ44ヶ国を訪れました。行き先は多い順に、11回のワシントンD.C.、4回のフィリピンとケニア、3回の英国、2回の豪州、ドイツ、フランス、バチカン、そしてインド、ベトナム、シンガポール、ブータン、ハワイ、カナダ、イタリア、イラン、アラブ首長国連邦、エジプト、トルコ、エチオピア、ガーナ、モザンビーク、南アフリカ共和国へは1回づつ》と嬉々として羅列しています。一方の『ふるさと』についても同じように訪問地を列挙しましたが、《委員の皆さまと一緒に訪れた滋賀県長浜市、沖縄県久米島・伊是名島、北海道帯広市・大樹町、島根県隠岐》としか記しませんでした。明らかにテンションが違います」(同・記者)

 河井容疑者のブログは19年10月29日を最後に更新されていない。ちなみに法務大臣を辞任したのは同月の31日だ。

 現時点で最後の記事は「法務大臣就任以降、各国の要人が来訪しています」というタイトルで、本文では《“世界に広がる法務行政”を展開しています》と自画自賛していた。

週刊新潮WEB取材班

2020年7月8日 掲載