「加藤の乱」を経験

 解散を決断し、自信に満ち溢れた表情を見せた岸田文雄新総理。勝利の背景には、SNS戦略に広報のプロを採用するなど入念な準備があったのだという。

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 大学受験では3度、東大に不合格となり、早稲田大学へと進学。卒業して日本長期信用銀行に入行後、5年の勤務を経て、父である岸田文武衆議院議員の秘書として働くことになる。

 31歳の時、地元広島のマツダで役員秘書をしていた裕子夫人とコタツを囲んでお見合いし、結婚。3人の息子に恵まれた。

 1993年、まだ中選挙区時代の旧広島1区から出馬し、初当選。2000年には、当時の派閥領袖だった加藤紘一元幹事長による「加藤の乱」を経験する。若手議員だった岸田総理らは内閣不信任決議案に賛成しようとし、森喜朗総理に退陣を迫るも、党本部の切り崩しで鎮圧されてしまうのだ。

 岸田総理と同じ派閥(宏池会)に所属し、総理とは縁戚関係にある広島県選出の宮沢洋一参院議員は、

「岸田さんの加藤さんについていこうという気持ちは私より遥かに強かったと思います。加藤さんは熱病を患っていたような感じだった。加藤さんが“桶狭間だ!”と言って走り出しても、桶狭間がどこかわからなかったと言っていた議員もいました。当時はとにかく、加藤さんが突っ走って、周りはそれについていくのに精いっぱいだったんです」

 この戦いを通じて岸田総理は「負け戦をしてはならない」という教訓を得たとされている。

アドリブでの炎上が多かった河野氏に対して岸田氏は……

 12年、古賀誠元幹事長から宏池会会長の座を継承するも、権力の椅子にはなかなか手が届かず。18年には総裁選出馬を断念。安倍総理からの禅譲を期待しているとその“腰砕け”ぶりも報じられた。20年の総裁選では菅前総理に敗北し、「岸田は終わった」と陰口を叩かれた。ではなぜ今回の総裁選で勝利できたのか。実にフシギだが、宏池会の議員はこう分析する。

「結局、入念に準備できていたのがうちの会長だったということでしょう。政策も会見の原稿も議員を含めて打ち合わせをし、しっかり準備してきました。河野太郎さんはテレビや会見の質疑応答でアドリブも多く、炎上してしまった感がありましたよね」

俳句や短歌のようにツイート内容を熟考

 確かに敵失という僥倖もあった。さらに、前回の敗戦から今回に至るまで、外部からアドバイスしてきたのが、共同PR総研所長の池田健三郎氏である。

 その池田氏によれば、

「私は昨年8月頃からこの総裁選まで岸田さんの広報戦略のアドバイザーを務めていました。岸田さんはそれまで発信力が課題で、昨年からプロをつけてしっかり取り組もうと岸田陣営から依頼を受けたのです。この1年で注力してきたのはテレビ、新聞、雑誌における目線や立ち居振る舞いなどで、SNSを中心に全般的なアドバイスをしてきました」

 特にツイッターに関して、こう言う。

「実は岸田さんがツイッターアカウントを開設したのは去年の4月のことなんです。人気商売である政治家が、つい最近までツイッターをやっていなかったというのは正直驚きでした。岸田さんは非常に真面目な方で、ツイッターを始めるにあたり、トランプ大統領のツイッターの使い方を気にされていました。“ツイッターを始めるとやめられなくなるのでは”“トランプ大統領のように不穏当なツイートをして、拡散してしまうのでは”という思いを抱いていたようです。それもあり、ツイッターを始めるときには、周辺の人からも説得をしたようです」(同)

 真面目さが一周回って、周囲から笑いすら起きてしまいそうな話だが、総裁を目指す以上、プライベートを見せる覚悟を決めなければと、家族とのエピソードの発信にも踏み切った。

 池田氏が続ける。

「政治家の中にはツイートを秘書に任せている人も多い中、岸田さんは文面をご自身で練られています。まるで、俳句や短歌を考えるように言葉を吟味し、熟考しているのです。岸田さんのツイートは“AではあるがBの面もある”というような多面的な視点から作られた文面が多く、深みを感じさせます」

「週刊新潮」2021年10月14日号 掲載