産経新聞(電子版)は11月24日、「立民代表選、迫力欠く論戦 参院選に不安」との記事を配信した。

 ***

「迫力欠く論戦」という見出しに、同感だという人は多いだろう。産経新聞は論戦が低調な理由として、4候補の《主張が似通っている》と指摘した。

 Twitterでも《どうして4人は同じことばかり言うのだろう》、《4人の差が日を追うごとに無くなってきている》といった不満が目立つ。担当記者が言う。

「有権者が関心を示している大きなテーマに、共産党との連携をどうするのかという問題があります。ところが4人の候補は、今後の連携に関して、いずれも“奥歯に物が挟まったような”発言を繰り返すだけです。これでは代表選の論戦に期待できるはずもありません」

 4人はどんな発言を行ったのか、具体的に見てみたい。だがその前に、立憲民主党と共産党の連携が行われた経緯を振り返っておこう。

「今回の衆院選で、立民、共産、れいわ新選組、社民党の野党4党は政策協定を結び、候補者一本化を進めました。国民民主党は協定に参加しませんでしたが、候補者の調整には加わりました」(同・記者)

不発だった野党共闘

 政策協定で問題視されたのは、共産との“閣外協力”だった。もし衆院選で立民が政権交代を成し遂げた場合、共産から「限定的な閣外協力」を得ると合意したのだ。

「これを無党派層が嫌がっただけでなく、立民の支持層も離れました。特に最大の支援団体である連合には“共産アレルギー”があります。10月31日の衆院選では候補者の一本化が功を奏し、野党候補が番狂わせ起こした小選挙区もありました。しかし比例では、立民の支持層が日本維新の会や国民民主に投票したと分析されています」(同・記者)

 結果、維新は30議席も上積みし、41議席と躍進した。国民民主も3議席を増やして11議席となった。

 一方の立民は13議席を失い、96議席という結果に終わった。大手メディアも「立民惨敗」、「野党共闘不発」と大きく報じた。

 立民の敗因とも言える共産との連携を、今後はどうするつもりなのか。では4候補の主張をご紹介しよう。

 11月22日、4候補は日本記者クラブが主催する公開討論会に出席した。そこで共産党との連携について問われている。

 NHK NEWS WEBは同日、「立民代表選 共産との連携 憲法改正論議などで論戦 公開討論会」の記事を配信した。

4人の主張とは?

 記事によると、4候補者は共産党との連携を「間違ってはいなかった」と総括。その上で、「見直すべき点がある」と訴えた。4候補の発言を、年齢の若い順に紹介しよう。

 泉健太・政務調査会長は1974年生まれの47歳。京都3区・当選8回。立命館大法学部を卒業後、福山哲郎・幹事長(59)の秘書を経て、2003年に初当選を果たした。

《衆議院選挙で野党政権だとか、政権交代だということがどんどん発信されたが、本当に国民が求めていたメッセージだったのかという点も含めて、各党がどう訴えていくか合わせる必要がある》

 小川淳也・国会対策副委員長は1971年生まれの50歳。香川1区・当選6回。東京大学法学部を卒業後、自治・総務官僚を経て、2005年に初当選を果たした。

《「野党共闘」ということばが何を意味するのかが伝わらなかった。1人区の候補者調整は必要だが「共闘」を言うのであれば、政策的な議論、それを丁寧なプロセスで行うこと、そして国民的な理解が必須》

 西村智奈美・元厚生労働副大臣は1967年生まれの54歳。新潟1区・当選6回。新潟大学法学部・同大学院法学研究科を修了後、大学の非常勤講師、新潟県議会議員を経て、2003年に初当選を果たした。

《他党の支持者が、立憲民主党の候補者の名前を書いてくれたことは、大変大きな成果だ。ただ、基本的な政策が異なることも踏まえたうえで、地域事情も含め丁寧にやっていく必要がある》

 逢坂誠二・元総理大臣補佐官は1959年生まれの62歳。北海道8区・当選5回。北海道大学薬学部を卒業後、ニセコ町役場に入庁。ニセコ町長を経て、2005年に初当選を果たした。

《限定的な「閣外からの協力」で合意したことは事実として残っているが、次の選挙に向けては、もう一度話し合いがスタートする。どういう構えで立ち位置を確保するかは、丁寧に議論したい》

共産の「武装闘争路線」

「要するに4候補は『今後、丁寧に議論します』としか言わなかったわけです。『私はこうします』という明確な発言は一つもありませんでした。立民の支持者でも失望するレベルでしょう。こんな体たらくですから、無党派の有権者が立民の代表選に関心を持つはずもありません」(同・記者)

 一方の共産党は、全くぶれていない。読売新聞(電子版)は11月27日、「『今の選挙制度で政治を変える道は共闘しかない』…共産・志位氏、参院選でも野党共闘目指す方針」との記事を配信した。

《共産党は27日、党本部で第4回中央委員会総会(4中総)を開いた。志位委員長は幹部会報告で、先の衆院選で立憲民主党と結んだ「限定的な閣外からの協力」の合意について、「誠実に順守し、野党共闘を前進させる」と述べ、来年夏の参院選でも立民との共闘を目指す方針を強調した》

 だが参院選で「限定的な閣外からの協力合意」を「誠実に順守」すれば、立民に待っているのは衆院選の二の舞だろう。

 そもそも、どこまで共産が現実路線を歩むつもりなのかという疑問は、有権者の間に根強い。

 歴史を振り返れば、1951年に共産は武装闘争路線に舵を切り、警察官を殺害したり、過激なデモを行ったり、火焔瓶で警察署を襲撃したりした。

 だが、この路線は国民の支持を失い、52年の衆院選と53年の参院選では公認候補者が全員落選してしまう。

 55年に武装闘争方針は放棄されたことになった。だが、武装闘争を完全に撤回したかどうかは異論も多い。警察庁の公式サイトには「暴力革命の方針を堅持する日本共産党」という解説ページが公開されている。

 公式サイトなどに掲載されている「日本共産党綱領」には、日米安保の破棄、米軍と米軍基地の撤退、自衛隊の解消などが言及されている。天皇制廃止も否定はしていない。

「立民共産党」キャンペーン

 政治アナリストの伊藤惇夫氏は「総選挙の前、立民が有権者の考えを読み誤ったことが惨敗につながり、そのショックが今でも尾を引いているのです」と言う。

「総選挙の前に行われたどの世論調査でも、有権者が『政権交代』など求めていないことは明白でした。『与野党が伯仲してほしい』という希望が最も多かったのです。しかし枝野幸男代表(57)は、政権奪取を前面に押し出す選挙戦術を採用しました。一部のマスコミが『政権選択選挙』と報じたことに、乗せられてしまったのかもしれません」

 当初、有権者は“自民党にお灸を据えよう”と考えていた。だが、枝野代表は連日のように「政権選択の大決戦」などと力み返る。次第に違和感は強くなっていく。

「有権者が『政権交代なんて頼んでないよ』と困惑したのは当然でしょう。まして限定的だろうと何だろうと、共産との閣外協力に踏み込んでしまえば、立民の支援者でさえ“ドン引き”してしまいました。更に自民に『立憲共産党』とネガティブキャンペーンを行わせる材料を与えてしまったのです」(同・伊藤氏)

共産抜きでは勝てない立民

 伊藤氏は立民の敗北を見ながら、田中角栄(1918〜1993)の言葉を思い出したという。

《山頂を極めるには、敵を減らすことだ。好意を持ってくれる広大な中間地帯を作ることだ》

「衆院選で立民が敗北したのは、『味方を作ろうとして、敵を増やした』からです。共産との連携を有権者は嫌忌し、『好意を持ってくれる広大な中間地帯』は維新と国民民主が抑えてしまいました。これでは立民が選挙に勝てるはずもありません」

 来年の夏には参院選が行われる。共産党との連携をどうするかは、まさに喫緊の課題だ。

「参院選の勝負所は1人区です。野党が勝つためには、もちろん候補者調整は必要です。調整に怒っている有権者はいないでしょう。有権者は『必要以上に共産党と連携せず、最後は党の実力で選挙を戦ってください』と立民に求めているだけです。極めて真っ当な要望でしょう。にもかかわらず、4人の候補者が有権者の声に応えられないのは、自分たちだけで参院選に勝てる実力がないと分かっているからです」(同・伊藤氏)

“お利口さん”な4人

 更に現在の立民では、旧社会党系の議員が最大勢力を誇っている。下手に左派を刺激するようなことを言えば、代表選の勝利もおぼつかない。4人の候補者は右顧左眄(うこさべん)し、八方美人的な態度に終始しているというのが実情だ。

「立民の代表選と自民の総裁選を比べてみれば、まさに雲泥の差です。立候補者の数は同じ4人ですが、自民の論戦は盛り上がりました。河野太郎さん(58)は敗れたとはいえ、原発や年金の政策では独自の主張を展開しようと努力していました。できる限り、自分が言いたいことを言おうとしていたのです。翻って立民の4候補者を見てみると、言いたいことを言っている人は誰もいません」(同・伊藤氏)

 伊藤氏は4候補者を「お利口さん」と評する。誰ひとりとして「共産党との連携は維持します」とも「共産党とは決別します」とも言わないのは、お利口さんだからだ。

「お利口な人は、自分の発言がどんな影響を与えるのか、全て計算してしまいます。だから言質を取られないよう、口が重くなるのです。4候補の言葉が有権者に届かない理由でしょう。しかし、政治家の言葉というものは、もっと豪胆で大胆なはずです。場合によっては後先のことなど考えずに発言し、有権者の心を鷲づかみにするようなパワーに満ちたものではないでしょうか」

意欲しかない候補者

 小泉純一郎・元首相(79)は2001年の総裁選で「自民党をぶっ壊す」と吠え、有権者の度肝を抜いた。そしてぶっ壊すはずの自民党総裁に選ばれた。

「小川淳也さんは、もっと大胆なことができる政治家かと期待していました。しかし、少なくとも現時点では、単なるお利口さんの1人でしかありません。代表になりたいという意欲だけは伝わってきますが、発言は抽象的で、明確性に欠けます。代表選では彼のポリシーや哲学が伝わってこないから、最終的には『なぜ、この人はこれほどまで代表になりたいんだろう』という疑問が残ります」(同・伊藤氏)

 ある報道番組で、伊藤氏は4候補者と対面した。その際、2009年に政権交代を成し遂げられ、下野した時の自民党の話をしたという。

「自民党の国会議員は当選組も落選組も地元に帰り、特に自民党に批判的な有権者と集会を繰り返しました。そして『だから自民党はダメなんだ』と悪罵を投げかけながらも、地元の声に耳を傾けようと必死になったのです。こうした努力を重ねているから、自民党は与党に返り咲くことができた。そんな話をしても、4候補は『それはやらなければ』という反応で、今更感が残りました。立憲民主党の最大の弱点が『足腰』の弱さにあることは自明なのに。これでは当分、自民党の牙城に迫ることは難しいでしょうね」

デイリー新潮編集部