「安倍先生のご遺志を引き継ぎ、優しく、強い政治家として任期の6年間を全力で働いてまいります」――。7月の参院議員選挙で初当選を果たした、元おニャン子クラブの生稲晃子氏(54)は、当選直後にツイッターでこう呟いていた。しかし、生稲氏が引き継いだのは、遺志だけではなかったようで――。

通用口からこっそりと

 ツイッターでの生稲氏自身のコメントはしかし、冒頭でご紹介した力強い“政治家宣言”以降、パタリと停止してしまう。選挙期間中は毎日のように更新されていたのに、である。

 政治部記者が言う。

「当選直後のインタビューを拒否して、マスコミから総スカンをくらってしまい、それ以降沈黙を貫いていました。8月に開かれた臨時国会の際も、初登院する姿を見せたくなかったようで、カメラが集まる正面入り口を避けて、通用口からこっそりと入っていきました」

 そんな彼女が再び注目を集めたのは、8月中旬のことだ。生稲氏が6月に、萩生田光一政調会長に伴われて、「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」の関連施設を訪問していたことを、「週刊新潮」がスクープ。生稲氏は事実を認めたものの、“統一教会の関連施設という認識はなかった”と弁明し、再び“なんでこんな人が議員に”“辞職を求める”と批判の声が巻き起こった。

強力な助っ人

 自民党幹部が続ける。

「報道以降、永田町でも、彼女の話題を聞かなくなったし、党本部でも議員会館でもまったく見かけなかった。本当に当選したのかというくらい姿を現さなかったですね。よほど、マスコミが怖くなったのではないでしょうか」

 ところが、である。生稲氏は9月に入るや、突如ツイッターを再開し始めたのである。以下、彼女のツイートを引用する。

〈東京都のがん研究の中核病院であるがん研有明病院を視察してきました。トータルケアへの取組と現状をお聞きし、心のケアや治療をしながら仕事ができる環境作りなどトライアングル型支援についての意見交換をしました。様々な課題はありますが、病院・患者さん両方の立場にたって前に進めていきます〉(9月1日のツイート)

〈私が育った町、東京都小金井市にある貫井神社と市杵島神社の例大祭に参加しました。 子どもの頃よく遊んだ思い出の場所です。今年は関係者皆さまのご尽力により、コロナ禍でも細心の注意を払って開催され、市議会議員の吹春先生、遠藤先生、清水先生と共にご挨拶させていただきました〉(9月12日のツイート)

 当選から2ヶ月で、ようやく国会議員として動き出したご様子だが、その背景には、「強力な助っ人」の登場があったと言われている。

統一教会に続いて

 永田町関係者が声を潜める。

「最近、生稲事務所の政策秘書に、安倍元総理の政策秘書を務めていたAさんが就任したんですよ」

 政策秘書といえば、事務所の中で最も重要なポジションであることは言うまでもなく、右も左もわからない新人議員にとっては、永田町を生き延びる頼みの綱でもある。

「1年前の衆院選に、長らく安倍さんの政策秘書を務めた初村滝一郎さんが出馬することになったのです(長崎1区、結果は落選)。そこで代わりにと呼ばれたのが、加藤勝信さん(現厚労相)の事務所で働いていた、Aさんでした」

 ところが、安倍元総理が亡くなったことにより、自動的に政策秘書も失職。

「困り果てたAさんに救いの手を差し伸べたのが、萩生田さんでした。生稲晃子事務所に人手が足りていないから、どうですかと持ちかけたのです。生稲さん側からしても、願ってもないことで、すんなりと話が決まったようです。統一教会に続いて、ここでも萩生田さんが“仲人”になったというわけです」

 参院選では喪章を付けて街頭演説に臨み、凶弾に倒れた安倍元総理のことを繰り返し語った生稲氏。その秘書まで受け継いだ最後の安倍チルドレンは、まもなく始まる国会では、どんな“活躍”を見せるのか――。

デイリー新潮編集部