不振の原因は3点ある

 原辰徳監督率いる巨人のBクラス・4位が確定した。クライマックス・シリーズ自力進出を逃した。昨年の4位に続いて今年も4位、巨人の長い球団史で、同一監督による2年連続Bクラスは初めてだ。屈辱の一語だ。

 原監督は3年契約の3年目の来季まで契約を残しているが、私は言いたい。何といっても成績がすべてだ。

 原監督よ、責任を取って、自分から辞表を出して潔く辞めなさい。新しい人に譲りなさい。これが一番いい。

 巨人が今季Bクラスの4位に沈んだ原因は、大きくは次の3点だと思う。

【1】 開幕からエースの菅野智之が離脱、他の主力選手も活躍できなかった。

【2】 今コラムでもたびたび指摘してきたが、原監督の不可解な用兵・采配。振り返るとこれは多かった。

【3】 岡田彰布監督が率いる阪神が思った以上に強かった。

 さまざまな原因があったとはいえ、この成績に言い訳はできない。

もし巨人ファンにアンケートを取ったら…

 巨人は18年オフ、高橋由伸監督の退任を受けて、原にお願いする格好で3度目の監督就任を要請した。原も受けた。同一監督による3度の監督就任は球団史上初だった。こういう経緯があるから、球団としても「辞めてもらいたい」とは強く言えない。

 いわば、原の気持ちひとつだ。おそらく、自分から辞めるとは思う。4位が確定した時なのか、それとも全日程が終了する10月4日以降なのか、それは分からないが、ハッキリ言えるのはいまが辞め時ということだ。

 これが仮に来季も続投ということになったらファンからの批判殺到は免れない。失望感だけだ。

 今年、今コラムで原監督を擁護し続けてきた。だがファンから「巨人OB」の私に届いた声は辛辣な意見ばかりだった。知人、友人、ファンと会うと必ず巨人の話になる。

「原監督も長いことやってもうマンネリですね」「巨人の野球を見てもつまらない」「4位なんて最悪ですよね」「原は来年もやるんですかね」などなど。だれもが今年の巨人の現状に大きな不満を持っていた。

 私は原の来季の去就に関しては「原の気持ち次第だよ」と応じてきたが、誰一人として好意的なことを言うファンはいなかった。

 もし、巨人ファンに原の去就に関するアンケートを取ったら、おそらく7割から8割が「辞めてほしい」の意見だと思う。圧倒的ではないか、こう感じ取っている。原の野球を受け入れない。拒否している。これが世間の見方だと思う。

打者は基本ができていない

 25、26日のDeNA戦(横浜)で、0対1で連敗した。26日の試合終了後、原監督は本塁が遠かったことについて、「点取りゲームだからね。何かが足りないんでしょうね。このチームには」とコメントしていた。

 考えるに、例えば打者だ。2ストライクに追い込まれる前までは、どんな球を打ったら安打になる確率が高いかを頭に入れて打席に立つ必要がある。ボール球を振らないのは基本中の基本だ。

 巨人の打者たちにはそれができていない。簡単にボール球に手を出す。相手投手を助けている。難しい球を振る。点の取り方が下手な上に、基本を忘れている。心構えがなっていない。

 巨人の得点は大半が本塁打によるものだ。大味である。でも、いい投手にかかるとそうは打てない。DeNAの投手陣は一発を警戒して巨人の打者に対応していた。

 得点にはチャンスでの犠飛、ゴロで走者をかえす、送りバントやヒットエンドランなどのプレーが必要になるが、これがいざ肝心な場面になるとできない。

 岡田監督が率いる阪神には原監督が言う「何か」ができていたと思う。阪神の四球数は484個、巨人は353個、阪神の打者たちがいかに相手投手を見極めていたかだ。

 好球必打。ボール球に手を出さない。得点圏打率が高い。本塁打数は巨人よりもかなり少ないが、得点数は巨人の上だ。

「何か」が決定的に欠けてる

 投手陣にしても阪神のチーム防御率は2.61で巨人は3.47だ。巨人はいいボールを持つ投手が多くいるが、コントロールが悪過ぎるのだ。何度も指摘してきたが、投球の基本は外角低めへの真っすぐだ。

 ここに投げられてこそ、カーブ、スライダー、フォークなどの変化球も生きてくる。外角低めの球を捉えるためにはいい打撃フォーム、しっかりとした構え、振りが必要だ。変化球は多少フォームが崩れても、泳いでも捉えることができる。

 これを忘れてどんな球を投げようかとばかり思って投げている。どんな球ではなく、どこへ投げるかが肝(きも)なのだ。

 今季、原監督に投打でこのような基本的な戦略・考え方があったか。同情する点があったにしても大事な勝負所で「何か」が決定的に欠けていることが露呈した。

 原監督はこの「何か」を分かっているはずだ。大いに反省して、次に監督をやる人に伝えてもらいたい。

 原監督には厳しい言葉になったが、グズグズせずに潔い態度を取ってほしい。巨人OBとしてかわいそうだとも思うが、辞め時であるのは確かである。(成績は28日現在)

柴田 勲(しばた・いさお)
1944年2月8日生まれ。神奈川県・横浜市出身。法政二高時代はエースで5番。60年夏、61年センバツで甲子園連覇を達成し、62年に巨人に投手で入団。外野手転向後は甘いマスクと赤い手袋をトレードマークに俊足堅守の日本人初スイッチヒッターとして巨人のV9を支えた。主に1番を任され、盗塁王6回、通算579盗塁はNPB歴代3位でセ・リーグ記録。80年の巨人在籍中に2000本安打を達成した。入団当初の背番号は「12」だったが、70年から「7」に変更、王貞治の「1」、長嶋茂雄の「3」とともに野球ファン憧れの番号となった。現在、日本プロ野球名球会理事を務める。

デイリー新潮編集部