荒川静香は2006年トリノ五輪で金メダルに輝いた。フィギュアスケートでは日本人初の快挙だった。

「私が始めたころ、フィギュアは華やかな競技ではありませんでした。4年に1度、冬季五輪の時だけ注目される。私が育った仙台ではお客様のたくさん入る大会もありませんでした」

 荒川が静かに振り返る。

「5歳のころ、リンクに遊びに行ったらクルクル回っている女の子たちがいた。私もやってみたい! それがきっかけでした」

 小学生になってNHK杯を見に行く機会があった。

「観客が大勢いて驚きました。でもそのとき私が憧れたのは選手ではなくフラワーガールです」

 荒川が心を奪われたのは、投げ込まれた花を拾う同世代の少女たちだった。

「選手と同じリンクに立てて羨ましいなと。自分が選手になるなんて想像できませんでした」

 現在の人気に惑わされつい忘れがちだが、フィギュアスケートが国民的人気スポーツになったのは、トリノ五輪で荒川静香の演技が人々を魅了したことが決定打になった。続いて浅田真央ら世界的な選手が続々登場。男子も高橋大輔、さらには羽生結弦が出現し、人気は不動のものとなった。1992年アルベールビル五輪銀メダリストの伊藤みどりらスターはいたが、荒川の活躍以前には、五輪以外の大会で国じゅうが騒ぐようなフィギュアの熱狂はなかった。

20歳でやめたかった

 振り返ると、荒川静香のたどった道は、不思議なほどゆったりとしている。

 16歳(高校1年)で長野五輪に出場したのは鮮烈的だが、結果は13位。本人は「出場する夢が叶ったので、すごく達成感がありました」。

 新聞には「惨敗」と書かれたが、荒川自身は満足だった。4年後を期待する周囲にむしろ戸惑った。

「私は大学で自分の生き方を見つけたいと思いました。スケートに縛られず、自分の可能性を探る時間にしたい。20歳くらいで次の生き方が見えたころ、スケートはやりきってやめたい」

 高校を卒業すると自己推薦で早稲田大学教育学部に入学した。競技は2年までと決めた。五輪への執着もさほどなかった。2年後、荒川は五輪出場を逃す。日本代表は恩田美栄と村主章枝だった。それでも荒川には幸福感があった。意外な目覚めが荒川の中で起こっていたからだ。

「2年と決めた最後の1年、自分と向き合って練習したらすごくフィギュアが面白くなった。それで、あと1年やってみたいとなって」

 アメリカに拠点を移した。そして大学を卒業する04年3月、世界選手権で金メダルを獲得する。ますます悩ましい状況が荒川を取り巻いた。周囲は当然トリノ五輪への期待を高める。

「オリンピックに向かうかどうか迷いました。2年先は見えない。22歳からあと2年? それは女子フィギュアの概念を覆す挑戦です。しかも大幅に採点方法が変わることが決まっていました。ベテランにはとくにハードルが高くなります」

 05年はフィギュア界の大きな転換期だった。02年のソルトレークシティ五輪でジャッジの不正が発覚、主観を極力排除する採点方法に変更された。

「競技を続けるなら、例えば22歳の私が、新たにビールマンスピンを身につける必要もありました」

 しかし2年後、荒川静香は大きな期待を担ってトリノ五輪のリンクに立った。

「3秒用意しているから」

「選手も審判も試行錯誤を繰り返していました」

 フィギュアは表現芸術でありながら採点で勝負が決まる。究極の矛盾に悩み、敗れる選手は少なくない。

 ショートプログラム3位でフリーに臨んだ荒川は、プッチーニのオペラ「トゥーランドット」の曲に乗って演技を始めた。

「振付を担当してくれたニコライ・モロゾフ・コーチは勝負に厳しい人でした。そのモロゾフ・コーチに、“終盤に3秒の時間を用意しているから”と言われたとき私は驚きました。そして、うれしかった。あのモロゾフ・コーチがそんな計らいをしてくれるとは想像していなかったからです」

 その3秒の間に“イナバウアー”が予定されていた。

「イナバウアーはそれまで私の持ち技というわけではありませんでした。本当は最後のジャンプの前に息を整えておきたかった。けれど、得点の取れるプログラムを完璧に仕上げた上で、フィギュアスケートの良さを織り込んでくれたことに衝撃を受けて」

 荒川はすぐ受け入れた。

 流れるような演技が観衆を魅了した終盤、荒川が大きく背中をそらせ優雅に氷上を舞った時、トリノのリンクは拍手と低いどよめきに揺れた。演技が終わるまで拍手はやまなかった。

「最高の舞台で、人々の記憶に残る演技ができたのはすごく幸せです」

 荒川は表現者の誇りを体現し、女王の戴冠を受けた。

「金メダル以上の、いちばん大きな目標を果たすことができました」――荒川静香の言葉が、勝利の重さ、深さを表している。

小林信也(こばやし・のぶや)
1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。「ナンバー」編集部等を経て独立。『長島茂雄 夢をかなえたホームラン』『高校野球が危ない!』など著書多数。

「週刊新潮」2020年9月10日号 掲載