伊良部秀輝が野球ファンにその名を知らしめたのはロッテ入団2年目(1989年)6月、西武・清原和博相手に当時日本人最速の156キロを投げた時だ。その時の《戦慄》を伊良部が私に話してくれたことがある。

「肩がスッ飛んでいきそうな感覚があったんです。投げたあと、ちゃんと肩がついているか、思わず自分の腕を探したくなるような。それからですわ、真剣にフォームや肩のメカニズムを考え始めたのは」

 さらにこう続けた。

「高校のころから、基本をまともに信用していなかったんです。だって高校の指導者が言う基本より、自分でこれだと感じる投げ方の方がずっと速い球が出ていましたから」

 さらに4年後、またも清原を相手に伝説が生まれる。

 初球から速球勝負だった。3球目から伊良部が2球続けて日本最速158キロの速球を投げ、清原がファウルで粘った。そして7球目、伊良部の157キロを清原が打ち砕き、打球は右中間を深々と破った。

 この時、伊良部の苦悩はどん底に落ちた。

(なぜだ、なぜ日本一の速球が打たれる? 一体、どうすれば抑えられるんだ!)

遅い球でなぜ?

 伊良部は球界最高のスピードボールを磨いた。その豪速球が通用しない。3年目こそ8勝を挙げたが、4年目3勝、5年目は0勝。崖っぷちの6年目も負けの数だけが増えていた。

 球場ではベテラン牛島和彦が120キロ台の球で飄々と打者を抑えている。

(あんな遅い球でなぜ?)

 牛島は浪商時代、ドカベン香川とバッテリーを組み、甲子園を沸かせた大スターだが、身長は公称177センチ。193センチの伊良部からすれば楽に見下ろせる体格だ。

 清原に打たれた3カ月後の8月4日、高松での日本ハム戦の試合中だった。

 先発した牛島が5回途中で降板しベンチ裏にいると、伊良部がワラにもすがる表情で牛島に頭を下げた。

「すみません、ボクいま投げてるんですけど、どこが悪いか見ていてください」

 牛島は一瞬考えた。自分の投球術はそれまで誰にも話さなかった。「プロである以上、チームメイトもライバルだから」だ。ところが次の瞬間、牛島は「ああ、いいよ」と答えていた。

「ありがとうございます」

 伊良部が深々と頭を下げた。24歳、もう後がないと感じていた。

 牛島が振り返る。

「ちょうどボクも肩を壊して、純粋に後輩たちに教えてやろうと思い始めてた時期でした。それに、頭を下げてきた伊良部を見て、相当困っている、苦しいんだなあと思ってね」

 牛島に話を聞いたのは、彼が現役を引退した翌年。自宅を訪ねると、柔和な笑顔で取材に応じてくれた。牛島は孤高の人で他人を寄せ付けない印象が強かったが、実際は違った。

「中日でリリーフエースを任されたとき決めたんです。抑えで生きるには、『アイツの顔を見るのも嫌だ』と言われるくらい普段から徹底して嫌われ役を演じようと」

 牛島はまさにプロ中のプロだった。その牛島が、伊良部にこう助言した。

「プロに入ってきた時から運動の伝達と体重移動をうまくミックスさせていた。でも、打者が打ちにくい投げ方じゃない。157キロを清原に打たれたのも、ボールが見やすかったからだ。打者との間合い、打者が打ちにくいフォームで投げるのも大切なんだ」

 伊良部はハッとした。高校時代からずっと、いかに速いボールを投げるかに神経を注いできた。打者の立場で考えることはなかった。

“伊良部クラゲ”の誕生

 伊良部は、牛島との会話に触発された。そして、初めて誰かに見守られて野球をする悦びを感じた。生来、甘えん坊なところがある伊良部にとってそれからの充実はかけがえのない経験だったに違いない。

「ボクの野球の考え方で、他の人と違うところがひとつあるんです。相手バッターの弱点を狙えと言うでしょ。でもね、3万4万、時には5万人の観衆の前で、緊張感と不安でピッチャーは頭の中、真っ白になります。そんな最悪の状況で、18・44メートルも離れたところからボール1個分のコースといったらタバコの箱の幅ですよ。それを狙って投げろなんて無茶な話だなと。狙っても甘くなって打たれるのがピッチャーですよ。それで気づいたのが、ホームベースの横幅ではなくて、投手と打者との距離の使い方で勝負するってことです。肩の動きやヒジの動きでいかに打者のタイミングを外すか……。それがわかり始めて勝てるようになった」

 日本ハム・大沢監督から「伊良部クラゲ」と形容されたのは「またクラゲに刺された」というボヤキだが、その名が似合うフォームはこうして生まれた。投手と打者の距離感を自在に操る伊良部独自の投球術だった。

 高松で牛島に頭を下げた時、1勝5敗だった伊良部が8勝7敗でシーズンを終える。牛島に助言を仰いでから近鉄・野茂に投げ勝つなど破竹の7連勝を飾ったのだ。そして翌94年、15勝を挙げ最多勝に輝く。伊良部は土壇場でプライドを捨て、勝てる投手への扉を開いたのだ。

小林信也(こばやし・のぶや)
1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。「ナンバー」編集部等を経て独立。『長島茂雄 夢をかなえたホームラン』『高校野球が危ない!』など著書多数。

「週刊新潮」2020年9月17日号 掲載