海草(かいそう)中学(和歌山、現・向陽高)の左腕・嶋清一は、甲子園の歴史を彩る名投手のひとりだ。

 1998年夏、決勝で松坂大輔(横浜高)が京都成章をノーヒットノーランに抑えて優勝した時も、嶋の名が先例として語られた。夏の決勝でのノーヒットノーランは「59年ぶり、2人目」。最初の達成者が嶋だ。しかも嶋は「準決勝に続く2試合連続の快挙」だった。

 39年の夏、エース嶋が主将も務める海草中は、県大会を勝ち抜き、紀和大会で奈良県代表・天理中を破って甲子園出場を決めた。

 甲子園の1回戦、嘉義中(台湾)戦は奪三振15、被安打3。投打にわたる嶋の活躍で海草中は5対0で勝った。この夏の嘉義中は「全国制覇5カ年計画」で強化した5年目、全員5年生で固める強豪だった。試合を朝日新聞はこう伝えている。

〈この日殊勲甲は攻守ともに断然たる凄みを示した嶋投手であろう、攻めては三塁打、二塁打と外野柵に達する長打をかっ飛ばして堂々の得点をたたき出し、守っては鋭いドロップにもの凄いスピードの直球で敵打者を翻弄し、さすが大会随一の投手として十万観衆を魅了した〉

 嶋の快投は続く。2回戦、京都商戦は被安打2、三塁を踏ませず、5対0で完封勝ち。結果的に次の準々決勝・米子中戦が、大会を通じて嶋が三塁に走者を許した唯一の試合となった。嶋の球威はやや落ちて見えたが、被安打3、奪三振9。3対0の完封勝ちで海草中はベスト4進出を決めた。

学徒出陣で出征

 2007年に出版された『嶋清一 戦火に散った伝説の左腕』は、嶋の親友でチームメイトだった古角(こすみ)俊郎を主な証言者として書かれている。著者は山本暢俊。本の中に、センターを守る古角の回想がある。

〈中堅を守る古角は妙なことに気づいた。この甲子園大会が始まってから1本もセンターに打球が飛んでこないのだ。対戦する打者が、嶋の速球にみんな腰砕けになって外野まで飛んでこないのだ。〉

 そして準決勝・島田商、決勝・下関商、いずれもノーヒットに抑えて覇権を握った。だが、不世出の大投手・嶋清一の球歴はほとんどここで終わっている。

 進学した明治大には、後に巨人で活躍する藤本英雄ら優秀な先輩投手たちがいた。戦争が激化し、藤本らが繰り上げ卒業すると嶋に活躍の機会が巡ってきた。3年の秋、東大と立教に勝ったが、法政に敗れた。優勝を争う早稲田には完封勝ちしたが、慶應に敗れ、優勝はできなかった。この秋が本当に嶋の最後の勇姿となった。学徒出陣で出征した嶋は、45年3月29日、海防船に乗ってベトナムの海岸線を北上中、米軍潜水艦の攻撃を受けて戦死した。24歳の若さだった。

 山本の著書で、嶋が出征前に結婚していたことを知った。将来の夢を古角に語った場面も描かれている。

〈俺なぁ、戦争がなかったら……、新聞記者になりたかったんや〉

 大投手・嶋の夢は、まだ評価の定まらない職業野球ではなく、新聞記者になって健筆を揮うことだった。

塀に投げた球が…

 夭逝した嶋の存在は戦死によってすべて失われたのか? 絶たれた命の一方で、嶋の魂が確かに誰かを支えたという、ささやかな事実を記したい。

「カギっ子」という言葉が社会問題になったのは昭和30年代の後半から40年代。私はそのカギっ子だった。両親が共働きで、学校から帰っても家に誰もいない。自分でカギを開けて入る。寂しいと感じた記憶はないが、それは私にブロック塀という「無二の親友」がいたからかもしれない。

 ランドセルをおろすとすぐ、グローブとボールを持って家の前に走り出る。そこは私にとって甲子園球場だった。5、6メートル先のブロック塀に向かって投球する。ストライクや空振り、ゴロの枠が決めてあり、一人だけの野球ゲームに興じる。小さなノートに架空の「甲子園出場校メンバー表」を書き込み、全国の強豪校と対戦する設定だった。自分は地元・長岡高のエース。毎日、塀が相手の「ひとり野球」に熱中した。

 昼は図書館で、スポーツ選手の伝記を探した。ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグ、古橋廣之進も読んだ。その中で、強烈に心に刺さったのが嶋清一の話だった。

 制球力を磨くため、嶋は校内にあるレンガの塀に向かって投球練習を重ねた。するとある日、塀に穴が開き、投げたボールが塀の向こうに行った! その光景を頭に浮かべ、仰天した。自分がいつもぶつけているブロック塀の光景と重なって、およそ信じ難かった。だが伝記には、〈同じ一点を目がけて投げ続けたため、ついにその場所に穴が開いた〉と書かれていた。

 嶋清一に対する私の憧れと尊敬は、揺るぎないものになった。

(いつか自分もブロック塀に丸い穴を開けたい……)

 密かな夢はついに果たせなかったが、嶋の伝説に背中を押され、孤独なカギっ子は、希望を胸に少年時代を過ごせた。

 2試合連続の快記録以上に、嶋のその逸話こそが、私の少年時代を支えてくれた。それも素晴らしきスポーツの力ではないだろうか。

小林信也(こばやし・のぶや)
1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。「ナンバー」編集部等を経て独立。『長島茂雄 夢をかなえたホームラン』『高校野球が危ない!』など著書多数。

「週刊新潮」2021年4月8日号 掲載