「“不動心”失った神様」

 審判の判定にリクエスト制度が導入され、近年ではめっきり少なくなったプロ野球監督の退場劇。歴代で退場回数が多い監督を調べてみると、広島、楽天で監督を務めたマーティ・ブラウンが計12回でトップ。次いで、巨人と阪神の両球団で唯一監督を務めた藤本定義の7回、金田正一(ロッテ)、大沢啓二(ロッテ、日本ハム)、落合博満(中日)、星野仙一(中日、阪神、楽天)の6回と続く。

 その一方で、選手時代も含めて、心ならずも野球人生で“唯一の退場宣告”を受けた監督も存在する。彼らはどんな状況において、いかなる理由から生涯最初で最後の屈辱を味わったのか。3人の名将のまさかの退場劇を振り返ってみよう。

「初退場 “不動心”失った神様」(日刊スポーツ)の見出しとともに、1面トップで報じられたのが、V9の偉業を達成した巨人・川上哲治監督である。

 1974年7月9日の大洋戦の2回、河埜和正が大洋のエース、平松政次のシュートを左肘に受けたことが、事件の発端だった。死球と思われたが、平光清球審の判定は「ファウル!」。「バットのグリップに当たってから、左肘に当たった」が理由だった。

 直後、川上監督がベンチを飛び出し、「そんな当たり方をするわけがない」と猛抗議。松橋慶季一塁塁審にも確認するよう要求したが、聞き入れられない。そこで、「この左肘を見てみろ」と河埜の赤く腫れ上がった左腕を見せようとすると、平光球審は見ようともせず、「デッドボールなら、もっと痛がっているはずだ」と言い返した。

 次の瞬間、川上監督の両手が平光球審の胸をドスンと突く。「退場!退場!」。平光球審が叫ぶ。川上監督にとって、選手時代も含めて34年目の初退場だった。なぜ、川上監督は怒ったのか。河埜の次の言葉がすべてを物語っていた。

「(川上監督から)死球になっても痛いという表情を見せるなと教えられてきました。それで、じっと我慢したんです」
自らが信じるプロ野球人のあり方を否定され、不動心に一瞬の乱れが生じたのかもしれない。

 また、同年、10連覇を目指した巨人は、開幕から調子が上がらず、この日は4連敗で貯金ゼロになった直後とあって、川上監督の退場劇を「チームのムードが悪いときは、何か刺激になるようなことを考えるだろう」(中日・与那嶺要監督)と受け止める声もあった。

 8月に10連勝して首位に立った巨人だったが、中日に勝率1厘差の2位に終わり、V10ならず。川上監督も退任し、ひとつの時代が終わりを告げた。

「下手くそ!」

 続いて2人目。上田利治監督といえば、阪急時代の78年の日本シリーズで、ヤクルト・大杉勝男の本塁打判定をめぐる1時間19分の抗議が有名だが、意外にも退場はプロ34年目、日本ハム監督時代の99年5月29日の近鉄戦まで一度もなかった。

 事件が起きたのは初回。日本ハムは無死満塁で、オバンドーが二塁ゴロ。4-6-3と転送されたが、一塁はセーフに見えた。だが、山本隆造一塁塁審の判定は「アウト!」。上田監督が血相を変えて「クロスプレーならともかく、(一塁を)通り過ぎている」とセーフを主張した。

 ところが、聞き入れられないため、思わず「下手くそ!」と叫び、選手時代も含めて2483試合目の退場を宣告された。すると、怒りが収まらない上田監督は、山本塁審の後方から側頭部を平手打ち。試合後も「下手なヤツに下手というのは当然。手を出したことは反省せないかんが、彼も反省せなあかんぞ」と発言した。

 そして、ここから騒動の輪はさらに広がる。翌日、2試合出場停止処分を受けた上田監督だったが、「明らかにミスジャッジ。下手くそと言ったのは、当然のことを言ったまで」となおも山本審判を批判した。

 一方、山本審判は、暴力行為の謝罪もないまま、「下手くそ」呼ばわりされつづけることに不信感を抱き、「僕一人の問題ではなく、審判全員の問題として前から意識していた。プロ野球全体のために戦いたい」と告訴準備を始めた。

 だが、上田監督が6月4日に直接謝罪したことで和解が成立。告訴は見送られる。ところが、この時点で首位・ダイエーに1ゲーム差の2位だったチームが9日後に最下位転落。シーズン5位に終わり、上田監督も同年限りで退団となってしまった。

「このバカ!」

 そして3人目は、川上、上田両監督を上回るプロ37年目の初退場となった、阪神時代の野村克也監督だ。99年8月7日のヤクルト戦の3回無死一、二塁、湯舟敏郎が三塁前に送りバントした直後のプレーが事件のきっかけとなる。

 池山隆寛の一塁送球がそれ、ベースカバーの馬場敏史の足が捕球より一瞬早くベースを離れたように見えた。ところが、小林毅二一塁塁審の判定は「アウト!」。

 野村監督が「タイミングはアウトや。それはオレにもわかる。でも、足が離れるのが早いやないか」と抗議したが、聞く耳を持たないため、つい「このバカ!」と声を荒げたのが命取りだった。小林塁審は「耐え難い言葉を言ったので、退場とした」とその理由を説明している。

 これが現役時代も含めて通算4361試合目の退場劇だった。もともと「(巨人戦は)13対9で戦わないかんのだから大変だよ」など、審判への挑発的な発言も多かった野村監督。「まあ、いずれやられるとは思っていたよ」とある意味“覚悟の退場”だったが、中でも小林審判との関係は険悪だったようで、「ベンチにいても審判の位置から睨みつけてくるもんな。あいつはなぜかオレに対しては、ムキになりよる。反野村のキャプテンや」とボヤキが止まらなかった。

 3人の退場劇で共通しているのは、いずれも誤審を確信して抗議しているのに、審判が誤審を認めなかった結果、一線を踏み越えてしまったというもの。現在のようなリクエスト制度があれば、“生涯退場ゼロ”で野球人生を全うできたかもしれないのに……と思わざるを得ない。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2020」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮編集部編集

2021年4月28日 掲載