“平成唯一の三冠王”

 長い歴史を積み重ねてきた日本のプロ野球。取り巻く環境は変われども、いつの時代もチームの顔として絶大な存在感を持った頼れる4番打者がいた。川上哲治と藤村富美男に始まり、王貞治、長嶋茂雄、野村克也……。さらに山本浩二、掛布雅之、落合博満、清原和博など、数々のレジェンドたちの名前が挙がる。では、2000年以降で各球団の“最強の4番打者”は誰なのだろうか。前回のセ・リーグ編に続き、パ・リーグ編をお送りしたい。

 パ・リーグ6球団。2000年からの2020年までの21シーズンの中で、最も優勝回数が多いのはソフトバンクで、ダイエー時代の2度も含めて計8度(2000、03、10、11、14、15、17、20年)に渡ってリーグ制覇を果たしている。強力打線がチームカラーとなっているが、その中でも特に2000年代前半の「ダイハード打線」の破壊力は歴代稀に見るものだった。

 そこで大きな存在感を放っていたのが松中信彦だ。小久保裕紀の後の5番を打つことも多かったが、03年からは不動の4番に座り、翌年には打率.358、44本塁打、120打点の恐るべき成績を残し、史上7人目の三冠王となった。翌2005年も打率.315、46本塁打、121打点の好成績を残し、2003年も含めた3年連続120打点以上はNPB史上初のこと。晩年は怪我や不振に苦しんだが、の輝きが薄れることはない。

野球少年が真似した“背中反らし”

 2000年以降、計5度(02、04、08、18、19年)のリーグ優勝を果たした西武では、カブレラを推す。01年に入団すると、上体を後ろに反らす独特の構えで打席に入り、丸太のような太い腕からのパワフルなスイングで本塁打を量産。1年目に打率.282、49本塁打、124打点をマークすると、2年目の02年には打率.336、55本塁打、115打点と大爆発。55本塁打は王貞治と並ぶ当時の日本最多タイ記録だった。

 その年はチームも優勝し、自身はリーグMVPを受賞した。本塁打王6回、打点王4回の中村剛也、18年のリーグMVPで2年連続本塁打王&2年連続120打点以上の山川穂高の2人も「最強の4番」に相応しい成績を残しているが、在籍7年で通算273本塁打のパワーだけでなく、打率3割以上を4度マークした器用さ、そして当時の野球少年たちが“背中反らし"をこぞって真似したという影響力の大きさを、カブレラを最上位にした理由としたい。

 西武と同じく、2000年以降に計5度(06、07、09、12、16年)のリーグ優勝を果たした日本ハムでは、その中でオバンドーやセギノール、稲葉篤紀、高橋信二、小谷野栄一らが4番を務めてきたが、彼ら以上に4番の肩書きを自分のものにしたのが、中田翔である。高校通算87本塁打の怪物として入団し、梨田昌孝監督時代の2011年に4番に抜擢されると、栗山英樹監督となった2012年以降は不動の4番に君臨。2014年に100打点、2016年には110打点を挙げて打点王のタイトルを獲得した。

 昨季までのプロ通算12年で、257本塁打、937打点をマークしている。シーズン30本塁打に到達したのが15年と20年のみというのは少し寂しい気もするが、シーズン100打点以上を計5度マークした勝負強さが、この男の魅力だ。

“繋ぎの4番"

 ロッテの4番は迷うところだ。2000年以降、ボーリック、メイ、フェルナンデス、ベニー、サブロー、里崎智也、井口資仁、金泰均、カスティーヨ、ホワイトセル、今江敏晃、デスパイネ、ペーニャ、井上晴哉、レアードらが4番を務めてきた。

 個人成績だけを見るなら、04年に不動の4番として打率.315、35本塁打、100打点の好成績をマークしたベニーが捨てがたく、1999年に自身が本塁打を打てばチームが22勝2敗1分けという「神話」を生んだボーリックも選びたいところだが、04年のチーム順位が4位、「ボーリック神話」が2000年以降という条件の1年前であることを考えると、彼らよりも05年の球団31年ぶりのリーグ優勝、さらに日本一のチームで“繋ぎの4番"として働いたサブローを指名したい。

 その通り名のとおり、20本塁打に到達したのは09年(4番としては2試合のみの出場)の一度だけだったが、チームへの貢献度の高さは数字以上のものがあった。ただ、他球団の4番に比べると物足りないのは事実で、昨シーズンにブレークした安田尚憲が今後、「不動」かつ「最強」の4番になることを期待したい。

老いて尚盛ん

 1995年、96年の連覇を最後に優勝から遠ざかっているオリックス(近鉄としては2001年に優勝)には、タフィ・ローズがいる。近鉄時代の印象が強く、巨人でもプレーしたが、オリックスでも07年から4番打者として3年間プレー。1年目に打率.291、42本塁打、96打点をマークすると、2年目の08年には打率.277、40本塁打、118打点で自身3度目の打点王にも輝いた。

 NPBでの現役最終年となった09年は怪我もあって84試合出場で規定打席に届かなかったが、それでも打率.308、22本塁打、62打点と今思えば十分な成績。当時41歳だったとはいえ、まだあと2、3年は活躍できたはずだ。そのローズの後は、カブレラ、T-岡田、李大浩、ペーニャ、ロメロらが4番を務めたが、不振や退団で定着していないだけに、吉田正尚に期待しながらも、彼を3番に置けるような頼れる4番の出現を待ちたいところだ。

 最後に、楽天の4番を見ると、球団創設初戦度から4番を務めた山﨑武司が印象深い。05年の時点ですでに37歳だったが、野村克也監督のアドバイスもあって老いて尚盛んとなり、07年には43本塁打、108打点をマークして2冠を獲得。2009年にも39本塁打、107打点を稼ぐなど、まだ戦力不足が顕著だったチームの中で4番として相手投手陣に脅威を与え続けた。球団初のリーグ優勝から日本一に輝いた13年の4番・ジョーンズや2015年から昨季途中まで在籍したウィーラーの働きも評価したいが、在籍7年で191本塁打を放った山﨑が最強の4番に相応しいだろう。

デイリー新潮取材班

2021年5月5日 掲載