「来季は契約を結ばない」

 シーズン終盤を迎えたプロ野球だが、全日程が終了していない時点で戦力外通告を受けた選手も多数にのぼっている。2軍暮らしが長い選手は、ある程度、心の準備ができているだろうが、過去には、1軍で、まずまずの成績を残しながら、シーズン後にまさかの戦力外通告を受けた選手がいた。野球人生が暗転した3選手とは……。

 規定打席に到達したにもかかわらず、異例の戦力外通告を受けたのが、2010年の楽天・中村紀洋である。この年の中村は129試合に出場し、打率.266、13本塁打、64打点。主砲としては物足りないが、けっしてクビになるほどの成績ではなかった。

 ところが、シーズン終了直後、中村は小坂誠や憲史とともに、球団側から「来季は契約を結ばない」と通告されてしまう。37歳の年齢に加え、シーズン終盤に右太もも肉離れで離脱するなど、1億5000万円(推定)の年俸に見合わないという判断からだった。

 また、中村は8月にチームの決起集会が開かれた際に、選手会長の岩隈久志に「早く終わらせろ」と注文をつけるなど、チームの和を乱したとする報道もあり、早い段階で来季の構想から外れていたといわれる。

決め手は被災地に6500枚の毛布

 現役続行を希望する中村は、他球団からのオファーを待ちながら、西宮市のバッティングセンターで、自主トレをスタート。06年オフにオリックスを自由契約になったとき以来、2度目の浪人生活だった。

“孤独の練習”は半年以上も続き、シーズン開幕後もNPBのどの球団からも声がかからない。だが、「半分あきらめていた」矢先の11年5月22日、横浜・加地隆雄球団社長から「野球をやらないか」と誘われた。まさに捨てる神あれば拾う神ありだった。

 獲得の決め手となったのは、中村が「少しでも助けになれば」と東日本大震災の被災地に6500枚の毛布を送ったことだった。震災から1週間後の迅速な行動に感銘を受けた加地社長は、一部フロントからの反対の声を押し切り、「和を乱すなよ」と釘を刺して、中村を入団させた。

「必ず恩返しします」と誓った中村は、DeNA時代の13年に通算2000本安打を達成したが、トラブルメーカーぶりは相変わらずで、翌年チーム方針に従わない言動が原因で、3度目の自由契約となった。

ブログで「正直ビックリしました」

 チームが日本一になった翌々日に“青天の霹靂”とも言うべき戦力外通告を受けたのが、06年の日本ハム・坪井智哉だ。03年に阪神から移籍してきた坪井は、1年目に打率.330をマークするなど、3年間主力として活躍したが、06年は相次ぐ故障で25試合しか出場できず、チームが日本一になった日本シリーズも、第1戦の代打出場だけで終わった。

 普通であれば、年俸ダウンで残留でもおかしくないケースだが、10月28日夜、年俸9000万円(推定)に見合わないことを理由に、突然の戦力外通告を受けた。坪井も自らのブログで「正直ビックリしました。ショックでした」と明かしている。

 球団としては、坪井が他球団で出場機会を増やすために自由契約という形を取ったのだが、2度のトライアウトを経ても、手を挙げる国内球団はなかった。

 しかし、行き場をなくした坪井が、米球界での現役続行を模索しはじめると、日本ハムは「戦力としてアテにしていないわけではない。コストに見合えば」と2000万円への大幅ダウンを条件に再契約を申し出た。

「恩情ではなく、戦力として期待した」と説明された坪井は「球団が辞めさせるわけにはいかないからと契約するのでは悔しいし、自分に腹が立つ。そうではないとわかったので、胸のつかえが取れた。一度は死んだ身。這い上がるしかない」と12月27日に契約。再起を誓った。

 同一監督の下で、いったん戦力外となった選手が再雇用されるのは、極めて希少なケースだった。翌年、坪井は100試合に出場。打率.283を記録し、日本ハムのリーグ連覇に貢献した。

巨人にとっても「苦渋の選択」

 一方、通算2000本安打達成目前に自由契約となったのが、17年の巨人・村田修一だ。横浜から巨人にFA移籍した村田は、6年間で3度の優勝に貢献。17年も夏場以降、出番が増えて118試合に出場。打率.262、14本塁打、58打点とまずまずの成績を残した。

 ところが、シーズン終了後の10月13日、チームの若返りを理由に、まさかの自由契約となる。鹿取義隆GMは「戦力になる力は十分にあるし、2000本も彼なら十分に達成できると思うが、(巨人では)多くの先発出場の機会を与えることは難しい」と説明し、巨人にとっても「苦渋の選択」であることを強調した。

 自由契約にしたのは、村田がFA権を行使した場合、人的補償の問題や36歳の年齢などから他球団が獲得に消極的になる恐れがあることから、選択肢を広げようという狙いからだった。

「これだけ貢献してくれた選手に対するせめてもの誠意です」(鹿取GM)。

「ハッキリ言ってくださって、ありがとうございます」と厳しい現実を受け入れた村田は、「次のステップ」を目指したが、年が明けても、他球団からのオファーはなかった。

 18年3月9日、村田は独立リーグ・BC栃木に入団。NPBの契約期限である7月31日までオファーを待ったが、ついに声はかからなかった。そして9月9日、栃木のシーズン最終戦出場後、現役引退を発表した。

 中村、坪井、村田、3人の共通点は、いずれも他球団からの移籍組であることだ。移籍は選手にとって自らを向上させる大きなチャレンジであると同時に、“外様”ならではのリスクもけっして少なくはないということを痛感させられる。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2020」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮取材班編集

2021年10月15日 掲載