今、グリペンという戦闘機が大きな注目を集めていることをご存知だろうか。軍事マニアならともかく、多くの人は初耳に違いない。正式名称は「サーブ 39 グリペン」で、初飛行は1988年。スウェーデンのサーブ社を中心に開発された多用途戦闘機だ。評価が高いため、スウェーデンだけでなくブラジルやタイなどの空軍も採用している。

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 8月20日、ロイター(日本語版)が「ウクライナ、スウェーデン戦闘機供与巡る協議開始 両国首脳が会談」との記事を配信した。

 その中で《ウクライナの防空強化に向けたスウェーデン製戦闘機「グリペン」供与に関する協議を開始した》と伝えたのが事の発端だ。担当記者が言う。

「ウクライナのゼレンスキー大統領は8月19日にスウェーデンを訪問し、クリステション首相と会談しました。その後に会見が開かれ、『ウクライナがグリペン戦闘機の供与を受けられるかどうか協議を開始した』と明らかにしたのです。背景にはウクライナとロシアの戦線で両軍とも航空優位を取れていないという状況があります」

 最新の報道によると、ゼレンスキー大統領の要望は拒否されたようだ。産経新聞(電子版)は22日、「戦闘機『グリペン』のウクライナ供与否定 スウェーデン 将来には含み」との記事を配信。イギリスの高級紙ガーディアンの報道を引用し、クリステション首相が《「グリペン」を現時点で供与する予定はない》ことを明らかにしたと伝えた。

ロシア空軍の謎

 ウクライナは空軍が弱いことで知られているが、これは1990年代に国内経済が劣悪だった影響が大きいようだ。

 空軍の整備には相応の軍事費が必要だが、当時は予算が枯渇し、それどころではなかった。軍用機の配備は後手に回り、2022年2月にロシア軍がウクライナに侵攻した際も、戦闘機ではなくドローンで反撃するなど空中戦では苦戦を強いられた。担当記者が言う。

「今年6月からウクライナ軍は反転攻勢に出ました。NATO(北大西洋条約機構)加盟国から供与された戦車を中心に部隊を編成し、領土奪還を目指して進軍を開始したのです。ところが、ロシア軍は対戦車障害物や地雷を敷き詰めた強固な防衛網を構築していました。航空支援が乏しかったためウクライナ軍は相当な被害を出したと推測されており、現在は虎の子の戦車を失わないよう地雷除去を最優先にしている模様です」

 ところが、以前からロシア空軍の動きも鈍く、これには専門家もずっと首を傾げている。何しろアメリカに次ぐ「世界第2位の空軍大国」と評されていたのだ。軍事ジャーナリストが言う。

「なぜロシア空軍は存在感を示せないのか、様々な分析や憶測が流れました。その中の一つに『ロシア空軍はプーチン大統領から距離を置いている』というものがあります。軍事パレードで空軍の機体が極端に少なかったことや、8月に空軍のセルゲイ・スロヴィキン総司令官が解任された際、『民間軍事会社ワグネルと深い関係があった』と報じられたことなどが根拠です」

スウェーデンの歴史

 もう一つは「ロシア軍がウクライナに侵攻した緒戦の時点で、戦闘機や戦闘ヘリなどの航空戦力がかなりの被害を受けた」という指摘だ。

「今のウクライナ軍にとって西側諸国から供与された戦車は虎の子の兵器ですが、ロシア軍にとって空軍は最も温存させたい戦力でしょう。もしウクライナの戦場で撃墜が相次いでしまうと、本国の領空を守る機体が少なくなってしまいます。そのためロシア空軍は、空中からミサイルを発射してウクライナの都市を破壊する作戦に専念しているようです。こうして両軍が対峙する最前線では、いずれも航空優勢が取れないという非常に珍しい状況に陥っています」(同・軍事ジャーナリスト)

 今月、オランダとデンマークは、ウクライナにアメリカ製のF16戦闘機を供与すると明らかにした。ウクライナにとっては待ちに待った航空戦力だが、本音を言えばF16よりグリペンのほうが必要なのだという。その理由を知るには、同機の生産国であるスウェーデンの歴史を紐解く必要がある。

「18世紀から19世紀にかけてロシア・スウェーデン戦争が勃発するなど、スウェーデンにとってロシアは古くからの“敵国”でした。しかし、1809年にフィンランド大公国が誕生したことで、スウェーデンがロシアと国境を接することはなくなります。その結果、19世紀になると、スウェーデンは“重武装中立”を国是としたのです」(同・軍事ジャーナリスト)

自国が蹂躙されたという想定

 スウェーデンは第一次・第二次世界大戦には参戦せず、中立の立場を維持した。その後、冷戦が始まると、スウェーデンは西側諸国との協調路線を選択する。

「中立の立場は維持するが、西側諸国とは友好関係を結ぶ。ソ連を筆頭とする東側諸国は仮想敵と見なす――これが冷戦期におけるスウェーデン外交の基本方針となりました。そのため国防計画も『ソ連に攻撃された際、どうやって反撃するか』を根本に据えて立案されました」(同・軍事ジャーナリスト)

 スウェーデンは中立が国是であり、軍事力を考えてもソ連に先制攻撃を仕掛けることは現実的には不可能だった。冷戦下で圧倒的な戦力を誇っていたワルシャワ条約機構軍がフィンランドを占領し、スウェーデンにも進軍、自国が多大な被害を受けることを前提として反撃の戦略が練られた。

「そうした戦略の象徴とも言えるのがグリペンです。グリペンは標準的な戦闘機に比べ小型で、離着陸に必要な距離はたったの800メートルです。ロシアの攻撃でスウェーデンの空軍基地が壊滅状態になるという想定で、グリペンは山腹に掘られたシェルターに隠す計画になっています。そのために小型である必要があるのです。滑走路も破壊されることを想定し、高速道路の直線区間で離着陸を行います。そのために800メートルと短い滑走距離になったのです」(同・軍事ジャーナリスト)

ウクライナの現実

 空軍は通常、戦闘機、攻撃機、偵察機と、用途に応じて専門の機体を整備する。ところがスウェーデンは、もし東側諸国と戦闘状態になった場合、空軍が甚大な被害を受ける可能性が高い。攻撃機が壊滅状態となれば、いくら偵察機が生き残っていても反撃に転じることは難しい。

 そのためスウェーデン空軍は、軍用機に“専門性”は不要と判断した。グリペンは戦闘機に分類されているとはいえ、敵機の撃墜だけでなく、戦車を攻撃することも、敵陣地を偵察することも難なくこなす性能を誇っている。生き残ったグリペンは、ありとあらゆる用途にフル活用させるというわけだ。

「まさに多用途戦闘機で、その分、開発には苦労したそうです。また、性能面では本来なら重要であるはずの航続距離を捨てたことでも知られています。小型化と開発コストを抑えるために仕方がなかったわけですが、目の前のロシア軍に反撃するという国防戦略を反映したとも言えます。敵国に飛んで攻撃するのなら航続距離が必要ですが、スウェーデン空軍が想定したのは自国内の空戦だけです」(同・軍事ジャーナリスト)

 こうして見ると、スウェーデンが想定していた戦争は、今のウクライナ戦争と全く同じ状況であることに気づく。

「自国はロシア軍に破壊され、機体もパイロットも不足しています。グリペンは短時間の給油と武器補給が可能な設計です。もちろんNATO軍のミサイルを使用することも可能で、シェルターから高速道路を使って飛び立ち、ロシア軍を撃破したら帰還。大至急、補給を済ませると、すぐに再び離陸できます。ウクライナ空軍にとって最も役に立つ戦闘機なのです」(同・軍事ジャーナリスト)

F16よりグリペンという理由

 グリペンはロシアの軍用機を撃墜するために設計された。ロシアの大手航空機メーカーであるスホーイ社が生産する軍用機が仮想敵であるため、“スホーイ・キラー”という異名を持つ。

「F16は世界最高クラスの戦闘機ですが、アメリカらしく『絶対に安全な場所から出撃し、敵国を空から攻撃する』という設計思想になっています。ウクライナ空軍のパイロットがF16の操縦をマスターするのは大変だという議論は盛んですが、補給や整備の問題も重要です。今のウクライナに安全地帯などあるはずがなく、F16が運用できる空軍基地を構築するのは一苦労でしょう。一方のグリペンなら、最前線の野戦基地のような劣悪な場所でも運用が可能です」(同・軍事ジャーナリスト)

 だが、グリペンの性能が高ければ高いほど、そしてウクライナの戦場で活躍すると専門家が太鼓判を押せば押すほど、スウェーデンとしては慎重にならざるを得ないようだ。必要以上にロシアを刺激したくないという考えがあるのは言うまでもない。

デイリー新潮編集部