CIA東京支局員を養成した日本人女性

 戦後最大の汚職事件といえば、1976年に発覚したロッキード事件を真っ先に思い浮かべる方が多いのではないだろうか。

 アメリカの航空機メーカーであるロッキード社が、ジェット旅客機を全日空に売ろうと画策、その裏工作により大金が動いたとされた国際的な贈収賄事件である。田中角栄元首相の逮捕、関係者の変死、ロ社の代理人となった大物の右翼活動家・児玉誉士夫など、今なお、多くの日本人の記憶に残る歴史的事件でもある。

 この事件では、古くから「アメリカの謀略・陰謀説」と共に、諜報機関であるCIAの関与が取りざたされてきた。

 国際ジャーナリストの山田敏弘さんは以前、アメリカの元政府関係者から、ロッキード疑惑の10年以上前から同社は日本でカネを配っており、その工作活動はCIAと米国政府に承認されたものだと聞いたことがあるという。山田氏の取材によると、CIAはある日本人女性のもとで特殊工作に従事するスパイを養成し、東京に支局を置き工作に関与していたという。その女性の名は「キヨ・ヤマダ」。山田さんは彼女の知られざる生涯と活動を追った。(以下引用は『CIAスパイ養成官 キヨ・ヤマダの対日工作』より)

CIA日本人女性教官の素顔

 キヨは大正時代に東京で生まれ、東京女子大学を卒業。本格的に英語を勉強しようと、戦後しばらくしてアメリカ政府の奨学金を得て渡米し、アメリカ軍人と結婚した。やがてニクソン政権下の1968年、46歳でCIA本部内の「支援本部(DS)」に正規職員として入局。日本で特務工作にあたるスパイに日本語と日本文化を教える教官として、クリントン政権下の2000年まで、多くのスパイを養成してきた。退職時には、栄誉あるメダルを授与され表彰を受けるほどの評価と実績を残していた。

 キヨの指導を受けて対日工作のスパイとなり、ロッキード事件当時、日本で活動していた元CIA諜報員・ピート(仮名)との接触に、山田氏は成功している。

〈では、ロッキード社による工作に、キヨが何らかの形で関与していたということはないのだろうか。

 そう水を向けると、ピートは、

「彼女が日本で工作をしていたかどうかについて、真実が出てくることはないでしょう。ただこれだけは言えます。細かいところは話せませんが、日本にも渡航していたはずですし、何らかの協力をしていたと言ってもいいでしょう」

 キヨの知り合いや関係者などによれば、この頃、米国にいたキヨのもとへ、日本にいる諜報員からしょっちゅう電話や手紙などで連絡が来ていた〉(同)

 前述の通り、キヨの所属セクションはCIA支援本部である。そこで日本語や日本文化を教える教官を務めていたキヨの任務は、スパイ候補の生徒たちに、当該教科を教えるだけにとどまらず、実際に特殊工作を行うために日本に潜入した教え子(スパイ)たちが実務に際し生じる様々な相談に応じるのも重要なミッションだったのである。

〈東京支局に属するCIA諜報員同士といえども、お互いに頻繁にやりとりをするようなことはない。ましてや、自分が何を追っているのかといった任務の情報も共有しない。

 スパイの世界でよく言われていることだが、工作に関係している人たちがすべての情報を共有すると、一人が拘束されるなどすれば工作の全容がバレてしまいかねない。

 つまり、それぞれが自分の与えられた任務をこなしており、自分がどういう大枠の作戦に従事しているのかを知らないケースもあるのだ。そうした事情から、個人プレーでの判断を求められる局面が多く、米国にいるキヨを頼る者は少なくなかったという。

 関係者と接触する際に注意する点は何か、疑惑が取りざたされている政治家とのやりとりで注意すべき点は何か、アドバイスだけでなく具体的な指示を求めてキヨに直接、連絡を取っていた諜報員がいたということだ〉(同)

アーリントン国立墓地で静かに眠る日本人教官

 ロッキード事件以外にも、キヨの関わった各種工作活動は数多い。前述の通り、ニクソンからクリントン政権まで、32年間にわたり、数多くのスパイを養成し、祖国・日本に送り込んだキヨ・ヤマダ。

 彼女は今、米バージニア州にあるアーリントン国立墓地で、ペンタゴン(国防総省)を望める場所にある墓で夫と一緒に静かに眠っている。元空軍中佐だった夫は「第2次大戦」、「朝鮮戦争」、「ベトナム戦争」など、過去の戦歴が墓碑に刻まれている。しかし、墓石の裏面には彼女の名前と生没年月日のほかに「妻」と刻まれているだけである。

デイリー新潮編集部

2019年9月3日 掲載