「今すぐ棺桶に…」党だけではなくメディアにも届いたその中身とは

 北朝鮮の消息筋によると、先月8月10日頃、朝鮮労働党を始め各中央機関の投書箱に「金正恩はニセモノだ。今すぐ木製バスに乗れ」というタイトルの、無記名の怪文書が同時に投げ込まれた。「木製バス」とは北でナムポスと言って棺桶を意味する。当然、中央機関の高級幹部らの間で大騒ぎになったわけだが‥…。その怪文書の中身や狙いなどについて、北専門家のキム・フンガン氏によるリポート。

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 今回怪文書が投げ込まれたのは、内閣総合庁舎内にある朝鮮労働党と人民武力省、国家保衛省、社会安全省といった権力中枢機関です。

 と同時に、外務省、高等教育省、出版指導検閲総局、朝鮮中央放送委員会と朝鮮中央テレビジョン総局、労働新聞社といったマスコミにも怪文書は届きました。

 北朝鮮史上、最も反動的な内容であり、また最も多くの場所に同時多発的に投げ込まれたという途方もない事件です。

 内容としては、金正恩と金与正などいわゆる「白頭山の血筋」の正統性や権威を否定するもので、彼らを打倒しなければ、北朝鮮住民たちは中国のように生き残れない……といったものだったそうです。

 国家保衛省は犯人を捜すため、怪文書の内容を一部コピーし、全国の保衛部で管轄地の住民たちの筆跡と比較調査をしました。

 そしてそこから外部に怪文書の内容が漏洩し、口コミで広がっているとのことでした。

 消息筋が伝える怪文書には、こんな内容が書かれていたそうです。

《金正恩は帰国同胞の子供として、我が人民の統治者の資格はない》

《朝鮮中央放送委員会の李春姫さん!(=朝鮮中央テレビの看板女性アナウンサー)毎日のように口角に泡を飛ばしながら金正恩の革命活動を報道していて、とても正気とは思えないが、あなたも知っているだろう》

《我が国が日本から帰国した同胞(主に帰国事業で帰国した在日)たちをどれだけ差別してきたのだろうか》

《入党請願書に妻か夫が帰国同胞だと書くと、党に入るのは難しかった》

《日本に縁故を持つ配偶者と暮らしている点で「入党には不適格」と言われなかっただろうか》

《一般の党員たちと平壌市民たちはいくら父親が「白頭山の血筋」であると言っても、母親が帰国同胞だとその子供も帰国同胞になってしまう》

《これは今まで60年以上も行われてきた我が党の階級政策だ》

《しかし金正恩とその兄弟たちは、父親の金正日が帰国同胞である高英姫と不倫して生んだ後妻の子供なのに帰国同胞でないというなら、そのために恋が破れ、家族も引き裂かれてしまった多くの帰国同胞らに何と言い訳するつもりだろうか》

《李春姫さん! あなたが我が党の真の代弁者であるならば、金正恩が「白頭山の血筋」ではなく、「帰国同胞」の息子であることをきちんと伝えることが、近い将来迎えることになる自由社会での生きる道であることを肝に銘じてほしい》

《つまり金正恩も高英姫の子供であれば、同じ帰国同胞の子供として、我が人民の統治者の資格はないということだ》

《帰国同胞は彼ら同士で結婚し、「金はあるがケチ」であり、「心臓が二つあり」、「昼は社会主義社会で生きており、夜は資本主義社会で暮らしている」と言って「差別の根源となっている現在の階級政策と幹部育成原則(帰国同胞は含まれない政策)を無効化せよ!」》

日本からの帰国同胞を差別する階級政策を行なってきたが

 北朝鮮の党と国家は長期間にわたり、裏で日本からの帰国同胞を差別する階級政策を行ってきました。帰国同胞らを幹部候補から徹底的に排除してきたわけです。

 怪文書をバラまいた犯人は、金正恩の出生の秘密を暴露しました。帰国同胞の子供・金正恩が自分たちの統治者になったことについて頑として拒否し、彼の統治を否定しているのです。

 実際に北朝鮮は、日本からの帰国同胞出身者たちを資本主義に染まった金の亡者、北朝鮮に資本主義を蔓延させる資本家の手先になる可能性がとても高い、要監視対象として国民に意識させ、教育を通じ帰国同胞たちに対する反感を持つように仕向けたのです。

 こうして帰国同胞は「信じてはならない連中」というイメージを北朝鮮当局によって長期間にわたって植え付けられてきました。

 金正恩による10年にわたる統治。この間、核開発を主導してきた幹部たちと少数のエリートたちは優遇されていましたが、大多数の住民たちの飢餓と貧困はより深刻になりました。生存が脅かされ、我慢しようにも我慢できない状況ができあがっていったのです。

 金正恩は北朝鮮の金鉱をはじめ、外貨稼ぎの事業を徹底して独占し、その金で水素爆弾、長距離ミサイルなどを作り、担当した少数のエリートたちには超豪華な住宅を建ててやるなど、ありとあらゆる報奨を与えました。

 金正恩は外国留学時代に楽しんでいたプール、乗馬場、射撃場、スキー場、スパをあちこちに作りましたが、それの施設は当座の米を買う金すらも稼ぎ出せずにいる。

 消息筋はこう伝えています。「現在、全国にあふれている浮浪児らと、家まで売って食いつないでいる地方都市の住民たちは糊口をしのぐ手段すらなく、山奥まで押し寄せている」

 彼らはそこで山菜を掘ってしのいでいるが「都市に残って餓死するよりマシ」だという。

「彼らは英雄・林巨正の生涯を描いたドラマの歌を歌いながら、新しい世界が来るのを待ち望んでいる」と。

監視カメラが捉えきれない投書箱に投げ込まれ、捜査は難航

 この事件が明るみに出て、中央機関の党秘書と保衛省には戦慄が走ったようです。

 怪文書の犯人を捕まえるために血眼になっているものの、犯人のやり口が非常に手馴れており、捜査が難航しているとも伝えられています。

 怪文書の文章は新聞から一文字ずつ切り抜いて作られており、最後の日付だけが漢字で手書きです。

 それは今までの怪文書のスタイルとは全く異なり、捜査機関をもてあそぼうという意図も感じられます。

 国家保衛省は、平壌市民やすべての新聞社の従業員たちを対象に、怪文書にある日付を漢字で書かせるというコメディのような捜査まで展開しました。

 怪文書は各中枢機関の投書箱に投げ込まれたのですが、北朝鮮では一部組織を除いて監視カメラが設置されていません。犯人はもちろんカメラが捉えきれない投書箱を選んでいます。

 そのため投書箱に投げ込まれた日付すらわからないというお粗末さ。笑いを誘うのは、その日付が、古代中国の易学書の表記法で書かれていたという点です。

 北朝鮮独裁体制の盲点を集中的に攻撃した怪文書の犯人たち。その戦術の巧みさが、北の住民たちの積もり積もった鬱憤に火をつけた。それは歴史的な意味を持っています。

 まだ怪文書の内容を知らない北朝鮮住民もその噂を聞き、中身について知りたがっているといいます。

 実際、怪文書の内容が保衛員たちの間から少しずつ流出し、住民たちの間に憤りの感情が広がっているとも聞きました。 

 一方で、北の高位層内部では怪文書事件が解決出来ない場合、粛清されるのは誰なのか、戦々恐々としているといいます。

 北の住民たちは「旧官が名官だ」ということわざをよく使います。これは「金正恩時代よりも昔の方がもっと良かった」という意味です。

 ところでその旧官というのは、金日成や金正日時代でもない他の時代、つまり日本の統治時代のことを指します

 ただこれは、日本の統治時代が幸せだったという主張ではありません。共産主義社会は、ほかのどの時代よりも残忍で偽善的で反人間的であることを75年間の体験を通じて思い知った北朝鮮の人々の真率な叫びなのです。

金興光(キム・フンガン)
北朝鮮の平壌金策工業総合大学電子工学卒業後、咸興共産大学で博士号を取得。2003年に韓国へ脱北し、2006年には韓国政府内の統一部北朝鮮離脱住民後援会課長を経て現在、(社)NK知識人連帯の代表を務めながら韓国内で対北専門家としてTV、新聞、YouTubeなどで活躍中。http://www.youtube.com/c/NKtv3

週刊新潮WEB取材班編集

2020年9月8日 掲載