ハーバード大学のマーク・ラムザイヤー教授の書いた「慰安婦」論文への批判は今なお韓国メディアを中心に止まない。しかし、こうした批判の多くは、誤解や誤認に基づいていると一貫して指摘しているのは、有馬哲夫・早稲田大学教授である。公文書研究の第一人者として知られる有馬氏は、ラムザイヤー教授の論文と、批判する側の言説を極力客観的に見て分析を続けている。今回と次回は、ラムザイヤー教授の同僚でもある韓国系の教授の批判を取り上げる。この教授の批判は、多くのフォロワーを生んでいるようだ。以下、有馬教授の特別寄稿である。

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ソク教授のエッセイについて

 筆者はこれまで4回にわたって、ハーバード大学ロースクールのマーク・ラムザイヤー教授の論文「太平洋戦争における性契約」に対する批判の分析を行ってきた。

 韓国メディアなどの批判は、言論弾圧ともいうべき大バッシングにも思えるが、そのソースを調べてみると、かなりの多くのものが、同じ批判文と雑誌記事に依拠している。

 このようなソースになった批判文として、前回の記事では、ハーバード大学ライシャワーセンター所属の日本史専門のアンドルー・ゴードン教授と東アジア言語文化専門のカーター・エッカート教授の批判文を取り上げた。

 これに次いでよく言及されているのは、ハーバード大学ロースクールのソク・ジヨン教授(英語名 Jeannie Suk Gersen)が『ザ・ニューヨーカー』に寄稿した「慰安婦の真実を求めて」(Seeking the True Story of the Comfort Women)というエッセイだ。

 とくに韓国メディアの報道と日本の市民団体の批判文は、このエッセイを踏まえているようだ。

 そこで、今回はソク教授の批判記事について検討してみたい。

 まず、この記事の日本語版の電子テキストをダウンロードし、精読するとともに、私たち研究者が新聞記事やテレビ番組によく行う内容分析を試みた。

 結論からいうと、ソク教授は、他人を非難するのに、自分の言葉を使わず、他人の言葉を使うというレトリックを多用している。これはいわば「責任転嫁レトリック」とでも言えばいいだろうか。

 また、本題とあまり関係のないものの、読者を刺激する事柄への言及を繰り返すことによって、ラムザイヤー教授への悪印象を強くするテクニックも用いている。これは印象操作である。

エッセイの構成要素

 具体的な内容分析に移ろう。エッセイは次の3つの構成要素からなっている。

(1)ラムザイヤー教授が書いたコラムと論文に対する彼女自身の批評。このコラムとは、2021年1月12日にJAPAN Forwardに掲載された「慰安婦の真実を取り戻す」のことである。また、論文というのは、ほぼ同時に電子版で発表された「太平洋戦争における性契約」のことである。

(2)ラムザイヤー教授の著作物(必ずしも前述のコラムと論文ではなく、著作物全般)に対するソク教授以外の研究者のコメント。

(3)ラムザイヤー教授の著作物とは直接的に関係しない日米韓政府の動き、および慰安婦問題に対するアメリカの世論。

 まず、ソク教授がこの3つの構成要素に、エッセイ全体のどのくらいのスペースを割いているか「文字カウント」の機能を使って調べてみた。なおエッセイのテキストは日本語版を使った。

 その結果は、(1)が約8・8%(2)が約32%(3)が約21・6%だった。

 全体で1万6286語からなるエッセイのなかで、彼女自身の言葉でラムザイヤー教授および彼の著作物の批評に費やしたのはわずか1442文字で全体の8・8パーセントだった。

 一方で、他人の言葉によるラムザイヤー教授批判には、全体の約32%で5208文字使っていた。つまり、他人の言葉を自分の言葉より3・8倍も多く使っていたのだ。ここから、彼女の戦術がはっきり浮かびあがってくる。

 それは、自分の言葉ではなく、他人の言葉でラムザイヤー教授と彼の著作を批判し、そこに日米韓の政府の動きの記述を絡めていくというものだ。

 彼女に公平であるために一言いうと、そういうやり方で他人を批判する人は珍しくない。

「〇〇さんはあなたを嫌な女だといっている」と相手に言うのだが、実はそれは言っている本人の本音だというあれだ。

 そもそもソク教授は慰安婦の研究者や専門家ではない。だから、本人からすれば他の専門家に頼るのは仕方がない、ということだろうか。

 彼女は「私自身がハーバード・ロースクールでアジア系アメリカ人の女性として初めて、そして韓国系としては唯一テニュア(終身在職権)を授与されている人物だ」と自己紹介しているが、彼女の専門についてはともかく、慰安婦についての知識は自分独自で論文を書けるレヴェルにはないので、他人に頼らざるを得ない。

 ちなみにハーバード大学にはテニュアを授与された日本人教授は多くいる。アンドルー・ゴードンの前任者の一人入江昭・元教授などはアメリカ歴史学会の会長を務めた。

ソク教授の主張の核心部分

 では、彼女が(1)すなわち自分の言葉による批評で、なんと書いているのか見よう。彼女は前半部分でこう書いている。少しわかりにくい文章なので、引用のあとにポイントをまとめておいた。

「私はソーシャル・メディア上に、契約分析は自由に行動できる当事者間の自発的な交渉を前提としており、性行為が義務付けられず、それを拒否したり立ち去るという選択肢が存在しない状況は、公平に見て契約下にあるものであるとは言えないとラムザイヤー氏の議論に対して短い批判を載せた。もし従軍慰安婦が力ずくで、脅迫、詐欺、そして強制によって徴集・監禁されていたという彼女たちの証言をラムザイヤー氏が信用していたなら、彼は慰安婦が交わしたとされる契約について論文の中にあるようには記述することはなかったはずだ、という確信を私は持っていた。私には、ラムザイヤー氏が元慰安婦による証言を一貫性に欠けている、あるいは彼自身が書いているように『利己的』で『立証されていない』と考えていることが、信用するに値しないという前提に反映しているように見受けられた」

 ポイントを箇条書きにしてみよう。

・「従軍慰安婦」たちは「力ずくで、脅迫、詐欺、そして強制によって徴収・監禁されていた」と証言している。

・しかしラムザイヤー教授はその証言を「信用するに値しない」ということを前提としている。

・女性たちには、性行為を拒否するとか、自発的に辞めるといった選択肢が無かった以上は、女性と慰安所の間に「契約」があったとは言えないというのが自分(ソク教授)の考えである。

 彼女のラムザイヤー批判の核心はここにあり、これに尽きている。

 つまり、ラムザイヤー教授が朝鮮人慰安婦の「力ずくで、脅迫、詐欺、そして強制によって徴集・監禁されていた」という証言を信じていたなら、今回のような論文を書かなかっただろうということだ(そういえば、アンドルー・ゴードン教授とカーター・エッカート教授も元慰安婦とされる女性の証言を信じていた)。

 そして、「自由に行動できる当事者間の自発的な交渉を前提としており、性行為が義務付けられ、それを拒否したり、立ち去るという選択肢が存在しない状況は、公平に見て契約下にあるものであるとは言えない」ので、ラムザイヤー教授が論文で契約と言っているものは契約とはいえないということだ。

批判は妥当か

 これらのソク教授の主張について検討してみよう。

 まず、朝鮮人慰安婦(現在は韓国あるいは北朝鮮国籍)の証言をラムザイヤー教授が信じないという点から見る。

 彼は確かにJAPAN Forwardの記事のなかで、彼女たちの証言を「まったくの作り話」(pure fiction)と評している。

 ソク教授はそうした評価を受け入れていないが、こうした見方はラムザイヤー教授特有のものではない。

 彼女たちの証言が変遷することはよく知られており、それゆえに信ぴょう性には疑問が持たれている。

 たとえば最初に慰安婦だと名乗り出た金学順さんは、当初、養父につれられて中国にいき、そこで慰安所に引き渡されたと証言していた。

 これは朝鮮人周旋業者によって騙されて売られた典型的パターンだ。

 だが、朝日新聞の記事では、日本軍によって「強制連行」されたと変わった。朝鮮人悪徳周旋業者の個人的犯罪行為ではなく、日本軍の「強制連行」、つまり国家的犯罪にすり替わってしまったのだ。

 これはほんの一部である。彼女たちの主張を裏づける証拠も出ていない。

 ただ、これまでにも書いた通り、女性たちの中には騙されてこの仕事に就いた人がいたのも間違いない。その点はラムザイヤー教授も論文で認めている。

 しかし騙したのは悪徳業者であり、日本政府や日本軍ではない。軍が騙したことなどを示す証拠は現在まで無いというのが日本政府の公式見解である。

 次にソク教授がいう「契約」の有無について見てみよう。

「性行為を拒否できる」ことと、「自由に立ち去れる」ことが条件に含まれていない限り、「契約」と見なすことはできない――これがソク教授の主張である。

 当時の慰安婦は仕事柄、自由に拒否はできないし、年季があけるまでは立ち去ることはできなかった。

 したがって慰安婦は無契約状態かつ性奴隷状態に置かれていた、というのがソク教授の論理であり主張である。

 しかし、これは、「慰安婦は無契約の性奴隷状態だった」という主張をしたいがために、「契約」の定義を一方的に定めているのではないだろうか。

 ラムザイヤー教授は、論文で女性側(親も含む)と業者との間には何らかの「契約」があったとして、根拠となる文献を多数示している。「前渡金」や「勤務期間」などさまざまな条件が話し合われて合意があったことをもって、「契約」と言える取り決めがあった、としているのだ。

 ところがソク教授はここで全く別の「契約」の定義を持ち出している。繰り返しになるが、彼女の定義では「性行為を拒否できる」ことと「自由に立ち去れる」ことが、「契約」が成り立つ条件なのだと言う。

 もちろん、そうした考えを主張するのは自由なのだが、どの程度一般性のある定義なのかは疑問が残る。

契約とは何か

 たとえば性産業一つとっても、現在でも、ドイツ、オランダ、スイス、オーストラリアなどでは売春所の経営は合法とされている。

 そこで働いている女性たちには、勤務先と何らかの取り決めをしていて、気乗りしない時でも働かざるを得ないこともあるだろう。そもそも、収入のことを考えずに、いつも自由に「性交を拒否できる権利」と「自由に立ち去れる権利」を行使できるわけではないのだ。

 では彼女たちは「無契約」で「性奴隷」状態に置かれていることになるのだろうか。

 そうではないので、女性の人権が叫ばれている今日でさえ、彼女たちは性奴隷とはされず、合法的存在になっているのではないだろうか。いくらなんでもドイツやオランダが性奴隷を放置はしない。

 性産業以外の仕事を考えてみたらどうなるだろう。

 多くの企業で社員たちは、命じられた仕事を拒否はできない。希望の職種ではなくても従っている。通常、自由に辞めることはできるだろうが、仮に「〇年契約」といった取り決めをしていたり、あるいは会社に借金をしていたりすれば、辞める際には何らかの対価を払うことになるだろう。慰安婦が辞めるにあたっては借金(前渡金)を返済する必要があるのと同じである。

 ではこういう社員は「無契約」で「奴隷」状態に置かれていると言えるかといえば、そんなことはない。

 世界の大部分の国々で売春は非合法だが、にもかかわらず性産業は存在する。なるほど、一部の国々のように、人身売買によって売春所に入れられ、監禁されて強制的に働かされている場合は、契約など最初からない。

 しかし、人身売買でもなく、監禁もない場合の非合法的売春は、女性たちをみな無契約・性奴隷状態に置いているのだろうか。彼女たちは、理想的条件を満たさない非合法な契約だが、なんらかの決まりのもとで働いているのではないだろうか。

 実際、彼女たちと経営者の間にはなんらかの取り決めがあり、両者がなんらかの利益を得ているので、それを守っているのではないだろうか。

 ラムザイヤー教授のゲーム理論からいけば、そうなる。

 筆者はこちらのほうが現実だと思う。

 ソク教授は理想的条件(あくまでも彼女の定義による)を満たすものでなければ、契約が存在しなかったという見方を取っている。しかしここまでに見たように現実の社会を見た場合には、これはかなり特殊な立場のように感じる。

 現代のように細かいことまで契約で詰めることが一般化した社会ならばまだしも、戦前の民間人同士でそんな理想的条件を満たしていなければ契約が存在しない、というのはかなり無理筋の主張ではないだろうか。

ラムザイヤー教授の狙い

 ラムザイヤー教授は、これまでにも実際に存在した日本の公娼、私娼、慰安婦制度を研究対象とし、ソク教授のいう現代的契約とは言えないにしても、経営者と売春婦の間に一定の契約があり、ゲーム理論の「信頼できるコミットメント」によって両者がそれを守っていたことを明らかにしてきた。

 彼が1991年に発表した論文「芸娼妓契約 −性産業における『信じられるコミットメント』」によれば、とかく経営者は売春婦を一方的に搾取し、年季も勝手に伸ばして、女性を長期にわたって性奴隷状態においたと思われがちだが、公娼・私娼に関する統計データを見ると、実際には「信頼できるコミットメント」が働いていて、多くの女性たちはかなりの収入を得て、年季があけるかなり前に性産業から去っていたという。その後、少なからぬものが、看護婦などの「正業」に就いてさえいた。

 この公娼・私娼モデルを慰安婦に当てはめてみたところ、やはり同じ「信頼できるコミットメント」が機能して、慰安婦たちは原則として高収入を得て、2年の年季で慰安所を去っていたことが分かった。ただし、ミャンマーのミッチナ慰安所のように、年季が半年から1年だった例、2年で年季が来たのに、帰国せず慰安所に留まった例もあった。

 年季があけたのに留まったケースも、戦況が悪くなって彼女たちを安全に帰国させることができなかったとか、人気があるので経営者に引き留められたというものもあるが、女性自身がもっと収入を得たいので自ら留まることを選択したと考えられるケースもあった。

 つまり、さまざまな要因によって、すべてのケースにおいて原則通りとはいかなかった。にもかかわらず、「信頼できるコミットメント」によって慰安婦は高収入を得て、短い年季で慰安所を出るという法経済学的モデル自体は成り立つというのがラムザイヤー教授の示した説である。

 ラムザイヤー教授は、これら公娼、私娼、慰安婦の制度における契約が、ソク教授の言うような理想的条件を満たしていないことをよく知っている。その契約が現代のように契約書ベースでないことも熟知している。

 そのうえで、契約書ベースではない理想的条件を満たさない契約を研究対象とし、その契約が慰安婦と雇用主の双方にとってどのように機能しているのかを明らかにしようとしたのだ。当時この仕事に関わった人たちの行動原理を合理的に説明しようとしたとも言える。ここで彼は、現代のモラルで当時の人たちの行動を裁こうとはしていない。それは論文の目的ではないからだ。

論文の結論は変わらない

 たしかに、これまでの記事でも述べたように、騙された女性、自発的同意をした女性、親に因果を含められて自発的とは言えない同意をした女性等々、さまざまな女性がいて、彼女たちの「自発的同意」のレヴェルは、ケースバイケースで違っていた。

 だが、彼女たちは、親と一緒に警察にいって同意書に署名し、それをもとに渡航許可書をもらい、戦地の慰安所に着くまでに、何度も官憲による書類と契約内容のチェックを受けていた。

 女性たちには、ほとんどの場合、不同意の意志を示す機会は与えられていた。実際には、親の意向に逆らったりすることは難しかっただろうが、当時、それはこの仕事に限った話では無かっただろう。親が勝手に仕事や結婚相手を決めることが普通だった時代である。

 そして、ここが重要なところだが、慰安所では、日本軍の慰安所経営規則にのっとり、契約を承知してきた女性も騙されてきた女性も、居住費や食費の負担、経営者と女性の取り分、料金、年季など、契約の基本的な部分では同じだったのだ。つまり、ラムザイヤー教授が試みた法経済学的モデルにおける分析の結果は変わらないのだ。

 ソク教授は、理想的条件を満たさないから無契約であり、無契約だから奴隷状態であるとして、この現実から目を背けている。

 だが、ラムザイヤー教授はこの現実にあった契約がどう機能していたかを明らかにしようとしている。

 ソク教授が現在の価値観に基づいて過去を説明しようとする原理主義者だとすれば、ラムザイヤー教授は、当時の価値観をもとに過去を説明しようとするリアリストだ。

 要するに、ソク教授のラムザイヤー批判は、立場の違いからくる一方的なものである。だからかみ合わない。

気になるメール

 論文の是非の論議とは別に、筆者が気になったのはソク教授がラムザイヤー教授にメールで送った言葉だ。彼女はエッセイの中で、メールについてこう書いている。

 私は同僚(注・ラムザイヤー教授のこと)の考え方を十分に理解するためにしばらく時間を費やした後、これから公の場で意見の相違を表明することになると、(メールで)本人に伝えた。同時にラムザイヤー氏が研究活動や意見表明を通じて学問の自由を行使することに対して、もし大学等による組織的な制裁を加えようとするような動きが出て来た場合、それには同調せず、またそれを助長するようなこともしないとも伝えた。

 文中の「大学等による組織的な制裁」は日本語版の「意訳」だが、英語版ではinstitutional penaltyとなっている。一体このinstitutionalは何を指すのだろう。

 学問の自由、言論の自由がある国では、「研究活動や意見表明を通じて学問の自由を行使する」ことで教員に大学当局が制裁や処罰を与えることはない。もし、それをすれば、たちまち当該教員に大学が訴えられ、裁判に負けて、マスコミの非難にさらされ、トップは辞任に追い込まれる。日本だろうが、アメリカだろうが同じである。だからハーバード大学がラムザイヤー教授に「組織的な制裁」を加えるということは考えられない。

 文字通りの意味だとすると、わざわざいう必要はない。必要もないのに書いているのは何か意味があるのだろうか。真意はどこにあるのだろうか。

 institutional penaltyとは「大学による制裁」ではなく、「組織による制裁」であるとしたらどうだろう。

 つまり、彼女の発言によく反応する正義連やその関連団体や韓国メディア、あるいは韓国政府による制裁だ。

 ソク教授は、そうした制裁には「同調しない」と書いている。しかし、わざわざそのような制裁の存在を匂わせているようにも読める。私がこのようなメールを受け取ったなら、そう解釈する。

 長くなったので、(2)以降は次回に見ていくこととする。

有馬哲夫
1953(昭和28)年生まれ。早稲田大学社会科学総合学術院教授(公文書研究)。早稲田大学第一文学部卒業。東北大学大学院文学研究科博士課程単位取得。2016年オックスフォード大学客員教授。著書に『原発・正力・CIA』『歴史問題の正解』など

デイリー新潮取材班編集

2021年4月13日 掲載