犠牲となった義勇兵らへの支援強化

 日本ではあまり知られていないが、1954年11月21日は韓国では「独島大捷(たいしょう)」という記念日にあたる。“大捷”とは“大勝”のことなのだが、この年のこの時期に日韓間で竹島を巡る争いがあった事実はない……。韓国在住・羽田真代氏のレポート。

 韓国では2005年以降、竹島やそれにまつわる人たちに関する法律などの整備が進んできた。ざっと以下の通りである。

2005年:「独島義勇守備隊支援法」の制定。独島守護のために犠牲となった義勇守備隊員とその遺族などへの支援。

2008年:韓国・国務総理室傘下に「政府合同独島領土管理対策団」を設立。

2009年:「独島義勇守備隊支援法」を元に「財団法人独島義勇守備隊記念事業会」を結成。独島義勇守備隊の精神を称え、義勇守備隊員とその遺族に対する支援事業を行う。

2013年:「財団法人独島義勇守備隊記念事業会」が毎年11月21日を「独島大捷日」と定めることを発表。国立墓地の国立大田顕忠院で「独島義勇守備隊」の追悼式が開催されている。

全く根拠のない“大勝”

 国側の主張によれば、独島義勇守備隊は朝鮮戦争参戦者や竹島の近くにある鬱陵島の住民ら33人が1953年4月に結成した集まりであり、翌年11月21日に日本の海上保安庁の巡視船「へくら」と「おき」を迫撃砲などによって撃退したという。

 国側はこれを“大勝”と評価し、記念日まで設けたわけだが、当時の日本メディアには「『へくら』は韓国砲台から5発の砲撃を受けたが損害はなかった」と書かれている。どのように解釈すれば“大勝”になるのだろうか……。

 それはともかくその後、独島義勇守備隊は竹島に警備所を設置するなどして竹島を不法占拠し続け、1956年12月、韓国警察に守備業務を引き継ぎ、その活動を終えた。

 今回開かれた追悼式では、国家報勲処(愛国者や退役軍人に関する政策などを立案する韓国の国家機関)が「この戦闘は独島義勇守備隊が最も激しく戦い、大勝した戦闘で、日本が二度と独島を違法に侵犯できなくなる契機となった」と述べている。

「竹島は日本固有の領土だ」とGHQ

 ここで改めて、サンフランシスコ講和条約前後における竹島に関する日本側の記録をおさらいしておこう。

<1951年>
・韓国政府、米国政府に対し「対日平和条約で竹島を韓国領とする」よう要望
・米国側(=GHQ)、「竹島は一度も韓国領であったことはない」としてこれを拒否

<1952年>
・韓国・李承晩(イ・スンマン)大統領が一方的に「李承晩ライン」を宣言、竹島を韓国領に含める
・サンフランシスコ講和条約発効、竹島は米軍の爆撃訓練区域として提供される

<1953年>
・島根県と海上保安庁が竹島を共同調査
・竹島にいた韓国人が日本の巡視船「へくら」に発砲
・韓国政府、「李承晩ライン」内から日本漁船の退去を命じ、拿捕の強行を開始

<1954年>
・韓国政府、竹島に武装要員を派遣して実力による不法占拠を開始
・日本政府、韓国に対し竹島について国際司法裁判所に付託することを提案、韓国政府はこれを拒否(1962年、2012年にも同様に提案したが韓国側は全て拒否)

 このように竹島は、日本が第二次世界大戦で敗戦してから1952年までGHQの占領下に置かれていた。そのGHQが「竹島は日本固有の領土だ」と結論付けた事実について、今もなお実効支配を続ける韓国政府はどう反論するのだろうか。

反日教授の登場

 今年11月16日には韓国警察庁のトップである金昌龍(キム・チャンリョン)長官が竹島に上陸した。

 日本側は反発して日米韓外務次官協議会関連の共同記者会見を取りやめた。これについて反日教授として知られる徐坰徳(ソ・ギョンドク)誠信女子大学教授は、「韓国政府は日本に断固として対処しなければならない」「民間レベルでは文化コンテンツを活用した“グローバル独島広報”を更に強化しなければならない」と持論を展開していた。

 この“グローバル独島広報”の一環として、10月27日の「独島の日」に合わせ、前出の「財団法人独島義勇守備隊記念事業会」「国家報勲処」は、中高生を対象に「オンライン独島クイズショー」を開催している。1位:奨学金200万ウォン(約19万2千円)、2位:奨学金100万ウォン(約9万6千円)などと、カネにモノを言わせたいわゆるニンジン作戦なのだが、もちろんそこで「正解」とされるのは、彼らの勝手な歴史解釈に基づくものとなる。

 韓国側の歴史洗脳教育は順調に進んでいるように見える。

羽田真代(はだ・まよ)
同志社大学卒業後、日本企業にて4年間勤務。2014年に単身韓国・ソウルに渡り、日本と韓国の情勢について研究。韓国企業で勤務する傍ら、執筆活動を行っている。

デイリー新潮編集部