米国で物価上昇(インフレ)に歯止めがかからず、長期化する懸念が高まっている。

 6月10日に発表された5月の消費者物価指数(CPI)は前年同月比8.6%上昇し、約40年ぶりの高水準に達した。伸び率の加速は2ヶ月ぶりだ。コロナ禍にロシアのウクライナ侵攻が重なったことでエネルギー価格などが急激な速度で上昇し、インフレが再加速している。

 インフレ抑制を最重要課題として中間選挙に臨む構えのバイデン大統領にとって最悪の展開だ。手詰まり感は否めず、10日の演説で「プーチンのせいで物価が上がり、米国は打撃を受けている」と訴えたが、苦し紛れの言い訳のように聞こえてならない。

 バイデン政権にとって最も頭が痛いのは、車社会の米国にとって生活必需品といえるガソリンの価格が連日のように過去最高値を更新していることだ。米国の平均ガソリン価格は11日、史上初めて1ガロン(約4リットル)当たり5ドル(約670円)台となり、1年前に比べて約6割も高くなった。

 インフレが続くと今後どのような影響が出てくるのだろうか。

 経済学者はインフレの悪影響を過小評価するきらいがあるが、一般の人々はインフレを毛嫌いする傾向が強い。「インフレは自分たちの経済状態を悪くし、将来の計画を立てにくくなる」と考えるからだ(英誌エコノミスト4月23日号)。

「血液」を売る中流家庭

 インフレ懸念で米国の消費者景況感は急激に悪化している。

 米ミシガン大学が10日に発表した6月の消費者態度指数(速報値)は50.2となり、前月から8.2ポイント低下した。2ヶ月連続の低下で、統計開始の1952年以来最低の水準となった。46%がインフレを景況感悪化の理由に挙げ、特に「ガソリン高騰が重荷だ」と回答している。5月の米国の失業率は3.6%と歴史的低水準となっており、本来なら消費者景況感は落ち込まないはずなのだが、高インフレが足を引っ張った形だ。

 物価の上昇が賃金の上昇ペースを上回り、実質賃金が目減りしていることも関係している。米国の時間当たり実質平均賃金は今年3月までの1年間で3%近く低下した。

 バイデン政権はウクライナに武器を供与し、戦争を長引かせようとしているが、このことが災いしてインフレが激化、景気が急激に悪くなりつつある。

 バイデン大統領は8日夜のABCのトーク番組で「インフレは我々の存在を脅かす災いの元だ」と述べたように、インフレは米国の人々の生活を脅かし始めている。直撃を受けているのは政府からの支援策が期待できない中間層だ。

 米国では約700万円の年収で安定した暮らしを送っていた中流家庭がインフレで生活費が不足し、血液中の血漿(けっしょう)を売らなければならない状態に追い込まれているという(6月3日付クーリエ・ジャポン)。

 救命医療の研究などに不可欠な血漿の需要は大きく、世界の供給の3分の2は血漿提供に企業が対価を支払うことが許されている米国で賄われている。生活費の足しになるとはいえ、血漿を抜くと体が弱って病気になりやすい。生活をなんとか維持するため、米国の中間層は自らの健康を犠牲にしなければならなくなっていると言えよう。

インフレが生む「憎悪の炎」

 インフレの影響は経済面にとどまらない。心理面での影響も見逃せない。人々のインフレに対する意識、特に忌避感が高いことから、インフレ対策にはポピュリズム的な要素が紛れ込みやすい。

 ガソリン価格の高騰に対する不満が渦巻く中、バイデン大統領は10日のロサンゼルスの演説で「エクソンモービルなどの石油会社はガソリン価格の高騰につけ込んで『神』よりも儲けている」と批判した。

 ガソリン価格が高騰しているのは、需要の回復過程でウクライナを侵攻したロシアへの制裁や精製能力の逼迫などの要因が重なったからだが、バイデン大統領は政権への批判をかわすため、あえて大手石油会社をやり玉に挙げたのだ。

 米国人の3人に2人が「インフレを悪化させているのは悪徳企業が便乗値上げをしているせいだ」と考えていることを意識した発言だったのかもしれないが、「非常に軽率であり、後顧の憂いを残すのではないか」と筆者は危惧している。「巨悪を名指して糾弾し、人々の歓心を買う」という物言いはポピュリストの常套手段だからだ。

「インフレは民主主義を衰退させる」との指摘がある(6月6日付日本経済新聞)。

 インフレは一部の者だけが恩恵に浴する事態を生み出す。困窮した人々の不満は高まるばかりだが、政府がインフレがもたらす不平等を是正する有効な手段を持ち合わせていないことが多い。このため人々の不満が政治への不信に変わるのが常なのだが、このような政治状況下で最も活躍するのはプロパガンダを駆使するポピュリストだ。彼らが人々の憎悪の炎をかき立てればかき立てるほど、社会に深刻な分断が生まれる。その結果、民主主義が麻痺してしまうというわけだ。

 極端な例としてしばしば取り上げられるのは第1次世界大戦後のドイツだ。ハイパーインフレに見舞われたドイツでは「お金と同様、自分も無価値になってしまった」と人々が絶望し、その後のファシズムの台頭を招いたというのが定説だ。

 米国が当時のドイツのような苦境に陥るとは思わない。だが、金融政策など従来のやり方でインフレを抑制することができず、功を焦るあまりバイデン政権がポピュリスト的な手口を多用するようになれば、機能不全が囁かれる米国の民主主義は危機的な状態になってしまうのではないだろうか。

藤和彦
経済産業研究所コンサルティングフェロー。経歴は1960年名古屋生まれ、1984年通商産業省(現・経済産業省)入省、2003年から内閣官房に出向(内閣情報調査室内閣情報分析官)。

デイリー新潮編集部