新年早々、世界の民主主義に暗雲が垂れ込める事件が発生した。
ブラジルで1月8日、左派ルラ政権に反発する右派ボルソナロ前大統領の一部の支持者が暴徒化し、首都ブラジリアで連邦議会などを襲撃した。
ブラジル政府は約1500人の容疑者を器物損壊やクーデター未遂などの理由で拘束し、幸いにも事態の早期沈静化に成功したが、ブラジルでなぜこのような事件が発生してしまったのだろうか。
昨年10月の大統領選決選投票はまれにみる激戦だった(当選したルラ大統領の得票率 は51%)。今年1月のルラ氏への支持率も同水準にとどまっており、新政権に対する国民の評価が真っ二つに分かれている。
今回のブラジルの議会襲撃が2021月の米国の悪夢(ワシントンの連邦議会襲撃)を彷彿とさせる事件だったことから、2年前と同様、今回もトランプ前大統領の主席戦略官だったスティーブ・バノン氏が絡んでいるのではないかとの憶測が流れているが、真偽のほどは定かではない。
「我々の民主主義は持ちこたえた」?
ルラ氏が勝利した大統領選は当初、ルラ氏の大幅リードが伝えられていたが、終盤になってボルソナロ氏への支持が急速に高まった。ボルソナロ氏のもともとの支持基盤は農家や宗教保守派、元軍人らに限られていたが、ロシアによるウクライナ侵攻で燃料や肥料などの価格が高騰し、市民の暮らしぶりが急速に悪化すると支持の裾野を一気に拡大させた(1月11日付日本経済新聞)。
選挙後もボルソナロ氏支持者は「ルラ氏が掲げる手厚い貧困対策で自分たちの生活水準はさらに低下する」「ルラ政権では中間層に支援の手が届かない」と危機感を強めており、熱狂的な支持者がこれに押される形で議会襲撃という暴挙に出た。
世界各国は今回の襲撃事件を一斉に非難し、相次いでルラ政権への支持を表明した。
バイデン米大統領は9日、ルラ大統領と電話協議し、ブラジルの民主主義と国民の自由意思に対する揺るぎない支持を伝えた。
バイデン大統領はワシントンの議会襲撃から2年となった6日、ホワイトハウスで式典を開いていた。その席上「我々の民主主義は持ちこたえた」と自賛したが、米国の中間層の生活ぶりも悪化の一途を辿っている。
米国では最も裕福な人々がさらに裕福になっている。低賃金労働者はインフレで家計が圧迫されているものの、人手不足を追い風に歴史的な賃上げを勝ち得ている。だが、中間層の人々には明るい要素はほとんどなく、収入が伸び悩んでいる(2022年12月5日付ビジネスインサイダー)。
中間層の人々にとって悩みの種は富を築く伝統的な手段だった不動産価格が下落していることだ。一方、インフレがなかなか収まらず、賃金も停滞していることから、「現在の収入で生活費を賄うことができない」と痛切に感じている。
米国では近年「政治の危機」が叫ばれているが、中間層が長期にわたって縮小したことが主な要因の1つだ。中間層がさらに苦境に陥ることで米国政治の不安定化が一層進むことが危惧される。
米国では「トランプ前大統領が復権するとファシズム化が進む」と警戒されているが、1930年代のファシズムは中間層の不満が原動力になっていたというのが定説だ。
15回の投票が意味するもの
バイデン大統領の評価とは異なり、「米国は依然としてファシスト国家への道を歩んでいる」と社会学者フランシス・フォックス・ピヴェン氏は警鐘を鳴らしている。
昨年11月の中間選挙で「トランプ旋風」が生じなかったことで米国では安堵の声が広がっているが、ピヴェン氏は楽観論を戒めている。
ピヴェン氏が注視しているのが共和党が下院の多数派を奪還したことだ。
下院では早くも異常事態が発生している。多数を占める共和党のケヴィン ・マッカーシー議員の議長選出が難航し、15回の投票を要する異例の展開となった。
共和党の保守強硬派「フリーダム・コーカス(自由議連)」がマッカーシー氏の議長就任に反対したからだ。議長就任と引き換えにマッカーシー氏はフリーダム・コーカスに多くの譲歩を余儀なくされた。
これにより、フリーダム・コーカスが下院の議会運営に大きな影響力を持つようになったことは間違いない。
気になるのは連邦政府の借入限度額を定める債務の上限の引き上げ問題だ。フリーダム・コーカスは「小さな政府」を志向しており、債務の上限引き上げに断固反対している。
米国政府の債務の上限は今年後半に到達することが確実視されており、議会で合意できなければ、米国政府はデフォルトを宣言せざるを得なくなる。
ピヴェン氏が「民主主義をつぶす政策を実行するのにファシストが大多数である必要はない」と指摘するとおり、デフォルト発生で経済が大混乱すれば、これに乗じて組織化された少数のファシスト勢力が米国政治の実権を握ってしまうかもしれない。
スイスのシンクタンク「世界経済フォーラム」は11日に公表した「グローバルリスク報告書」の中で「今後2年間における最も深刻なリスクは物価高騰などによる生活費の危機だ」と指摘した。
生活費の高騰で不満が高まる中間層の怒りに正しく対処しない限り、世界規模で政治の危機が発生してしまうのではないだろうか。
デイリー新潮編集部