米国は「国際秩序の再構築を目指す意志と力を持つ唯一の競争相手」と位置づける中国に対し、圧力を日に日に強めている。
米国から一方的な「攻撃」を受ける中国も黙ってはいない。米国のアキレス腱を狙ってひそかに反撃に出ている。
米国社会は銃乱射を始め様々な問題を抱えているが、最も深刻なのは薬物中毒だ。
薬物で最も問題になっているのは医療用麻薬フェンタニルだ。
モルヒネの50〜100倍の強度を持つ鎮痛剤であるフェンタニルは、末期のがん患者の苦痛を緩和するために開発されたが、過剰摂取による死亡事故が多発している。
米国では2021年、薬物の過剰摂取で死亡した約10万7000人のうち、3分の2の原因がフェンタニルだ。通常の麻薬より安価であることに加え、医療用とされていることから、依存性が強いにもかかわらず安易に手を出してしまうと言われている。
米国では7分に1人がフェンタニルで命を落としている計算だ。18歳から49 歳までに限れば、死亡原因の第1位はフェンタニル中毒だ。
米国政府はフェンタニルの取り締まりに躍起になっているが、フェンタニルの違法な流入は止まらない。
生産はメキシコ、供給は中国
アリゾナ州当局は1月19日「違法に輸入されたフェンタニルの原料とみられる粉末を大量(約200キロ)に押収した」と発表した。
米麻薬取締局によれば、昨年に押収されたフェンタニルは粉末で4.5トン以上、錠剤で5060万錠に上った。3億7900万人分の致死量に相当し、約3億3000万人の米国人全員の命を奪うのに十分な量だ。
米国で蔓延するフェンタニルの直接の生産者は国境を接するメキシコの麻薬マフィアだが、その原料を供給しているのは中国だ。
中国の化学企業はフェンタニルの原料を世界で最も多く生産している。これをメキシコに輸出し、マフィアが既存の麻薬密売ルートを通じて米国に運び込むという構図だ。
フェンタニル原料の中国最大の生産地は武漢市だ。2020年初頭に武漢市で新型コロナのパンデミックが起きると供給が激減し、米国のフェンタニル価格が高騰したという。
中国企業とメキシコのマフィアは、米国の中国系ネット銀行を利用して仮想通貨などで代金のやりとりを行っているため、フェンタニル流入の追跡が難しい。
トランプ前政権は2018年から中国政府に対し、フェンタニルの米国への輸出を規制するよう、働きかけを強めた。この問題が重視されたのはトランプ氏の支持者が多い「ラストベルト」が全米で最も深刻な被害を受ける地域の1つだったからだ。
中国政府も米国との貿易摩擦の緩和を狙って2019年からフェンタニルの輸出規制を強化した。これによりメキシコ経由での流入は続いているものの、中国からフェンタニルが米国に直接輸出されることはほとんどなくなった。
米大統領選挙の争点に?
だが、バイデン政権の圧力強化に不満を募らせる中国政府は、その報復として2019年に強化したフェンタニルに関する輸出規制を緩めている(2022年12月27日付ウォールストリートジャーナル)。バイデン政権が新疆ウイグル自治区での人権弾圧や台湾への軍事的圧力を非難するたびに、米国でのフェンタニルの流通量が急増するパターンが相次いでいるという。
特に中国側の動きが顕著だったのは、昨年8月にペロシ連邦下院議長(当時)が台湾を電撃訪問した直後だ。
中国政府はフェンタニル規制関連の交渉窓口を閉鎖した。米国政府は駐米中国大使館などを通じて対話を求めているが、中国側は没交渉の姿勢を貫いている。
昨年11月にバイデン大統領と習近平国家主席が首脳会談を行い、両国の関係改善の兆しが出ているものの、中国側は米国の検察当局が指名手配したフェンタニル関連企業の取り締まりに応じておらず、事態改善の目途は立っていない。
米国からの度重なる抗議に対し、中国外交部は「米国人による過度の薬物依存が問題だ。なぜ中国のせいにするのか」とけんもほろろだ。
ホワイトハウスで薬物問題を担当するグプタ国家薬物管理政策局長は1月24日付英フィナンシャルタイムズのインタビューで「中国とメキシコの犯罪集団が(米国での)フェンタニルの取引を拡大するのは時間の問題だ」と危機感を露わにしている。
米国の圧力強化に反発する中国がフェンタニルに関する規制を再び強化しなければ、米国社会のさらなる不安定化は避けられない。
この問題が2024年の米大統領選挙の争点の1つに浮上する可能性が生じている。
トランプ前大統領は1月28日、次期大統領選挙に向けて本格始動した。
ニューハンプシャー州で演説したトランプ氏は「バイデン政権の移民政策が麻薬流入などによる治安悪化を招いた」と酷評し、「麻薬取引の撲滅」を最重要公約に掲げた。移民の流入が拡大し、メキシコ国境での薬物管理にまで手が回らなくなっているバイデン政権の無能ぶりをクローズアップするのが狙いだろう。
トランプ氏は中国に対しても2019年の時以上の厳しい規制を求める可能性が高い。
人気に陰りが出ているトランプ氏だが、バイデン政権が一向に改善することができない薬物問題を争点化すれば、次期大統領選挙でリベンジを果たすことができるのかもしれない。
藤和彦
経済産業研究所コンサルティングフェロー。経歴は1960年名古屋生まれ、1984年通商産業省(現・経済産業省)入省、2003年から内閣官房に出向(内閣情報調査室内閣情報分析官)。
デイリー新潮編集部