1年前には「キエフ」を闊歩する夢を見ていた独裁者は今、空爆を恐れて地下壕を転々とし、病魔に苦しめられながら周囲に当たり散らす毎日を送っているという。一方、軍や側近はクーデターや離反を始め……。ウクライナ侵攻1年、プーチンの終末は近づいた。
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「ゼレンスキーは一介のコメディアンだったが、戦争を通じて偉大な政治家になった。プーチンはもともと偉大なる指導者だったが、戦争を通じ、一介のコメディアンになった」
長い間の圧政に耐えてきた歴史がそうさせるのか、ロシア人は政治風刺が大好物である。権力をチクリと皮肉る小話「アネクドート」の傑作が多数生み出されてきたが、このウクライナ侵攻についても早速、SNSなどで冒頭のような例が日々作られている。
中にはこんなジョークも。
「ロシア軍は、偉大なるウラジーミル・プーチン大統領閣下の改革のおかげで、ウクライナ領内で2番目に強力な軍隊になった」

膠着状態
昨年2月24日、ウクライナへ電撃的に戦闘を仕掛けて1年。世界最強の軍隊のひとつと目されてきたロシア軍は、意外なほどの脆さを露呈した。弱小と侮っていたウクライナ軍と互角の戦いを強いられているのは、プーチンにとって決して冗談では済まされない。
この1年を振り返って、
「現在の戦況は膠着(こうちゃく)状態に陥っています」
と解説するのは、防衛研究所の兵頭慎治・政策研究部長である。
「そもそもプーチンは、戦争開始後、短期間でキーウを陥落させ、ウクライナ全土を制圧することを企図していました。が、欧米諸国の支援を受けたウクライナ軍の抵抗に遭って頓挫したのが初めの失敗です」

20万人に近づく死傷者
それでもロシアは、ルハンスク、ドネツク、ザポリージャ、へルソンなど東部、南部の州の制圧には成功したものの、
「ウクライナ軍の本格的な反抗に遭い、9月には一部を占領したハルキウ州を、11月には州都を含むへルソン州の西部をそれぞれ奪還されています。その後は東部を中心に一進一退の攻防戦が続いていますが、ロシア軍は1月末から2月頭に向けて大規模攻勢をかけ、支配地域を局所的に広げて押し戻す動きが出ている。ウクライナ軍の抵抗も激しく、戦闘の烈度は上がる一方です」
この間のロシア軍の損耗は大きかった。
「これまでに30万人超の兵を投入し、20万人に近づく死傷者が出たとの見方を米軍は示しています。また、イギリス国防省は、ここまで4万〜6万人の戦死者が出ていると分析しています」
1979年からソ連はアフガニスタンに侵攻し、以後9年間で1万5千人の戦死者を出したといわれる。今般、わずか1年でその倍以上から4倍の死者を出しているというのである。

二つの火種
そうした状況だから、政権内部で深刻な亀裂が生じているのは当然といえる。
「現在、プーチン政権には、二つの火種があるといわれています」
と述べるのは、元読売新聞国際部長でモスクワ支局長も務めた、ジャーナリストの古本朗氏だ。
「一つ目は軍内部です。今年1月にウクライナ侵攻軍のセルゲイ・スロビキン将軍が総司令官を解任され、ワレリー・ゲラシモフ参謀総長が任命されました。これを巡っては、軍によるミニ・クーデターではないか、との見方も出ているのです」
今回のウクライナ侵攻におけるロシア軍には二つの勢力がある。一つは正規軍、もう一つは非公式に投入されてきた民間軍事会社「ワグネル」などの傭兵部隊だ。そして解任されたスロビキンは「ワグネル」創設者、エフゲニー・プリゴジンの盟友と目されている。
「戦況が悪化するに連れ、比較的高度な戦闘能力を持つ『ワグネル』の力が増してきた。プリゴジンはその功をアピールし、スロビキンを総司令官に推しましたが、それに不満と危機感を抱いたゲラシモフら軍部がプーチンに直訴し、交代を迫ったとの見方が出ているのです」
正規兵vs.傭兵の主導権争いが激化しているというわけなのである。
時事通信モスクワ支局長を務めた、拓殖大学の名越健郎・特任教授も言う。
「政権の内情に通じているため、専門家も注目する『SVR将軍』なるSNSアカウントがある。その投稿によれば、プリゴジンらは常々ロシアの正規兵を敵対視し、酷評してきた。かつてゲラシモフが将兵にヒゲを短くすることを要求した際は、“われわれは戦闘で忙し過ぎて、正規軍のようにヒゲを剃る時間がない”と反発したほど。プーチンは、そんなプリゴジン派が据えた総司令官を切り、正規軍のトップを据えたわけですから……」
「ワグネル」側の反発は避けられないというのだ。
軍部に怒りのマグマ
しかも古本氏によれば、
「侵攻軍指揮の主導権を奪回したゲラシモフら軍側も、プーチンと意見が対立しているといわれています。損耗が激しい軍は、現在占領しているドネツク、ルハンスク両州からなるドンバス地方とクリミア半島を死守し、和平交渉に持ち込みたい。しかし、プーチンは、総攻撃を仕掛けて占領地域をより拡大したいという野心を持っていて、軍部には怒りのマグマがたまっているのです。そしてこうしたプーチンへの不満を、彼の権力基盤であるシロヴィキも抱えているといわれる。これが二つ目の火種です」
シロヴィキとは、ロシアの支配階級である軍、治安、情報機関系の勢力を指す言葉だ。
「現在、この筆頭といわれるのが、安全保障会議のニコライ・パトルシェフ書記です。KGB出身の彼はプーチンの最側近で盟友。しかし、最近、プーチンと彼の間に対立が生まれたとの情報が出ているのです」(同)
名越教授が言葉を継ぐ。
「パトルシェフは従来、戦争終結後、プーチンの後継者に農相を務める自らの息子を据えることをもくろんでいたが、プーチンが応える気配が見えない。それに激怒し、安全保障会議のオンライン会議を欠席しているとの話があります」
なるほど、磐石に見えるプーチン政権の内部もこの1年で揺れているのだ。
精神状態が乱高下
そして当のご本人も、
「身体的にも、精神的にもガタが来ているのは明白です」
と述べるのは、筑波大学の中村逸郎・名誉教授(ロシア政治)である。
「かねて報じられているように、がんやパーキンソン病を患っている可能性が高い。また、精神状態も乱高下しています。最近では、1月に開かれた閣僚会議でのシーンが話題を呼んでいます。ロシアのテレビで流されたその映像を見ると、戦地への兵器輸送がうまくいっていないことについて、“何をやっているんだ、バカ野郎!”“ふざけるな! ひと月以内に終わらせろ!”などと副首相に怒鳴り散らしているのです。これを受けて記者から質問された報道官は、“日常的な光景だ”と言ったとか」
愛人とパーティーか
また、ウクライナの攻撃を恐れてクレムリンを離れることも少なくなく、国内にある邸宅や地下壕などを転々としているという。
名越教授が言う。
「先のSNSによれば、地下壕を含めて幾度も居場所を変えるため、“塹壕じいさん”と呼ばれているとか。正妻と離婚して現在独身のプーチンは、新体操の五輪金メダリスト、アリーナ・カバエワを愛人にしているといわれています。昨年には子を宿したとの情報もありますが、プーチンは新年もウラル山脈周辺のバンカー(地下壕)で迎え、その席には彼女もいて、たくさんのごちそうとケーキが供されたとも投稿されています」
公の場にはイタリアの高級ブランド、ロロ・ピアーナのジャケットをまとい、ドイツの高級車、メルセデス・ベンツのハンドルを握って登場する。
兵士がバタバタと戦死していくのとは対照的に、酒池肉林の日々を送っているわけだ。
危険なナショナリズム
そんな偉大なる独裁者に率いられたウクライナ侵攻は、今後、どのように展開していくのか。
前出・兵頭氏によれば、
「プーチンは3月末までにドンバス地方の完全制圧を目指していると思われます。これまで断続的に投入されてきた30万人の動員兵についても、2月にはすべてを戦場に投入するとみられています」
対するウクライナ軍も、
「欧米からの戦闘車両が投入され、東部やクリミア半島などを奪還する作戦を本格的に実行します」
そのため、
「これらがぶつかる今後の半年間が、最大の山場になると思われます」
と言うのである。
「プーチンが侵攻から手を引くことは絶対にないでしょうし、ウクライナ国民も士気は非常に高く、安易な妥協はしない」
と述べるのは、産経新聞モスクワ支局長を務めた、大和大学の佐々木正明教授。
「帝政ロシア、ソ連時代を通して醸成された、隔絶した大国たらんとする“大ロシア主義”は、プーチン政権下で危険なナショナリズムをあおるようになった。対してウクライナ国民にこの1年で生じた憎しみや怒り、祖国を守り抜くという気持ちは強い。双方とも、現在の戦況の延長線上で折り合いをつけるといった妥協は決してしないでしょう。となれば、戦争が長引くのは必至です」
静かなる衰退
中東では第2次世界大戦後から4次にわたって20年以上もの間、戦争は続いたが、
「それと同じようなことが起こる可能性も十分にありえます。ウクライナ侵攻後、ロシアは厳しい経済制裁を受けましたが、中国やインドがエネルギーを買い支えているために、昨年のGDP成長率はマイナス3.5%にとどまった。この年末年始も街にはイルミネーションがともり、ボリショイ劇場でのバレエ『くるみ割り人形』のチケットは完売し、ドレスで着飾った婦人らが観賞していました。現状、生活にさほどの打撃は受けていませんが、さりとて、戦争が長引けば長引くだけ、厳しさは確実に増してくる。静かなる衰退は既に始まっています」(同)
プーチン、そして彼が率いるロシアが終末へと向かっているのは間違いなさそうだ。
冒頭のアネクドートにも、そんな庶民の本音ははっきりと表れている。最後に、そんな中から佳作をもうひとつご紹介。
「モスクワで男が、新聞を買っては1面をちらりと見て捨てていた。翌日も、そのまた翌日も同じ。売り子が聞いた。“どうしてそんなことを?”“訃報を探しているだけだ”“でも訃報は1面には載らないよ”“探している訃報は一人だけさ”」
「週刊新潮」2023年3月2日号 掲載