“朝日新聞とは違う”との立場を示した尹政権

 韓国の尹錫悦大統領の初訪日と日韓首脳会談(3月16、17日)は、日韓関係に新たな歴史を開いた。しかし、日本は尹大統領のメンツに配慮する対応を取らなかった。それでも、日韓関係を回復させた尹大統領は、岸田文雄首相よりも信念ある指導者で、勇気ある法律家だった。日本には「メンツ」と「大義名分」が、政治生命に決定的影響を与える「韓国政治最大の価値」である、との認識がなかった。

 尹大統領は、訪日直前に初のインタビュー相手として読売新聞を選んだ。これは、日本の新聞の歴史では初めての大事件であった。ほとんどの大統領が、朝日新聞とのインタビューだったからだ。

 これは“朝日新聞の韓国報道を評価しない”という尹政権の立場の表明であると同時に、朝日新聞の権威の失墜を意味する。朝日新聞は報道や社説で左派の文在寅政権に近い姿勢を、慰安婦問題や元徴用工判決では判決に好意的な理解を示したと、尹政権は判断したのだ。

 尹大統領は民主主義についての理解が“朝日新聞とは違う”との立場を示した、と見ていい。朝日新聞は文在寅政権の「最高裁判決を尊重する」と法解釈を大きく報じ、批判しなかった。しかし、読売新聞は違う立場だった。尹大統領は、文在寅政権の立場や政策を民主主義とは認めなかった。

 尹大統領は首脳会談後の記者会見で「2018年の韓国最高裁の元徴用工判決は、韓国政府とは違う立場」と述べた。これは“国際条約・協定が国内法に優先する”という一般的な法解釈と民主主義理解を示している。

 韓国最高裁の判決は、元徴用工への慰謝料支払いの「違法性」について法的な事実認定をせず、「1910年の日韓併合」を根拠にした。この法解釈と事実認定を、法律家としての尹大統領は「間違いだ」と考えているという。朝日新聞にこうした法解釈はなかった。

危険を知りながら日韓関係改善に取り組む尹大統領

 また尹大統領に近い高官によると、尹大統領は日本政府と日本国民の「反韓感情」の存在と、慰安婦問題での朝日新聞の「誤報」事件も十分に理解した。徴用工訴訟判決について記者会見で、尹大統領は「1965年の日韓協定については、韓国政府の財政で処理するとの立場で一貫している」と述べた。

 尹大統領は自身の外交・内政政策について「自由、人権、法治」を強調した。これは、大統領選挙の公約である「民主主義の確立」に基づく政策で、日本との協力と米韓同盟を強化する方針だ。中国とは“安全保障問題では距離を置く”という立場を示した。

 この尹大統領の発言を、韓国に批判的な佐藤正久・参議院議員は「驚いた、我々の立場と同じだ」とテレビで発言した。「韓国政府傘下の財団が元徴用工への支払いを行い、日本企業には求償権を行使しない」と明言したからだ。それなら、もう少し好意的なサービスをしてもよかったのに。

 尹大統領が当選前から「日韓関係改善」を掲げ、取り組んできた事実を、自民党政治家はあまり理解していなかったようだ。尹大統領は、国民の反発を受け支持率が下がる「日韓関係改善」を「国益のため」と明言した。

 その意味で、尹大統領は「知日派」である。韓国における「親日」への攻撃は、政治家抹殺を意味する。その危険性を知りながら日韓関係改善に取り組んだ「勇気と知性」を、日本政府と政治家は理解していない。「知日派」を大切にしない対応は、「日本に好意的な人々を、日本は大切にしない」との教訓を韓国民に残す。

 これまでの日韓外交でも、日本政府は「反日派」の学者や政治家を日本に招待したが、「知日派」への対応は必ずしも温かくなかった。

 日本では高い評価を受けた尹大統領だが、首脳会談に対する韓国民の評価は低い。直後の世論調査で支持率は1%下がった。これは、韓国のマスコミが一致して「岸田首相から謝罪の言葉がなかった」との見出しで報道したからだ。

次回の首脳会談は尹大統領のメンツを立てる番に

 実は、韓国のマスコミと国民には、天皇と首相がこれまで何度も「謝罪」を表明した過去についての記憶がない。韓国の新聞・テレビがそれを報じないから、「徴用工問題での謝罪」が一般国民の感情になっている。

 岸田首相はこの問題について「歴代内閣の立場を引き継いでいる」と述べた。「立場」とは、過去の歴史について「お詫びの気持ち」を表明したという事実だ。この際に「歴代内閣の『おわび(謝罪)』を引き継いでいる」と述べれば、尹大統領のメンツも保たれ韓国メディアも「謝罪を確認した」と報じただろうが、岸田首相の発言に尹大統領のメンツを立てる配慮と韓国マスコミへの意識はなかった。

 とにかく「謝罪」はもちろん「おわび」の言葉も使いたくないという、日本政府や自民党保守派議員の意向がにじみ出ていた。尹大統領にとっては、やや「メンツ」を失った訪日結果であった。

 日韓首脳は共に酒豪として知られる。会食後の二次会では、尹大統領が好きなエビス・ビールと日韓の焼酎を飲み交わし、信頼を深めた。ビールに焼酎を混ぜる韓国式の「爆弾酒」も飲み交わした。

 東京での日韓首脳会談では、尹大統領が岸田首相のメンツを立てた。ソウルで行われる次回の首脳会談は、岸田首相が尹大統領のメンツと大義名分を立てる番にしてほしい。

 慶応義塾大学で17日に行われた尹大統領の講演では、学生との質疑応答の際に、取材記者たちが会場から出された。誰の意向かわからないが、民主主義と学問の自由の否定と批判される。大統領に恥をかかせた。

重村智計(しげむら・としみつ)
1945年生まれ。早稲田大学卒、毎日新聞社にてソウル特派員、ワシントン特派員、論説委員を歴任。拓殖大学、早稲田大学教授を経て、現在、東京通信大学教授。早稲田大学名誉教授。朝鮮報道と研究の第一人者で、日本の朝鮮半島報道を変えた。著書に『外交敗北』(講談社)、『日朝韓、「虚言と幻想の帝国の解放」』(秀和システム)、『絶望の文在寅、孤独の金正恩』(ワニブックPLUS)など多数。

デイリー新潮編集部