文=ロサンゼルス在住ライター 石橋朋子/Avanti Press

作品賞受賞以上に、その発表の顛末に話題が集中してしまった今年のアカデミー賞授賞式。受賞作品の封筒が間違って手渡されたアクシデントから、これまであまり表舞台で語られることのなかった縁の下の力持ちの仕事に関心が寄せられた。一体なぜこんなことが起きたのか。どういった人々が、どういった思いでアカデミー賞の投票と集計、そして発表を支えていたのかを追ってみたい。

83年間のアカデミー賞との絆

アカデミー賞の投票の集計を担当しているのは、世界4大会計事務所の一つ、プライスウォーターハウスクーパース(PwC)社で、第89回のアカデミー賞の歴史のうち83年間の長きにわたり、これを手掛けてきた。6687名(2016年12日21日付)の米映画芸術科学アカデミー会員による投票は、ここ数年はほとんどがインターネットで行われるとのことだが、今でも投票用紙に記入する会員の票を含め、集計はセキュリティを考慮して、コンピューターを使わず手作業で行っているという。受賞の結果は授賞式の当日に会場で発表されるまで、PwCの重役で集計担当リーダーのブライアン・カリナン氏と共同リーダーのマーサ・ルイズ氏の二人だけしか知らない。

厳重な管理と警戒の下、会場へデリバリー



集計が終わると二人は受賞者(作品)名の書かれたカードを封筒に収め、封をする。メモは一切残らないため、封をした後は、中身は誰にもわからない。24体のオスカー像の行方はすべて二人の頭の中に記憶されるという。封筒は各部門2通ずつ作られる。つまり、全く同じセットが2つでき、それぞれを鍵のかかるブリーフケースに入れる。カリナン氏とルイズ氏は、秘密の集計場所からブリーフケースを一つずつ持ち、別々の車に乗って違うルートで授賞式会場のドルビーシアターへと向かう。どちらか一方に万が一のことがあったとしても、どちらかは会場へと到着するというわけだ。レッドカーペットで落ち合った二人は、ブリーフケースと自分の腕を手錠でつなぎ、肌身離さずステージの脇へと持っていく。

今年起こったミスの真相

授賞式が行なわれている3〜4時間、カリナン氏とルイズ氏はステージの上手と下手のそでに立っている。休憩はおろか、トイレに行くこともない。ステージの両脇から次々と中央へ出て行くプレゼンターの手に、二人のどちらかが封筒を渡す。渡さなかった方は使用しなかったバックアップとなるため、横に置かれる。つまりここに今回の悲劇の原因があった。主演女優賞の発表の際、プレゼンターとして登壇したレオナルド・ディカプリオに封筒を渡したのはルイズ氏。一方、カリナン氏の手元にはバックアップとなった同じ封筒が残った。カリナン氏は、作品賞のプレゼンターとして登壇したウォーレン・ベイティとフェイ・ダナウェイに、誤って横によけたはずのその主演女優賞の封筒を渡してしまったのだという。

全米を旅するブリーフケースとPwCのキャンペーン

80年以上もの間、華やかなアカデミー賞の陰で、正確かつ信頼できるサービスを続けてきたPwC。その貢献度は知る人ぞ知るといったところで、ほとんど大きくとりあげられることはなかった。ところが2年前の授賞式の冒頭で、このブリーフケースが紹介されたため、一気に認知度が上昇。これに乗じて、PwCは同社とアカデミー協会の関係をもっと一般の人に知ってもらおうと、アカデミー賞前の数週間“バロット(投票用紙)・ブリーフケース”と称して、全米11都市を東から西にブリーフケースが移動し、途中受け取った人々が記念写真を撮ってSNSで紹介するといったキャンペーンを実施した。カリナン氏とルイズ氏はあらゆるメディアへのインタビューにも出演し、カリナン氏は「マット・デイモン似」の集計担当者として知名度が上がってきていた。

誤りが許される余地はない?

アカデミー賞授賞式の2日前に当たる2月24日、米「ハフィントンポスト」紙はオンラインのニュースにカリナン氏とルイズ氏のインタビューを掲載した。皮肉なことにその中には、「もし、間違った名前(作品名)が読み上げられたら?」という質問もあり、その場合は「正しい受賞者を記憶している二人がすぐに近くのステージマネージャーに連絡し、プロデューサーに知らせる」。ただし、「過去88回においてそのようなことはなかったので実際にはわからない」との回答していた。さらに授賞式の4日前、米オンラインニュース「sicilonrepublic」に掲載された記事でカリナン氏は、「どんなに授賞式の間に時間に追われようとも、世界中が観ている生中継だから間違いが許される余地はないんですよ」とコメントしていた。今読むと何かを予見していたかのような切ないコメント。だが、人間誰しも間違いは起こすもの。実際に起きてみて驚きはするものの、長い間アカデミー賞を陰で支えてきたPwCと集計担当者たちを責める気にならないのが本音なのではないか。カリナン氏には、間違いを非難する言葉より、これまでの献身的な仕事ぶりへの称賛と「間違いが許される余地はある」という言葉を贈りたい。「マット・デイモン似」の笑顔が来年も見られたら、ホッとするに違いない。