文=金原由佳/Avanti Press

現在公開中の『ザ・ダンサー』(公開中)のヒロインで、アメリカ人女性ダンサーのロイ・フラーと、『静かなる情熱 エミリ・ディキンスン』(9月15日公開)のヒロインである19世紀の天才女性詩人、エミリ・ディキンスン。二人はダンスの世界と詩の世界において、後輩の創作者たちに数々のインスピレーションを与えてくれたクリエイターだ。この二人には実は共通点がある。それは二人とも、自分の容姿に激しいコンプレックスを抱いており、そこから逃れるように、究極の美への創作へと探求が向かったという点だ。

『ザ・ダンサー』ロイ・フラー
強いコンプレックスが生んだプロデューサー的資質

『ザ・ダンサー』の主人公、ロイ・フラーの本名はマリー・ルイーズ・フラー。映画の前半は、放蕩者の父と過ごしたシカゴの農村での暮らしぶりや、父亡きあと、厳格な福音主義の教会で暮らす母との窮屈な生活が描かれる。マリーが憧れるのは女優で、戯曲「サロメ」を演じることを夢見ている。しかし、彼女は自身の外見に強いコンプレックスがあり、舞台の上では自由にふるまうことができない。外見コンプレックスの象徴的な場面として、監督のステファニー・ディ・ジューストは、マリーの初体験を、舞台衣装である鎧を着たまま男性に身を任すというふうに演出してみせた。

マリーはある舞台で、着用していた大きめのスカートのすそをもって、ひらめかしたところ、布が織りなす流線型の動きが観客を魅了することに気づく。さらに当時、発明されたばかりの電気で照らすことで、劇的な効果を生むことも発見した。モダンダンサー、ロイ・フラーの誕生である。

その後、彼女はアメリカからフランスに渡り、当時のパリのエンタテインメントの中心地ミュージックホール〈フォリー・ベルジェール〉の舞台でパフォーマンスを披露し、ロートレックをはじめとする画家たちにインスピレーションを与え、数々のポスターに描かれた。シルクのドレスにはさらなる改良が加わり、彼女自身が特許をとったカラーフィルターの照明で照らされた。音楽に合わせて様々な色をドレスに投射し、まとった布のフォルムが蘭の花や蛇、蝶とシームレスに形を変えていくパフォーマンスは一大ブームを引き起こす。現在は当たり前となっている芝居やライブのカラーフィルター照明は、彼女こそがその先駆者だったのだ。同世代に活躍した詩人で小説家のジャン・コクトーは、ロイ・フラーが1900年のパリ万博で見せたパフォーマンスについて、わざわざ容姿の醜さを指摘したうえで、それでも彼女が生み出すパフォーマンスの美しさを絶賛している。自分の顔に注目が行かないように探求した結果、それはダンサーの枠を越え、総合プロデューサー的役割へとつながっていったのだ。

そのロイ・フラーを演じるのは、フランスで人気を誇る20代のアーティスト、SOKO。彼女は、元カレの彼女に抱く邪悪な感情など、女の子の正直な心情をストレートに歌い上げる。そんなSOKOにステファニー監督は、厳しいトレーニングを課し、一切吹き替えなしでパフォーマンスを再現させた。衣装の重みと重力に逆らい、毎日泣きながらトライし続けたというSOKOのパフォーマンスは、本当に素晴らしい。

だが監督は、この映画をロイ・フラーのサクセスストーリーにとどめず、彼女の身を脅かす次世代アーティストを登場させる。同じくアメリカ出身の15歳年下のモダンダンサー、イサドラ・ダンカンだ。肉体の解放を謳い、魂の赴くまま、裸足や肌をむき出したまま踊ることで、時代の寵児となった女性だ。史実ではイサドラもまた、実家の凋落や時代の変化で苦労したことで知られているが、この映画では生まれながらに美貌と才能を持ち合わせた少女として描いている。イサドラ役を演じるのはジョニー・デップとヴァネッサ・パラディという国際的スターのもとに生まれ、10代でシャネルの広告塔に選ばれたリリー=ローズ・デップ。SOKOとリリーのパーソナリティを活かしながら、ロイ・フラーとイサドラ・ダンカンの違いを浮かび上がらせる。ステファニー監督はモダンダンスの祖として、多くの弟子を育て、今も花が絶えないイサドラの墓に対し、ロイの墓が荒んでいたことでこのコントラストを思いついたという。いずれにしてもこの2人の勇気あるダンサーによって、今、ダンスが身近な存在になっていることは間違いない。

『静かなる情熱 エミリ・ディキンソン』容貌に自信のない詩人をシンシア・ニクソンが演じると

さて、『静かなる情熱 エミリ・ディキンスン』のヒロイン、エミリ・ディキンスンは前出のロイ・フラーやイサドラ・ダンカンより30年ほど早く生まれ、1886年、56歳で亡くなっている。当時、女性の表現に関して保守的なアメリカを脱し、文化の先鋭の地、パリで頭角を現したロイやイサドラと違って、エミリは生まれ育ったアメリカ北東部、ニュー・イングランドの田舎町の外からほとんど出ることはなく、それどころか、30代半ばからは家から出ることもなくなり、白いドレス姿で隠遁の日々を送るようになる。生前に公に印刷された詩はわずか10作で、なおかつ、匿名とされていた。世間ではほぼ無名の人として没した彼女だが、死後、評価が高まり、今ではアメリカ最高の詩人として、多くの人が彼女の詩を愛している。

7月に公開されるジム・ジャームッシュ監督の最新作『パターソン』は現代のアメリカのニュージャージー州で暮らすバス運転手の詩作の日々を描いたものだが、そこにもエミリ・ディキンスンのトピックが登場する。道端で詩を書いていた少女に話しかけた主人公(アダム・ドライバー)が、別れ際にこう話しかけられるのだ。「ねえ、エミリ・ディキンスンは好き?」。もちろん彼は好きだと答えるのだが、こんなふうに年代の異なる者同士が気軽に語り合えるのがエミリの詩なのだ。

エミリは大学を中退した後は、家で静かに詩の創作に没頭し、結婚も、出産も、仕事にもつかず過ごした。プロフィールとしては、一見、荒波がなかったように見えるが、この映画の脚本、監督を手掛けたイギリスのテレンス・ディヴィスは、エミリの激しくうねる内的世界に迫っていく。エミリを演じるのは『セックス・アンド・ザ・シティ(SATC)』シリーズのクールな弁護士、ミランダ役で知られるシンシア・ニクソン。『SATC』では、自分の真価を理解しない男性に対しては抗議を辞さない知的な肉食系女子を演じていたシンシアだが、こちらでは口にしないながらも、魂のレベルでは決して相手に屈しない高潔な魂の女性像として演じている。

学生時代のエミリは、学校が強いる盲目的な福音主義への疑問をストレートに口にし、教師の強制的な指導には決して従わない。詩の創作には父親の許可を必要としたが、家に訪ねてくるゲストの保守的な価値観には意見し、呆れられながらも撤回しない。あまたの詩人、文学者の激しい人生と比べると、実家で独身生活をつづけた彼女の人生は静かすぎるようにも見える。しかし、当然のことながら、年齢を重ねる中で、居心地の良すぎる実家から出ていけず、結婚という冒険に身を投げ出せない自分への激しい逡巡や揺れもある。妻子ある牧師のスピーチに感動し、恋に似た感情を抱き、その思いを詩にぶつけることもあれば、彼の転勤に動揺し、泣いて、妹にたしなめられたりもする。

エミリは写真そのものがほとんど残っていないのだが、テレンス監督は、彼女を自身の容貌に自信のない女性像として描いている。プライベートでは華やかなオーラをまき散らしている女優シンシアも飾り気のない率直な女性になりきっている。映画の中で印象深いのは、妹の存在だ。自分を卑下する言葉を吐くエミリに「そんなことはない」「お姉さまは素晴らしい」と肯定的な言葉を常にかけ続ける妹ラヴィニア(通称ヴィニー)。そのヴィニーを上品な美貌で知られる『英国王のスピーチ』や『ゼロ・ダーク・サーティ』のジェニファー・イーリーが演じていることで、妹の懸命な励ましが励ましにならず、逆に、「こんな美しい妹に励まされたら、姉としてはめげるしかない……」と、ますますエミリを創作にのめり込ませるように思えて仕方ない。

映画では描かれないが、この妹が、エミリの死後、姉の整理ダンスの引き出しから清書された1800篇近くの詩を発見したことで、エミリの創作は世に出ることになる。彼女の詩には、孤独を受け入れ、一人で人生を見つめる強さが散らばっている。9・11事件の後、アメリカではエミリの詩を読み返す人が増えたというのもわかる気がする。彼女の詩は短く、簡潔だが、最後にエミリ自身の創作の姿を思い浮かばせる、お気に入りの詩の一遍を抜粋して紹介したい。

The Spider holds a Silver Ball   蜘蛛は銀の玉をかかえる
In unperceived Hands–       目に見えぬ手に―
And dancing softly to Himself     そしてひとり軽やかに踊りながら
His Yarn of Pearl -unwinds-     真珠の糸を―くりだす―
「対訳 ディキンソン詩集」(岩波文庫)亀井俊介編 蜘蛛は銀の玉をかかえるより

ロイ・フラーとエミリ・ディキンスンは100年以上も前の人物だが、自分の容姿に自信を持てないエネルギーを、一心に創作に注ぎ、やがては多くの人々の心をつかむまでになる。そう考えると、私たちと身近な存在であり、私たちも彼女たちのようになれるかも、と映画を見て、大きな勇気をもらうことができるのだ。