以前、オネエキャラが集められたテレビ番組で「私たちの葬式はどうなるのか」という話題になった。仕事で会ってる人たちはみんなこっちの姿しか知らない。名前は? 遺影は? 死に化粧は? ……ほんとオネエって、どう死ぬべきなのよ。

 そもそもオネエというのは複雑な単語で、もともとは装いや言動にいわゆる女性性が強く出たゲイ男性のことだったのが、テレビ的にはトランスジェンダーから女性的なストレート、さらには男らしいゲイにまで便利使いされるようになってしまった。ぶっちゃけゲイ女装のアタシはオッサン姿で良いのだが、たぶん女性へのトランスジェンダーであれば、本心では女性としての姿や扱いで死を迎えたいと願う率が高いだろう。だが日本における葬式は親族中心の厳かな儀礼の場。いくら人生の大半を女性として生きていても、親族の理解がなければ本人にとって「美しく死ぬ」こともできないのが現状だろう。

 この映画は、日本からそう遠くないアジアの国フィリピンで、美しく死のうとしたトランスジェンダーの物語だ。冒頭、少年が友人たちと女装をし、ミスコンごっこを姉に撮ってもらいながらはしゃぐ映像とともに、モノローグが流れる。「家族はいつも私を支え励ましてくれます。今の私があるのは家族みんなのお陰です。私をよりよい人間に変えてくれたすべての人たちにお礼を言います。私は唯一無二のミスコン女王、トリシャ」……そう言った途端に、この小さな宴は「何してるパトリック!ドレスなんか着て!」と激怒する父親によって止められてしまう。この「ごっこ遊び」とモノローグは彼女の人生そのものなのだ。そして物語は、アンジェリーナ・ジョリー風の美しいメイクを施された主人公トリシャのアップで幕を開ける。ただしこのメイクは「死に化粧」。子供の頃から女性になりミスコンで優勝することに憧れた彼女の人生が、時間軸を交差しながら描かれていくのだ。

東南アジアのゲイ・ムービーというと、タイで記録的なヒットを飛ばしたバレーボールのオネエチーム奮闘記『アタック・ナンバーハーフ』が日本でも有名だろう。色鮮やかで庶民的な風景や、人権運動的ではなく伸び伸びとした個人のパワーで社会に溶け込む姿はまさに東南アジアのゲイ文化らしい共通のテイスト。ただし、こちらはより深くひねった作りで幅広い要素を描くことに挑戦している。地方のミスコンで腕を磨き、国内最高のミス・ゲイ・フィリピンで優勝するまでの軌跡、学生時代に憧れのストレート男子グループにレイプされたトラウマ、孤児をひきとっての性的少数者の子育て、ゴーゴーボーイとの失恋、既婚男性との運命の恋、そして、日替わりでセレブになりきる死に化粧。定番っぽい悲恋からポップなビジュアルの楽しみまで、映画としての要素はてんこ盛りだ。正直、回収しきれていない面もあるが、それはフィクションの存在であるはずのトリシャに生々しい「人生」を感じるフックともいえ、思いを巡らす後味となる。

同級生にレイプされて入院した学生時代のパトリックを、父親は「恥知らずのオカマ。汚らしいクソ野郎め」と罵り、オネエな友人たちにも「二度と近づくな」と脅した。成長した彼女は父親の前でクイーンらしく大見得を切りながら「私はトリシャ、トリシャよ!」と叫び家を出て行く。そして見事ミスコンで優勝を果たした直後に急逝した彼女は、父親の指示で胸をえぐられ、みかねた姉によって、友人たちに遺体が引き渡されるのだ。

 運ばれた葬儀場の名前は「ハッピーエンディング」。そこには友人たちと養女、同じ男を愛した女性、SNSで知ったファンたちが次々と集まってくる。そう、彼女にはちゃんと家族がいた。いつも支え励ましてくれていた。

 自分をよりよい人間に変えてくれる家族を、私たちは作っていくのだ。そして、美しく死ぬために、生きるのだ。

(文・ブルボンヌ)