1974年、まだスタジオジブリを立ち上げる前の、若き日の高畑勲と宮崎駿が揃って参加した伝説のTVアニメーションが誕生した。そのタイトルは「アルプスの少女ハイジ」。日本アニメ史上、いや、世界映像史上に輝くこの傑作は、21世紀の現在も多くの人に愛されている。誕生から43年。原作である児童文学作品を執筆したヨハンナ・シュピリの祖国スイスから、実写版映画が届く。その名は『ハイジ アルプスの物語』(8月26日公開)。「アルプスの少女ハイジ」を知っている人も知らない人も、思わず夢中になる世界がそこでは繰り広げられる。

スイスの魅力、まるでテーマパーク

両親を失い、アルプスの山で暮らす祖父の許に預けられることになった少女ハイジ。天真爛漫な笑顔とキャラクターで、頑固者である老人=おんじの心も溶かしていくハイジは、この地で出逢った少年ペーターと共にアルプス生活を満喫することになる。ところがハイジの前に、別な引き取り手が現れる。お金持ちのお嬢様であるクララの話し相手として、大都会のお屋敷に招かれるハイジ。おんじ同様、クララの孤独も解消していくハイジだが、慣れない日々に消耗、アルプスの山の暮らしへの深刻なホームシックに陥ることに……。

アニメ版をご存じの方なら、お馴染みの物語がそのまま、リアルな世界で展開されることに感動を覚えるだろう。ハイジもクララも、アニメより美少女だったり、おんじもアニメより強面だったりと、その違いに驚くファンもいるかもしれないが、ハイジとクララの教育係であるロッテンマイヤーさんが厳格なだけではなく、どこかフェミニンな雰囲気のある女性として描かれるなど、現代ならではの視点もある。

だが、本作の魅力はなんと言っても、本物のアルプスでロケ撮影された映像。干し草のベッドに倒れこむハイジを捉えた優しい光や、雪山を滑り降りるソリ、ハイジやペーターがヤギと戯れる姿、ハイジとおんじが抱き合う草原、そして、足が不自由だったクララがついに立ち上がる奇跡的な場面。その一つ一つが、まるで贅を凝らしたテーマパークのように、私たち観客を虜にする。スイスに行きたくなるし、スイスに行った気持ちになる。外国映画を観る、体感するという本来の醍醐味がここまでダイレクトに伝わってくる作品も、近年では珍しい。

ハイジがもたらす、まわりの人への変化

本作には、そうした視覚効果ばかりではなく、深遠なテーマが波打っている。そのありようは、子どもたちばかりでなく、大人たちにこそ大いなる気づきを与えるだろう。

たとえば、おんじもクララも孤独な人間だが、そんな人たちにハイジがもたらすもの。それは、偏見から自由になった無垢な精神の賜物だ。おんじもクララも、ある意味、人間不信になっている。つまり、心のガードが固い。だが、ハイジは誰に対しても分け隔てなく接することで、そのハードルを乗り越えていく。そんなハイジのありように触れて、おんじもクララも、思い込みの世界から脱していくのだ。

また、この作品は自然の美しさを描きながら、決して、田舎賛美や都会を否定するような内容ではない。田舎も良いし、都会も良い。共に良いところがあると讃える。もちろん、お金持ちは悪い人などという古臭い図式もない。言ってみれば、田舎と都会のコミュニケーションの物語でもあるのだ。異なる価値観を持つ人々も共生できる方法はあるのではないか、と思わせられる。

そして、魅力あふれるハイジを完全無欠の存在に仕立て上げるのではなく、無理をすれば傷つき、倒れることもある少女として、真っ当に見つめている点も重要だ。誰かを助けることができる人は、その分、傷ついている可能性だってある。このことが分かれば、私たちはもっともっと人に優しくなれるはずだ。

本作を企画したプロデューサーはスイス人でありながら、テレビ版や日本のアニメは知っていたが、原作は読んだことがなかったという。そんな彼が原作に初めて向き合ったことで、この映画は生まれた。日本の「本気」のアニメがスイスの人たちに影響を与えたように、本国スイスの「本気」が、逆に日本人に与えてくれるものも必ずある。夏休みにぴったりの『ハイジ アルプスの物語』、どうか見逃さないでほしい。

(文/相田冬二@アドバンスワークス)