ウディ・アレンの最新作『女と男の観覧車』(6月23日公開)は、ニューヨーク・ブルックリン出身のウディが子供の頃に通った「コニー・アイランド」が舞台。『アニー・ホール』(1977年)や『ラジオ・デイズ』(1987年)にも登場するこの行楽地は、発展と衰退を繰り返してきました。今回はコニー・アイランドの歴史から、本作を紐解いてみましょう。

アメリカ大衆文化のシンボル、コニー・アイランド

ブルックリン南端に位置する半島「コニー・アイランド」は、かつては約3.2キロにも及ぶ海岸線を独占した、一大行楽地でした。その歴史は遥か1830年代にまで遡ると考えられています。国内の産業革命が進み、工業地帯や鉄道が発展するとともに、書籍や雑誌、写真などが広く行き渡るようになった時代です。

この頃は、娯楽施設があまりありませんでした。工業化によって増大する都市人口は巨大マーケットとなり、公園や美術館よりも大衆に向けた娯楽が求められました。そして、1890年代にコニー・アイランドに遊園地が設置され、1920年代頃まで中流階級や労働者階級が足を向けるアメリカ有数の観光地となったのです。

愛と裏切りの行楽地

本作の主役ジニー(ケイト・ウィンスレット)は、1950年代のコニー・アイランド内にある遊園地のレストランで、ウェイトレスとして働いています。

再婚同士で一緒になった夫のハンプティ(ジム・ベルーシ)への愛はとっくに消え去り、前夫の息子リッチー(ジャック・ゴア)は放火まがいの火遊びをする問題児。女優だった昔の栄光を思い出してはため息をつく日々を送っています。早くこんなコニー・アイランドから出たい……! そんなとき、ビーチで監視員のバイトをしている劇作家志望のミッキー(ジャスティン・ティンバーレイク)と恋に落ちてしまいます。二人は海岸沿いの遊歩道の下で逢瀬を重ねます。

1920年代頃まで、コニー・アイランドはロマンスの場所でもありました。中流階級や労働者階級でさえ、この時代の道徳観は現代からは想像もつかないほど厳しく、未婚の女性は、男性と二人きりで話すことすらできませんでした。でも、コニー・アイランドなら家族の目も行き届きません。

解放感に酔った若い男女のグループは、コニー・アイランドで簡単に友達になり、1日を一緒に過ごしたそう。『コニー・アイランド 遊園地が語るアメリカ文化』の著者ジョン・F・キャソンによると、その場で結婚したカップルが何組もいたという伝説があるのだとか(※1)。人目を忍んで恋をする地であるコニー・アイランドは、ウディが描く本作の“愛と裏切り”のテーマにぴったりの舞台なのです。

ギャングの台頭

映画内のジニーとミッキーが愛を育む中、絶縁したはずのハンプティと前妻との間の娘キャロライナ(ジュノー・テンプル)が突然帰ってきます。イタリア人のギャングと駆け落ちしていた彼女は、離婚した途端FBIに証言を強制されて、元夫から命を狙われていました。

彼女と父親・ハンプティの仲が悪いことを知っている元夫は、実家には追って来ないだろうとキャロライナは思い、実家に身を寄せたのです。ところが、元夫の手下たちがキャロライナを探しにコニー・アイランドへやって来ます。そして、ひょんなことからキャロライナとミッキーは知り合いになり、二人の間は怪しげな雰囲気に……。

コニー・アイランドとギャングの組み合わせは、歴史にも残っています。コニー・アイランドでギャングが横行した時期は、有名なものだけでも2度あります。最初は1880年代から1890年代まで。このときは地元の政治家ジョン・M・マッケインがギャングを保護していました。しかしながら、彼が投獄され、ギャングの本拠地であった歓楽街が火災で焼失したことをきっかけにギャングが一掃されました。

次は、本作の舞台でもある1950年代。1940年代に連続火災事件が起こったため、コニーアイランドの遊園地が閉園し、貧民街に凋落したのです。その結果、チンピラや売春婦が増えてギャングの抗争が何度も起こったのだとか。

作中、ジニーの息子リッチーがコニー・アイランドで火遊びをするのも、コニー・アイランドに起きた火災に重なります。ひょっとしたら、リッチーは、母のコニー・アイランドへの憎悪を感じ取って、燃やしてしまおうとしたのかもしれませんね。

歴史の遺物に成り下がったコニー・アイランド

ウディ・アレンが尊敬してやまない、劇作家テネシー・ウィリアムズの『欲望という名の電車』のブランチを彷彿とさせるジニー。現実の夫や息子には向き合えず、思い出に生きているジニーは、まさに過去の遺物。これは、そのままそっくり、コニー・アイランドにも当てはまります。

コニー・アイランドの全盛期は1920年代までだと考えられています。本作に見る1950年代のコニー・アイランドは人で賑わっていますが、ピークのときほどではなく、ギャングが横行し、治安が悪くなって観光客が激減していた頃。

また、ニューヨーク近郊の中流階級は、この頃、新興住宅が開発されたロングアイランドに移り住み、そこに近いロングビーチへ通うようになっていました。1960年代から70年代にかけて、コニー・アイランドは衰退し、スラムへと転落してしまったのです。

復活するも…

1980年代から1990年代には、コニー・アイランドの犯罪率は高まり、汚染された海岸から観光客の足はさらに遠のきました。しかし、コニー・アイランドを守ろうとする市民団体が立ち上がり、毎年6月に「マーメイド・パレード」を開催し始めました。また、7月4日の独立記念日には恒例の「ホットドッグ早食い大会」も行われるように。この早食い大会は、日本人大食いファイターの小林尊さんが何度も優勝をしたことで有名ですよね。

2001年には、大リーグ、メッツのマイナーチーム「ブルックリン・サイクロンズ」のスタジアムも建設され、2003年には、当時のブルームバーグ市長の下でコニー・アイランド区画改革が始まりました。

2018年の現在に至るまで、閉鎖の計画が何度も持ち上がりましたが、映画に登場する1920年に造られた観覧車「ワンダーウィール(Wonder Wheel)」や1927年に建てられた木製ジェットコースター「サイクロン(Cyclone)」などは現在ニューヨークの歴史建造物に指定されて、生き残りました。

いまや、様々なイベントが催され、ニューヨーカーの夏の風物詩となったコニー・アイランド。度重なる火災、ギャングの台頭や閉鎖の危機を乗り越えて、なんとか昔の面影を残してはいます。とはいえ、全盛期のような繁栄は二度と来ないでしょう。そして、このコニー・アイランドの衰退と復活の歴史は、ジニーの人生のようにも、ウディ・アレン自身の物語のようにも思えます。

「日々の繰り返しと現実の中で、人はみな同じ残酷な人生を過ごし、同じ不快な結末に辿りつかざるを得ない。人間より広い視野を持ち、人間を見下ろす存在があったとしたら、われわれは丸太の周りを歩く蟻の一群みたいに見えるだろう」by ウディ・アレン(※2)

(文・此花さくや)

【出典】
※1…開分社出版 ジョン・F・キャソン著『コニー・アイランド 遊園地が語るアメリカ文化』
※2…エクスクァイア マガジン ジャパン リチャード・シッケル著『ウディ・アレン 映画の中の人生』