結論から先に記すと、8月24日から公開される原田眞人監督作品『検察側の罪人』は、主演の木村拓哉&共演の二宮和也ファンならずとも必見の映画である。同時に、従来のふたりのアイドル的イメージまで一新させるほどの、強烈なインパクトをもたらしてくれる作品でもある。

いや、もともとふたりは以前からアイドルとしての華やかな活動と並行しつつ、役者として真摯な仕事を一貫して続けてきていた。しかし、どうしても世間の一部は彼らを“キムタク”、“ニノ”といった目でしか捉えようとしてこなかったのではないか。その意味でも『検察側の罪人』のふたりの演技の素晴らしさは、革命的といっても過言ではないだろう。

本作はミステリ仕立ての作品ゆえ、ネタバレにならない程度に、そのあたりをしばし検証していきたい。

殺人事件の被疑者をめぐる検事同士の対立

映画『検察側の罪人』は、雫井脩介の同名小説を原作に繰り広げられる社会派ミステリ映画である。

都内で強盗殺人が発生し、東京地検のエリート検事・最上(木村拓哉)と駆け出し検事の沖野(二宮和也)が事件を担当。まもなくして被疑者のひとり、松倉(酒向芳)に焦点が絞られてゆく。松倉は、過去に時効を迎えてしまった未解決殺人事件の重要参考人でもあった。犯行を否認し続ける松倉を、執拗に追い詰めようとする最上。日頃から最上を尊敬していた沖野は、そんな彼の姿勢に疑問を抱き始めるようになる……。

本作はある事件を通して、人それぞれが抱く“正義”の概念を主軸に、善と悪、罪と罰、過去と現在……などの二面性を合わせ鏡のようにさりげなく強調していく。その中には当然ながら、木村拓哉と二宮和也という二大スターの激突といった要素も含まれているのだ。

『ヴェラクルス』(1954年)、『明日に向って撃て!』(1969年)、『ボルサリーノ』(1970年)、『シティヒート』(1984年)、『ヒート』(1995年)、『大脱出』(2013年)など、これまで二大スター共演を売りにした映画は数多い。映画評論家出身でも知られる原田眞人監督は、今回のふたりにもそういった構図をあてはめつつ、映画ならではのカタルシスを醸し出すべく腐心しているかのようだ。

一方、原田監督は役者の資質を最大限に引き出すことでも知られているが、今回もそんな“原田マジック”を発動。ここでは酒向芳や松重豊、大倉孝二などクセのある個性派名優を多数配置し、主演のふたりと彼らを演技バトルさせながら、トーナメント方式で最後に残った両者を対決させるというユニークな趣向が図られている。

今までに見たことのない両者の演技バトル

まずは映画の冒頭、沖野ら新任検事が最上の研修を受けるシーンから、木村×二宮の顔合わせ&演技バトルが始まる。

このとき「バカ!」と最上が怒鳴るのはアドリブで、リハーサルになかったことを本番でいきなりやられて他の新任検事らがびくっとなる中、沖野だけは動じない。既に両者の意気が高まっている事を示す好ショットだ。

実際、今回の現場は木村、二宮のふたりを含めて役者のアドリブが多く、原田監督も面白いものはどんどん採用していきながら、現場の士気を高めていった。そういった環境の中、映画の前半は二宮和也が松重豊や酒向芳とガチ勝負しながら、沖野の未熟さや若さを巧みに醸し出していく。

特に松倉の取り調べシーンで沖野が一気にキレて激昂するくだりは、前半部の白眉ともいえる優れもの。松倉には口を「ンパ!」と気持ち悪く開閉させる癖があるのだが、沖野がそれを真似しながら(これも二宮のアドリブ)彼を追い詰めていくあたりも圧巻だ。

対して、松倉の独白をイヤホンで聞いていた最上が途中でその場から退席してしまうのもアドリブというか、彼の独白を聞いていて最上を演じる木村拓哉自身が本当に耐えられなくなったのだという。

映画前半の最上は職務のストレスや家庭内不和などを匂わせつつ、どちらかというと我慢を強いられる存在感を発揮しているが、後半になるとそれが一気に爆発する。

その一方で最上の弱さや怯え、恐怖心といったものも見事に体現。今までに見たことのない木村拓哉がそこにいることに、観客は驚きを隠せないことだろう。

そもそも木村拓哉は山田洋次監督の時代劇『武士の一分』(2006年)、二宮和也はクリント・イーストウッド監督の戦争映画『硫黄島からの手紙』(2006年)の時点で、いやそれ以前から既に演技者としての資質を見事に開花させていた。

しかし、日頃のアイドル的活動の華やかさの陰に隠れて、彼らの役者としての魅力が語られることが少ないのは、あまりにも勿体ない。むしろ彼ら自身、パフォーマーとして歌番組やバラエティ、ドラマ、映画といったジャンルに応じて、己の魅せ方を巧みに分けていることにそろそろ観客たちは気づくべきだ。

その意味でも『検察側の罪人』は、演技者としての木村拓哉と二宮和也の魅力をとくと堪能できる優れた作品である。

なかなかに重く深刻な内容ではあるが、彼らのパフォーマーとしてのスター性が映画そのものをゴージャスなものにしている。また、その上で鑑賞後は観る人それぞれに何某かの啓蒙を与え得る秀逸なエンタテインメントとして屹立していることも、声を大にして言いたい。

おそらくは木村拓哉&二宮和也の双方にとっても、自身のキャリアの中で忘れられない作品になったことであろう。

(文・増當竜也)