ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、「カバー曲」を取り上げる。

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 今や貴重な公開生歌番組であるNHK『うたコン』。昨春のリニューアル以降、ポップス系を取り入れつつも、その迷走っぷりが様々な意味で見ものだったわけですが、先週は特に素晴らしかった。久しぶりに歌番組で胸躍りました。

 生放送の歌番組というのは、『善良な悪意』のある演出がなければ面白くありません。それは長年『紅白歌合戦』を観てきて教えられたことです。健全やポジティブの行間・裏側・外枠には邪(よこしま)な感情が隠し味のように存在する。だから額面以上の感動が生まれ、語り継がれる物語を紡ぐことができる。ハウツー通りの筋書きだけに頼っても意味がない。その真実を無自覚半分・確信半分で実践し続けているのはNHKなのかもしれません。

『うたコン』に話を戻しましょう。先週は三浦祐太朗くんが、お母様である百恵ちゃんの名曲『さよならの向う側』を歌っていました。最も純度の高い『百恵DNA』の継承者のカバーですから、それだけでも見応え充分なのですが、あろうことか目の前にいるのは昨今のカバーブームの立役者でもある徳永英明さんと、そのブームの最優秀申し子クリス・ハートさん! このラインナップこそが、失われつつある『善良な悪意』です。まずひとつ目は、さりげなく徳永英明を『カバー歌手』として括っていること。無論、徳永さんは百恵ナンバーを何曲もカバーされていますが、もはや『百恵カバーの権威』としてそこにいらっしゃるかのようでした。さらには『人間ジュークボックス』クリス・ハートさんが、わざわざ差し置かれているのも味わい深かった。そして何より、敢えてこのメンツの前で歌わせる難行苦行を祐太朗くんに課したNHK。あっぱれです。

 改めて、カバーは『どう歌うか』よりも『誰が歌うか』が最も大事な要素なのだと痛感しました。百恵さんの息子でなきゃ、「何故、唐突に、普通の男子がこの曲を?」となるかもしれないところを、『実の息子(娘じゃないところも肝)が初めて歌い継ぐ』という絶対的な意義を挿頭(かざ)された瞬間、徳永さんのオリジナリティもクリス・ハートさんの上手さも、出る幕はなし。これがもし『現在の沙也加が“赤いスイートピー”を歌う』だったら、また全然違う意味になったでしょうが、『百恵の息子』という受け止め様のない事実と性(さが)だけを切り札に歌われる『さよならの向う側』は、百恵ちゃんを知る世代にとっては、ただただ『正義』に溢れていました。そう、この『正義』こそが罪なのです。ふと『父親の曲を歌い続ける坂本九の娘(大島花子)』を思い出しましたが大丈夫。祐太朗くん、花子越えしてましたよ。

 私もカバーで飯を食っている端くれとして、もっと『私が歌う』意味や無意味さを磨いていかねばと身につまされていたら、祐太朗くんの直後に、徳永英明さんがご自身のデビュー曲『レイニーブルー』を、まるでカバーソングの如く歌いこなしてらっしゃいました。この本末転倒な感じもまた世の中のカルマなのか。徳永さん、凄い! 一方で、自作の曲を一点の迷いもなく歌うディーン・フジオカの姿も。東南アジアのどこかの国のオーディション番組を観ているようでした。私も早く彼らのような『罪深き正義』を身につけて、この舞台に立てるよう頑張ります。

※週刊朝日 2017年7月21日号