ウエディングドレスを着ると、婚期が遅れる――よく言われるジンクスだ。芸能人の場合、仕事で着る機会も多いので、そのつどこれが話題になったりする。そんな衣裳を「紅白」や自身のライブで、何度となく身にまとってきたのが浜崎あゆみだ。2010年には「ウエディングドレスが似合うと思うアーティスト」(レコチョク調べ)で1位に輝いたりもした。



 では、彼女の「婚期」がどうかというと、32歳のとき、豪州人俳優と米国で結婚。しかし、日本では婚姻届を出さないまま、1年後に離婚した。35歳のときには、米国人大学生と米国で結婚して、日本でも婚姻届を出したが、2年半で離婚。そして今年の元日深夜、彼女は公式ファンクラブのサイトでこんな発表をした。

「私、昨年末に天使を産みママになりました」

 ただし、父親がどういう人物なのかは明らかにされていない。20代の日本人ダンサーとも報じられているが、入籍したという話も聞こえてこない。「婚期」が遅れたかどうかはともかく、彼女と結婚の相性はいまひとつなのだろう。

■ドラマ「未成年」での出産

 とはいえ、彼女が41歳にして母親になったというのは感慨深い事実だ。それは昨年、小説『M 愛すべき人がいて』(小松成美著)で話題になったエイベックス創業者・松浦勝人氏、さらにはTOKIOの長瀬智也といった大物たちとの恋愛遍歴などを思い出すからというだけではない。じつは彼女、Jポップの歌手としてブレイクする前に、けっこうな芸能活動歴がある。なかでも語り継がれているのが、95年のドラマ「未成年」だ。

 いしだ壱成や香取慎吾、反町隆史らが廃校に立てこもる若者たちを演じた社会派群像劇で、彼女は桜井幸子や遠野凪子(現・なぎこ)とともにヒロイン的存在だった。ロケが行なわれた廃校は福島にあり、出演者たちが滞在した温泉旅館に偶然泊まったことがある。ドラマのポスターにサインが寄せ書きされていて、しみじみとしたものだ。

 ちなみに、浜崎が演じたのは国会議員を父に持ち、バレエをたしなむ令嬢で、家庭教師によって妊娠させられる役。河相我聞扮する若者グループのひとりのもとに走り、廃校で出産する。つまり、彼女は17歳にして、役の上では母親になっていたのだ。

■7歳からキッズモデルとして活動

 これに限らず、女優としての彼女はとかく男に襲われるような仕事が多かった。14歳でのデビュードラマで長瀬と出会った作品でもある「ツインズ教師」しかり、映画「渚のシンドバッド」しかり。また、女優と並行して、グラビアアイドルもやっており、それなりにセクシーな写真集も出していた。

 その前には地元・福岡で、7歳からキッズモデルとして活動。デパートや銀行のポスターに登場するなどした。中学に入ると不良っぽくなり、体育祭で“ウンコ座り”をしてメンチを切るといういかにもな写真をのちに発掘されたりもしている。

 アイドル女優だった時期の雑誌インタビューでは、

「堂々と『これは私の中学時代ですよ』って言えますけどね。今までの自分を恥じてないから、過去を隠す人間にはなりたくないって思ってるんです」

 と振り返り、ひとつの葛藤として胸を張っていたものだ。また、98年にはラジオ「オールナイトニッポン」でこんな発言をしている。

「お父さんがいないっていうこととかは、特別なことだと思ってなくて、すごく普通だと受け止めてきてて…」

 幼い頃に両親が離婚し、父が蒸発。シングルマザーに育てられた彼女はけっして裕福とはいえない環境のなかで葛藤してきた。芸能界での成功を夢見て、ときにヨゴレ役もこなしながら、上を目指していたのである。

■18歳で単身渡米しレッスン

 そんな浜崎を大ブレイクに導いたのが『M』にも描かれた松浦との出会いだ。絶頂期に向かいつつあった99年に、彼女はテレビでこんな発言をした。

「そのプロデューサーが『お前は歌える、詞も書けるよ』って。初めて、自分に何かができるって言ってくれた人」(「ターニングポイント」)

 彼の勧めで歌のレッスンに取り組み、18歳の夏にはニューヨークに単身滞在してボイストレーニングを受けた。ただ、成功できるかどうか、半信半疑だった彼女はこれをやや退屈に感じていたようだ。

 が、現地の貧しい男の子と出会い、無気力な人生観を語ったところ「それはいけない。今は二度と来ないんだから」と諭されたという。それ以来、歌手修行を「もっと上に行くためっていう気持ち」で「時間がすぎるのを早く感じるくらい」積極的にやれるようになったと明かしている。

 つまり、こうした経験を通して、彼女は「自信」と「やる気」を得たわけだ。

■氷川きよしも羨望した存在感

 98年、19歳で本格的に歌手デビューして以降の活躍は説明するまでもないだろう。01年からは、日本レコード大賞を3連覇。ひとつ年上ながら遅れてブレイクした同郷の氷川きよしが「僕が演歌で一番売れてても雲泥の差だった。顔も小さくてキレイで、 カリスマ性を研究してた」と羨望したほどの存在感は、平成の歌姫と呼ぶにふさわしいものだった。

 しかし、その助走期間ともいうべき本格的歌手デビュー以前の芸能活動について、浜崎のプロフィールからは除外されている。公式サイトにも、女優としての出演歴などは掲載されていない。当時もアイドル雑誌の巻頭を飾ったり、演技力が評価されたりする有望株だったのだが、本人にとってはヤンキーだったことよりも消したい過去なのだろうか。

 ただ、彼女の人生観を思えば、わからないでもない。前出のラジオで、彼女は母親のことを「すごく自分勝手」「よくいえば、すごく自由に生きてる」と評した。たとえば、彼女のことで中学から呼び出された際、お腹が痛くなったと教師に言って行くのをやめるような人だったという。そんな母を見て、彼女も「自由にやっていいんだな」と感じたともいう。

 そういう意味で、女優やグラビアの仕事はあまり自由に思えず、やらされているような気分だったのかもしれない。自分で書いた詞を、自分を好きになれるようなファッションやメイクで歌うようになって初めて、彼女は芸能活動に自信とやる気、そして達成感を得られるようになったのだろう。

■同じシングルマザーの母親の存在

 かと思えば、母親について「この人と同じような間違いは犯したくないと思った」とも語っている。自由すぎて離婚してしまい、シングルマザーとしての子育てをせざるをえなくなった母親。ウエディングドレスを何度も着るほど、幸せな結婚への憧れも強そうな彼女が、反面教師にしようと思ったのも無理はない。

 とはいえ、彼女も二度の離婚を経験。今回の出産についても、父親である男性と入籍しないなら、シングルマザーとして子育てをしていくことになる。

 ちなみに、現在、彼女は都内の豪邸に母親と住んでいるという。前出のラジオの頃は距離を置いていたようだが、今は極めて仲がいいらしい。そこには結局、似た人生を歩みつつあることの親近感が作用しているのかもしれない。

 いずれにせよ、浜崎は自由に憧れ、仕事に恋に葛藤を繰り返し、それを歌に反映させることでスターになった。そして、役の上で出産した17歳のときから24年後に、実人生でも母親となったわけだ。妊娠中も、また、出産直後にもライブを行なったことが話題になったが、タフな母親ぶりはまさにこれまでの葛藤によって培われたものだといえる。

 美しさだけでなく、強さをアピールしたことで、彼女はファンに支持される新たな拠りどころを得た。その姿は同世代の女性たちに、勇気や希望を与えるものでもあるだろう。


●宝泉薫(ほうせん・かおる)/1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など。