TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。今回は、元ピチカート・ファイヴの野宮真貴さんについて。



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 東京オリンピックを目前にして渋谷再開発がめざましい。東京メトロ銀座線の渋谷駅も81年ぶりに生まれ変わった。渋谷スクランブルスクエア、渋谷フクラス、渋谷ソラスタの一群を見上げれば、渋谷ヒカリエと渋谷ストリームと並んで、空中都市のイメージだ。

 渋谷パルコも昨年11月にリニューアルした。パルコといえば渋谷カルチャーの代名詞で、公園通りやオルガン坂などのストリート名が話題になったが、スペイン坂には僕の勤めるラジオ局のサテライトスタジオがあった。93年にオープンしたTOKYO FM渋谷スペイン坂スタジオは毎日旬なゲストが登場し、整理券を手にファンが朝から長い列を作って東京の名所になり、全国から修学旅行で訪れる中・高校生も多かった。

「渋谷系」という音楽ムーブメントも生まれた。バート・バカラックやロジャー・ニコルズ、クロディーヌ・ロンジェといった60年代のポップミュージックを掘り起こし、渋谷という最先端の街で展開した音楽ムーブメントだった。

 元講談社社員で、公園通りのカフェ・アプレミディのオーナー、橋本徹君はそのトレンドを牽引、僕と番組「ジェットストリーム」の名前を冠したコンピレーションアルバムを作ったりした。選曲は橋本君、ライナーノーツは僕という具合に。

 小沢健二と小山田圭吾のフリッパーズ・ギターと並んで渋谷系の双璧だったピチカート・ファイヴの小西康陽さんはTOKYO FMで自らの番組を持ち(「レディメイドFM」)、世界ツアーで収集してきたレアなレコードを毎週紹介してくれた。

 ♪見えるラジオ TOKYO FM、TOKYO FM♪

 このジングルは一日に何十回もオンエアされたから聴き覚えのある方もいるだろう。小西さんには局のステーションジングルもお願いした。そんなわけでボーカリストの野宮真貴さんの伸びやかで屈託ない声は「渋谷系」の象徴になった。

 野宮さんのライブと言えば、東京ではビルボードライブである。「おしゃれをしても行く場所がないという悩みもあるので、私のビルボードライブは絶好の場所」(野宮真貴)

「20世紀のピチカート・ファイヴの名曲を、21世紀のスタンダードナンバーとして唄う」というコンセプトで、四角いツバの帽子、オレンジのツーピースミニ、白い手袋、ファー付きラメのハイヒールで登場、「勝手にしやがれ」風60‌’sファッションで往年の名曲を次々に披露した。

 ♪午前10時すこし過ぎ/バスタブにひとりぼっち/まだきょうは何ひとつ/予定はないけど……きみみたいにきれいな女の子が/どうして泣いてるの♪(「きみみたいにきれいな女の子」)

 ♪とても悲しい歌が出来た/今朝 目を醒ましたときに/あんまり悲しい歌だから/きみに聴かせたくないけど……ごめんね/ぼくはきみのこと/あんなに愛してたのに♪(「悲しい歌」)

 流れゆく人生と切ない都会の恋。恋愛映画をイメージさせる数々のナンバーを織り交ぜながら、終盤、バックのカーテンがするすると開いて東京の夜景がパッと現れ、「東京は夜の七時」で会場は総立ちになった。この曲のリリースは27年前、93年12月である。野宮真貴の歌声に歓声をあげる聴衆の脳裏には、あの頃の渋谷とその界隈を歩く恋人たちの風景が浮かんだ。

※週刊朝日  2020年2月7日号