9月27日に急逝した女優の竹内結子さん。平成を代表する女優の一人の突然の旅立ちは、多くの人々の心に“ロス”を引き起こしている。同年代の主婦はこう話す。



「私にとって、竹内さんは木村拓哉さんと共演したドラマ『プライド』(2004年、フジテレビ系)のヒロインなんです。恋多き女を演じて好きでした。亡くなったと知ってショックです」

 いまだ、多くの謎を残す今回の悲劇について、親族や、竹内さんの家族をよく知る人物、竹内さんが亡くなる前に足を運んだ飲食店関係者が語った。

 竹内さんが少女時代を過ごしたのは埼玉県さいたま市だった。竹内さんの母親が眠る市内のお墓には、親族がたむけたとみられるたくさんの菊の花が生けてあり、墓石には、竹内さんの母親が病気で亡くなった日付「平成6年6月、40歳」と刻まれているという。奇しくも、竹内さんも母親と同じ40歳で旅立ってしまった。

 竹内さんの母方の祖母の行きつけだった、さいたま市内の寿司店の女将はこう話した。

「うちの店に、結子さんのおばあちゃんはしょっちゅう来ていましたよ。寿司がお好きでね。もう20年来の常連です。結子さんのお父さんやお姉さんも、おみえになっていますよ」

 祖母は元教員で、かつて住んでいた一軒家の近くには教え子たちも多数いる。祖母は竹内さんが女優になったことをことのほか喜んでいた。

「結子さんがまだ女優デビューしたての頃、おばあちゃんの家の玄関には結子さんのカレンダーサイズのポスターが貼ってありました。孫娘が女優になったことをとても自慢だったようです」(近所の主婦)

 竹内さんは小学校時代、スポーツに熱中した。竹内さんの母親の親友だった家ではこう話す。

「結子ちゃんは小学生の頃、ミニバスケットボールをやっていてね。うちの娘も同い歳なので、学校対抗の試合で結子ちゃんに会ったと言っていました」

 中学2年生の時に竹内さんの母親が亡くなった翌年に父親が再婚したことなどから、竹内さんが家庭に対して複雑な思いを抱いていたともいわれている。ただ、前出の寿司屋の女将の話からは、家族仲の良さや、祖母の孫娘への強い愛情が伝わってくる。女将はこう続ける。

「結子さんが小さい頃は、おばあちゃんも積極的に子育てを手伝っていたみたい。結子さんは母親の眠るお墓参りにも来ていたみたいですよ。おばあちゃんは幸せそうでしたね。自分でも、結子さんが出演するテレビドラマや映画をよく見ていて、私たちにも『孫娘が出演するドラマや映画を見に行って下さい』と宣伝をしていましたね」

 竹内さんは今年1月、再婚した俳優の中林大樹さんとの間に第2子となる次男を出産したばかり。竹内さんは亡くなる2週間ほど前、夫の中林さんと都内の飲食店を訪れていた。この飲食店関係者がこう話す。

「結子さんは子供を預けて、旦那さんと2人でいらしていました。うちの店では、鯛のかぶと煮と海老の天ぷらなどを夫婦で分け合って食べていました。結子さんはビールや日本酒をお飲みになって、最後に注文したアルコールは緑茶ハイ。夫婦でお飲みになっていましたよ。お2人の会話の内容までは聞こえませんでしたが、旦那さんとは仲睦まじい様子でした。今思えば、笑顔があまりなかったのが少し気にかかりますが……」

 さいたま市内に住む、竹内さんの親族は、言葉少なに次のように話した。

──昨年暮れ、臨月の竹内さんや姉、祖母(母方の)と親族が一同に会す機会があったそうですが?

「そうなんです。結子はふつうに元気だったんですが……」

──複雑な家庭環境に育ったことが影響したのではないか、とも報じられています。

「いや、そんなおおげさなものではないし、全然、苦しんでいませんでした。辛そうな表情も全然なかった」

──それでは何故……?

「それは私たちも知りたい。誰にも、わからないんです」

 前出の寿司屋の女将はこう話した。

「少女時代の家庭環境が原因とは思えない。むしろ、俳優の三浦春馬さんや芦名星さんのことが影響したのではないでしょうか。90歳を超えたおばあちゃんがどんなに悲しんでいるかと思うと不憫です」

 竹内さんの残した作品は永遠に愛されることだろう。ご冥福をお祈り申し上げます。

(本誌・上田耕司)

※週刊朝日オンライン限定記事

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