50年に及ぶ格闘人生を終え、ようやく手にした「何もしない毎日」に喜んでいたのも束の間、突然患った大病を乗り越えてカムバックした天龍源一郎さん。2月2日に迎えた70歳という節目の年に、いま天龍さんが伝えたいことは? 今回は「年末年始」をテーマに、飄々と明るくつれづれに語ります。



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 相撲部屋に入門する前、福井の実家での年末年始の思い出は、暮れになると親父とお袋が餅をついていたことだね。親父は頑丈な人だったから一人で何俵分も餅をついていて、おふくろの合いの手がかみ合わないと怒鳴ったりしてね(笑)。正月はその餅と余ったクリスマスケーキを食べながら、テレビを見てのんびり過ごしたもんだ。冬は雪がすごかったから、どこかに出かけることもあまりなかった。今思うとあれが農家の一家団欒だったんだね。

 そういえば、俺が子どもの頃は2月の旧正月も祝っていたよ。1月に正月を終えたはずなのに、2月になってもまた「あけましておめでとう」と言われるもんだから、子どもの俺はずいぶん混乱したもんだ。今では実家の方でも旧正月はやっていないんじゃないかな。俺自身もやらないし、親父たちが旧正月を祝う最後の世代だったのかもね。

 相撲部屋では12月30日まで稽古をして、31日は大掃除。年が明けると午前中は番付が上の力士から風呂に入って、昼から親方の前に並んで挨拶して、皇居に向かって一礼してから、親方からの訓示がある。それからは正月料理が並んでいるところで宴が始まるという感じだったね。

 部屋の若い衆は親方や付け人をしている関取からお年玉をもらう。十両に上がって付け人ができるとあげる側になるのが通例だったね。いい関取に付くとスポンサーも多いし、実入りもいいからお年玉もはずんでもらって、若い衆も潤うんだ。俺の時は横綱の大鵬関が若い衆全員に配っていたね。大鵬関は正月になるとスポンサーから声がかかって、あちこちのお座敷に呼ばれて大忙しだ。夜になって部屋に帰ってきて着替えを手伝っていると、懐や帯の間から祝儀袋がバタバタと落ちてくる(笑)。いろんなスポンサーからご祝儀をもらうからね。拾って集めたら本2冊分くらいの厚さがあったよ。

 天龍源一郎は悲しいかな、スポンサーがいなかった。この性格でスポンサーにいい顔できないから無理もないんだが……。だからお座敷に呼ばれることも少なかった。上の力士はスポンサーに呼ばれると部屋の夕飯を食べずに出かけるけど、俺は番付が上がってもほとんど部屋で食べていた。若い衆は「天龍関、また出かけないで飯食ってるよ」なんて思われているんじゃないかと、ちょっと決まりが悪い思いもしたよ(笑)。

 そんな相撲部屋のしきたりとは逆で、プロレス時代は後輩にお年玉をあげるという風習は無いんだ。相撲からプロレスに転向して何年か経ったころ、全日本プロレスの連中が、正月にジャイアント馬場さんの家に挨拶に行ったことがないと聞いた。相撲は親方や関取の家に挨拶に行くのが当たり前だったから、俺とグレート小鹿さんが音頭を取って、全日本プロレスの幹部や上のレスラーたちを誘って馬場さんの家に挨拶に行ったんだ。

 みんなが揃って挨拶に来るなんて初めてのことだから馬場さんも喜んで歓迎してくれてね。みんなでわいわい飲んでいたんだけど、そのうち俺たちも酔っぱらってきて、ダッシュボードに大切に飾っていた高い酒を勝手に引っ張り出して飲み始めた。そうしたら馬場さんが怒って「お前ら、二度と来るな!」って追い返されたよ。正月の馬場さんの家への挨拶はその一回きり(笑)。あのときは大熊元司さん、小鹿さん、ロッキー羽田と酒癖の悪いやつらが揃っていたからなぁ。確かジャンボ鶴田もいたっけ(笑)。

 馬場さんはいくら無礼講といっても、ハメを外して礼儀や所作をおろそかにすると怒る人だったから。逆にアントニオ猪木さんは、無礼講となったらどこまでやってもいいという人で、こういった面でも好対照だったんだね。

 独身だった頃はいい加減に年末年始を過ごしていたけど、結婚してからは女房が正月行事や神事をとても大切にするほうで、新年をちゃんと迎えるようになった。嶋田家の正月は女房が中心になって仕切って、そこに俺の意見を入れてできあがっていったもの。とはいえ、現役時代は女房が神棚を飾ったり、3階の窓の外側を身を乗り出して拭いたりする姿を、俺は「大丈夫か〜」なんて言いながら眺めているだけだったけど(笑)。

 というのも、全日本プロレス時代の12月は世界最強タッグ決定リーグ戦を戦っているし、年始は1月2日から試合があって、WARのときは1月4日の新日本プロレスの東京ドーム大会に参戦していたから、年末年始はからだ作りを優先させなきゃいけない。新日本プロレスの東京ドーム大会が終わって、そのファイトマネーがバーンと振り込まれてようやく、年が明けたことを実感するんだ(笑)。お父ちゃんが出稼ぎで稼いで帰ってきた気分だね。

 現役を引退してからは、嶋田家の大みそか定番のうどんすきをみんなで食べて、俺は年が明ける前に寝ちゃう。午前3時くらいに一度起きて「あけましておめでとう」と言ったら、また朝まで寝る(笑)。元日は午前中に起きて、新しい箸袋に家族の名前を書くのが俺の役割。これも女房が決めたことだ。そうしたらおとそを飲んで、家族の健康を祈って、俺から家族に一言あって、というのがいつもの正月だね。

 嶋田家のお雑煮は女房の両親が九州出身なので、十数種類の具が入った筑前煮のような汁に濃い目の醤油味。本来はスルメを入れるんだけど、俺が「生臭くて嫌だ」って言ったもんだから入らなくなった(苦笑)。不思議なことに歳重ねると、昔はあまり好きじゃなかったお雑煮が好きになってくるんだよ。あとは、鍋の締めの餅。この餅はポン酢で食べるのがいいね。

 今は普段通りの正月を迎えられると安堵するよ。1月2日から試合することもないから、まったりしている。これが何年かしたら、やることがなくなって変に焦るかもしれないけど、それまではゆっくり過ごすことにするよ。

(構成・高橋ダイスケ)

天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす。