2020年が終わる。当たり前だが、40年前は1980年で、その年にデビューした人は今年が40周年だ。



 じつは歌謡界において、80年は節目の年。大物アイドルが次々とデビューした。松田聖子に田原俊彦、近藤真彦、河合奈保子、柏原芳恵(デビュー時はよしえ)、三原じゅん子(デビュー時は順子)といった面々だ。

 また、田原のデビュー曲「哀愁でいと」のB面は田原、近藤、野村義男による「君に贈る言葉」。たのきんトリオが顔をそろえている。そして、聖子、奈保子、じゅん子による「MMKトリオ」を結成させようという動きもあった。この流れは、70年代における新御三家・中3トリオの構図を予感させたものだ。

 現実はその通りにはならなかったものの、この豊作は70年代をも超えるアイドルブームをもたらした。特に聖子、田原、近藤は数年間にわたって、オリコンの1位をとり続けていく。なかでも最も派手なデビューを飾ったのが、近藤だ。そこには、今年亡くなった希代のヒットメーカー・筒美京平の存在があった。

 のちに、筒美はこう振り返っている。

「もうトシちゃんは売れてたわけだし、売れるのがわかってるタレントだったからね。すごくプレッシャーがあった。(略)とにかく売れなくちゃ困るっていうから、売れるようなメロディーしか入ってないんじゃないかな」(「筒美京平ヒットストーリー」榊ひろと)

 じつは当時、近藤には田原の1.5倍のファンレターが来ていたという。そして、近藤のデビュー曲「スニーカーぶる〜す」は「哀愁でいと」の約1.5倍を売り上げ、ミリオンセラーとなった。

 田原を上回る近藤の成功は、ジャニーズ事務所にとっても大きく、ここから帝国化が始まる。というのも、70年代後半、この事務所は郷ひろみの移籍やフォーリーブスの解散により斜陽化しつつあったからだ。

 筒美はその後、田原も手がけたし、少年隊のデビュー曲も書いた。また「スニーカーぶる〜す」を編曲した馬飼野康二は、筒美の役割を継承するように、男闘呼組やSMAP、嵐、NEWS、Sexy Zoneといった10組近いグループのデビュー曲を作曲。ジャニーズで歌い継がれる「勇気100%」(オリジナルは光GENJI)も彼の作曲だ。

 とまあ、ジャニーズにおいて近藤の貢献は大きく、それゆえに厚遇もされてきたわけだが――。「スニーカーぶる〜す」の発売からちょうど40年という12月、彼はじつに寒い状況に置かれている。不倫騒動により、芸能活動を無期限自粛。40周年記念で出演するはずだった歌番組もキャンセルすることになってしまった。

 かと思えば、田原にもさびしいニュースが。唯一の地上波レギュラーである「爆報!THEフライデー」(TBS系)の来春終了が報じられたのだ。ジャニーズから独立後、くすぶっていた彼にとってこの番組は貴重だった。彼のファンだった爆笑問題が「スペシャルゲストMC」として彼を立てる構図は、それなりに大物感をかもしだし、健在ぶりを示せていたからだ。

 ライブでのパフォーマンスが一部で評価されているとはいえ、またテレビで見られなくなってしまうのだろうか。

 とはいえ、ほかの40周年アイドルたちもほとんどが似たり寄ったりだ。

 河合奈保子は引退状態で海外暮らしだし、柏原芳恵が今年報じられたニュースは「事実婚の22才年上夫が白血病患い献身介護の日々」(女性セブン)というもの。これによると、彼女は不倫の末に結ばれた香港の監督兼俳優の世話をするため、芸能活動どころではないようだ。34年前には当時の皇太子殿下(現・天皇陛下)がコンサートを訪れ、バラを贈られるという栄誉にも浴したが、ロイヤルアイドルの「春」は厳しいものになっている。

 そんなふたりに比べれば、政治家になった三原じゅん子のほうが目立っていたりもする。ただ、40周年アイドルの出世頭、聖子は健在だ。9月には「関ジャム 完全燃SHOW」(テレビ朝日系)などで特集が組まれるなど、女王的ポジションにとどまっており、その意味はなかなか大きい。

 というのも、彼女はただのアイドルではなく、時代を象徴するスターだからだ。その健在は、彼女がもたらした時代の空気感が今も継続していること、つまり40年前と今とがわりとつながっていることの証しでもある。

 どういうことかというと――。80年には、聖子と入れ替わるようにひとりのスターが引退した。山口百恵だ。

 百恵は貧しく複雑な生い立ちといい、自立志向の生き方を歌いながら結婚して家庭に入った決断といい、70年代までの日本で支持されそうな物語を体現していた。その点、聖子は対照的で、戦後日本が抱えていた重さや暗さからも自由に見え、だからこそ、80年代を牽引するスターになれた。要は時代の空気が変わり、世の価値観も変わったことを誰よりも体現していたのだ。

 そして、彼女が示した軽さや明るさは、今の日本でも好まれている。また、彼女が磨き上げたアイドルのパターンは「ブーム」から「文化」となり、彼女の代名詞だった「ぶりっこ」は「あざとかわいい」に進化した。

 80年が「節目の年」だというのは、そういうことでもある。歌謡界のみならず、日本女性、さらには日本そのものの節目だったようにも思われるのだ。

 しかも、この年には海外でも、ひとりのスターが消えた。ファンによって射殺されたジョン・レノンだ。

 なかには「ロックの死」だと言う人までいて、実際、これはラブ&ピースに象徴される、音楽で世界を変えられる的な幻想の終わりでもあったのだろう。そのかわり、音楽にも多様性の時代がやってくる。そのひとつが、日本のYMO(78年デビュー)も貢献したテクノミュージックの流行だ。80年は、日本のテクノブームが最盛期を迎えた年でもあった。

 そんな多様性のなかには、ファッション志向というものも含まれる。それをわかりやすくとりいれたのが、シャネルズ(のち、ラッツ&スター)だった。白人が作った高級ブランドの名をグループ名に入れつつ、顔を黒塗りにして黒人音楽へのリスペクトを示すという、斬新かつ大胆な発想。この年、アイドルに押されがちだったニューミュージックにおいて、彼らはデビューからヒットを連発した。

 そんなグループを鈴木雅之とともに作ったのが、田代まさしである。その後、コメディアンとしても成功したが、周知の通り、2000年以降、クスリなどで何度も逮捕され、最近は見る影もない。

 しかも、彼の40周年には悲しい別れが待っていた。お笑いにおける師匠、志村けんの死だ。

「志村さんより僕が逝くべきだったと思いました 。志村さんは今のこの世の中に笑いを届けるために必要な人でした。(略)いつかあの世でまた一緒にコントをさせていただけたらうれしいです」

 自身の動画チャンネルに発表された、追悼コメントである。

 なお、志村は80年の時点ですでに人気者だったが、彼が所属するドリフターズは別の熱狂によって影がかすみつつあった。漫才ブームだ。いまでいうところのネタ番組「THE MANZAI」(フジテレビ系)がスタート。ツービートの毒ガス漫才や紳助・竜介のツッパリ漫才は、歌謡界における聖子同様、新たな空気や価値観を体現していた。

 このブームから「笑ってる場合ですよ!」(フジテレビ系)が生まれ、この枠は2年後「笑っていいとも!」になる。また、81年には「オレたちひょうきん族」がスタート。「楽しくなければテレビじゃない」というキャッチコピーを掲げたフジテレビを中心に、お笑い革命が進行していく。80年はその幕開けの年でもあったわけだ。

 さらに、アニメの世界では、ガンダムブームに火がついた。ロボットアニメの金字塔「機動戦士ガンダム」(テレビ朝日系)は79年に始まったが、数字がとれず、80年1月に途中で打ち切り。ところが、そのあたりから人気が高まり、プラモデルなどもどんどん売れ始めた。そこで映画化が決定。翌年以降、映画と再放送により、揺るぎないヒット作となる。

 そんな80年には、のちのアイドル声優もデビューしている。日高のり子だ。じつをいえば、この原稿を書こうと思ったのも、彼女が40周年であることに気づいたからだ。そのきっかけは、12月1日放送の「あさイチ」(NHK総合)。ナレーション担当の日高について「今日、デビュー40周年だそうですね」という視聴者のお便りが紹介された。

 すると、彼女はテレくさそうに「そうなんです」と答え「40年もこうやってお仕事できるなんて思ってなかったんですけど」と語った。実際、アイドルとしてデビューしたもののパッとせず、引退も考えながら4年後、声優に挑戦。85年にアニメ「タッチ」(フジテレビ系)の浅倉南という当たり役にめぐりあえたことで、芸能界に居場所をようやく得たのである。

 博多華丸に「今でもまだ甲子園に連れてってほしいですか」と「タッチ」ネタを振られた彼女は、

「もう、ずーっと甲子園は、連れてってほしいです!」

 と、今も変わらない「南ちゃんボイス」を披露した。ちなみに「タッチ」の同名主題歌を歌った岩崎良美も、デビューは80年。聖子とは堀越高校の同級生でもある。姉・宏美にもひけをとらないポップスセンスは、もっと評価されていい人だ。

 とまあ、1980年は明るく軽くかわいく楽しい日本が始まった年ともいえる。そこから40年頑張ってきて、今年は記念イベントなども企画していたのに、あいにくのコロナ禍でままならなかった人もいたりする。せめてここで、声を大にしてたたえようではないか。

●宝泉薫(ほうせん・かおる)/1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など