「この耳栓、メチャクチャ(耳に)かけにくい」

 木野さん初のリモートインタビュー。イヤホンのことを“耳栓”と言い間違え、スタッフから「耳栓じゃなくイヤホンです、右と左が逆です」と注意される。

 舞台「月影花之丞大逆転」の稽古が終わったばかりで、「ちょっと待って。頭がまだ(役名の)花之丞で、取材中に無礼なことを言ってしまいそう」とあたふたしている。

 木野さんが、劇団☆新感線の劇団公演で月影花之丞を演じるのは、実に18年ぶりだ。新感線といえば、通常40人近くの俳優が出演し、スタッフを合わせると100人規模のカンパニーを誇ってきた。が、コロナ禍で密を避けるべく、「密にならない、短い上演時間で、新感線らしい作品」を考えたとき、1996年の初演、2003年の再演と爆発的なテンションで暴れまくった月影花之丞に白羽の矢がたった。

「激しい舞台だから、『もう体力的に無理かな』と諦めかけていたんですけど、今回、有り難いことにリベンジできることになったので、去年から、体力づくりをしてこの公演に備えていました」

 25年前に初めて新感線の舞台に立ったときは、演出のいのうえひでのりさんがつける段取りの多さにまずは恐れ慄き、「全ての段取りを、まるで自分が思いついたかのように自由にやり切りたい」という目標を掲げつつも、目標には遠く及ばない状態で本番を迎えた。

「それが7年後に再演することになり、『今度こそリベンジするぞ!』と意気込んだら、さらにバージョンアップしていて(苦笑)。歌や踊りのパートのみならず、立ち回りも増えていて、全く余裕のない命懸けの状態で楽日を迎えたような感じでした(苦笑)。今度こそ三度目の正直、という気持ちで稽古に臨んでおりますが、今のところまだ手も足も出ません。雪崩にのみ込まれて、遭難しそうな危ない稽古の日々を過ごしています」

 台本の花之丞は「年をとるに従い元気になっている」と語りながら、当の木野さんも、年をとってからのほうが自由になったと感じているらしい。

「20代、30代の頃のほうが、悶々としていたかもしれません。体力や若さに任せて遮二無二走っていただけで、精神的には暗中模索で、不安だらけだったと思います。自分がどこに向かっているのか、先行きどうなるのかさっぱりわからなかった」

 こういうふうになりたい。こんなところへ行きたい──。理想ばかりが先行するが、実際に起こることは、想像もしていなかったことばかり。

「今回のコロナもそうですが、自分が思い描く人生の計画なんていうのは、あっという間に崩れていきますよね。『こんなはずじゃない』と歯がゆく思う出来事が、何度も起こる。もし私の人生が計画どおりに進んでいたとしたら、この年で芝居はやっていなかったはずなんです。結婚して、子供を産んで、今頃は孫を相手に遊んであげているような年齢なのでは、って思うんだけれど、気がついたら、『あれ? まだ芝居やってるぞ』って(笑)。ビックリですよ」

 ある時期から、目標は細かく立てず、何かを目指すことをやめた。人生、なるようになる。ただ目の前のことを一生懸命やるだけだ。そう考えるようになってからは、到達できないことに対して失望したり、諦めたりすることがなくなった。

「何十年も芝居に関わっているんですけど、出会う役は、どれひとつとして同じものはない。一回一回、はじめての体験をさせてもらっているんです。だから、一回一回が勉強になる。その勉強が少しずつ積み重なって、昔できなかったことができるようになったりして。いくつになっても、自分が変わりたいと思いさえすれば成長できるんじゃないか。最近とみに実感してます。年はとっていくけれど、自分が望みさえすれば、学びの機会はすぐそばにあって、世界っていうのはどんどん広がっていくなあって。だから、芝居熱が終息していく気配はないですね」

(菊地陽子 構成/長沢明)

木野花(きの・はな)/1948年生まれ。青森県出身。弘前大学教育学部美術学科卒。大学卒業後、中学校の美術教師となるが、1年で退職、上京し演劇の世界へ。74年に東京演劇アンサンブル養成所時代の仲間5人と、女性だけの劇団「青い鳥」を結成。翌年に旗揚げ公演を行い、80年代の小劇場ブームの旗手的な存在になる。86年、同劇団を退団。現在は、女優・演出家として活躍中。

>>【後編/木野花「演劇を始めたのは勘。教師に戻れるかもと妄想していた」】へ続く

※週刊朝日  2021年2月19日号より抜粋