2月26日にYellow新感線「月影花之丞大逆転」が公演初日を迎える。劇団☆新感線で25年前と18年前の2回にわたり演じた木野花さんの当たり役・月影花之丞が、あえてのコロナ禍に復活。演劇でしかできないことを模索するその肉体と精神は、衰え知らずだ。「芝居熱が終息していく気配はない」と意気揚々と話していた木野さんだが、20代は暗中模索の日々だったと語る。

>>【前編/木野花の芝居熱が終息しない理由「変わりたいと思えば成長できる」】より続く

 悶々としていたという20代。大学卒業後に、美術教師をしていた時期もあるが、それについては、「自分をよく知らなかったんです。私は、傲慢にも、教師という仕事をやれる人間だと思っていた」と自嘲気味に振り返る。

「大学で美術を学んでいたときは、非常に社会性のない行動をとっていましたからね(笑)。絵を描きたいときに描き、酒を飲みたいときに飲み、授業をサボり、その日その日、好きなことをして暮らす。そういう性格が教師になってすぐ収まるはずないのに、『やれる』って思い込んでいた。で、やってみたら、案の定、全く適応できなかった。胃炎や偏頭痛に苦しめられて、這って学校に行くような有り様でした」

「このままでは、命を落とすような病気になるのでは?」と医者に相談すると、「これはストレスです。状況を改善させるには、環境を変えるしかない」と言われて、「あ、自分には教師は無理なんだ」と腑に落ちました。

「私は、『美術は楽しく描けばそれでいい!』といたって単純に考えて、全員に5点満点をあげてもいいじゃないか、と思っていた。でも、学校のルールは5段階評価。ときどき音楽を聴かせて、『このイメージを絵に描いてみて』なんて課題を出すと、『なんで美術室から歌が聞こえてくるんだ!』と注意される。『これ面白い』と思ってやることが、だいたい顰蹙(ひんしゅく)を買ってしまうんです(笑)」

 何よりつらかったのは、毎日毎日同じルートをたどって遅刻せずに学校に行くことだった。

「『今日はちょっとサボろう!』『天気がいいから山へ行こう!』とか、ありえないから、どんどん息苦しくなっていく。教師という仕事が向かないんじゃないかと、悩みながら授業をしていくのは、生徒に失礼だなと思ってしまいました」

 教師を辞めることについて、木野さんは、「諦める」という言葉を使った。

「演劇をやろうと思いついたのは勘です。そこは、自分を解放できる自由な場所だと嗅ぎつけたんだと思います。もうひとつは、美術はあくまで個人作業です。もっと人間に触れて、コミュニケーションをとって社会性を身につけようという魂胆もあった。人間として変われて、普通に人と接することができるようになったら、教師に戻れるかもしれない。そういう虫のいいことを妄想していましたね」

 ただ、最初の頃は舞台に立ってみても、「ここが自分の居場所だという実感はまったく起きませんでした。でもやるからにはとことんやってそれでダメなら諦めようと」。気がついたら劇団を旗揚げし、どんどん演劇へとのめり込んでいくうちに、劇団がだんだん評判になり、お客さんも増えていった。

「人と話し合って、ぶつかり合いながら完成していく芝居づくりに手応えを感じたのは、劇団を旗揚げし、自由に芝居を創るようになってからです。自分を解放できて、同時に変わっていく自分も面白かった。気がつくと、芝居で食べていくことができるようになっていて、もう美術教師に戻る気持ちは忘れていました」

 昔はあれほど苦手だった“ルーティーン”だが、5年前に股関節を痛めて手術をしてからは、毎日1時間くらいストレッチや筋トレをすることが習慣になった。

「リハビリの先生に教えていただいた動きと、整体の先生からのアドバイスをいろいろ組み合わせて、自己流で編み出したメニューがあって、それが、気持ちいいから続いているんだと思います。やらないと、体がもたつく気がするので、結局毎日やることになって。股関節を痛めたときは、『大変! この先どうなっちゃうんだろう?』ってずいぶん慌てましたけど、怪我の功名というか。結果としては痛い目に遭って良かった(笑)。前よりも体調が良くて、元気なんです」

 月影花之丞は、我が道を行くキャラクターだが、その無茶の具合は、18年前よりさらに激しくなっているという。

「舞台じゃないとできない、ってことがたくさん盛り込まれているので、お運びいただいた方は、まず単純に“演劇”を楽しめるんじゃないかと思います。私もやっていて大変だけど楽しい。その楽しさをお届けしたいと、日々励んでおります」

 ことあるごとに、“楽しい”を連発する73歳。それを見守る共演者もスタッフもまた十分に楽しそうだった。

(菊地陽子 構成/長沢明)

木野花(きの・はな)/1948年生まれ。青森県出身。弘前大学教育学部美術学科卒。大学卒業後、中学校の美術教師となるが、1年で退職、上京し演劇の世界へ。74年に東京演劇アンサンブル養成所時代の仲間5人と、女性だけの劇団「青い鳥」を結成。翌年に旗揚げ公演を行い、80年代の小劇場ブームの旗手的な存在になる。86年、同劇団を退団。現在は、女優・演出家として活躍中。

※週刊朝日  2021年2月19日号より抜粋