新型コロナウイルスが猛威をふるう中、感染拡大防止策を取って幕が上がった二月大歌舞伎(2月2〜27日)。第三部は「十七世中村勘三郎三十三回忌追善狂言」。襲名に並び大切な公演と言われる追善(*)は、中村屋にとってどんな意味があるのか。中村勘九郎と中村七之助兄弟に話を聞いた。



*追善:死者の冥福を祈るため遺族などが読経・斎会などの善事を行うこと(「広辞苑」から)。

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――十七世中村勘三郎は、立役から女方まで芸の広さで知られる。生涯で演じた役は800以上。ギネス世界記録にも登録されている。

勘九郎:中村屋にとって追善は「忘れない」ということです。祖父が勤めていた役、呼吸、技、踊り、というものを忘れない。そして、僕たちには十七代目勘三郎はこんなにすごい人だったんだということを、故人を知らない方たちにも伝える役目がある。祖父を知っている方は懐かしく、まぶたを閉じればまぶたの裏に在りし日の姿が浮かぶように、思い出していただけるのではないかと思います。

七之助:祖父は追善にすごくこだわりがありました。直接聞いていないのでもちろんわかりませんが、例えば「連獅子」を襲名で何カ月できるようにではなく、追善でできるようにと言っていたそうです。

勘九郎:祖父の遺言ですよね。祖父は父に「歌舞伎座で追善ができるような役者になっておくれ」とずっと言っていたそうです。祖父の三十三回忌は父が必ずやると僕たちは思っていたのでそれは残念ですが、僕たちが父の遺志、祖父の遺志を引き継いで、こういう大変な時期でも追善ができるのは、うれしく思います。

――今回選んだ演目は、十七世にゆかりのある「奥州安達原 袖萩祭文」と「連獅子」。前者は、源氏によって滅ぼされた奥州安倍一族の再興を志す貞任と宗任兄弟による復讐(ふくしゅう)劇を軸に、それにかかわる家族の悲劇が描かれる時代物。前半は目の見えない袖萩とその娘お君のけなげさが、後半は袖萩の夫・貞任の豪快さが見どころだ。

勘九郎:祖父は「奥州安達原」を通しでもやりましたが、今見ても素晴らしい。僕が11年前に浅草で演じたときは祖父と同じく、袖萩と貞任の二役を早替りで演じました。父にも、「奥州安達原」は平成中村座で通しをやりたいという夢があったんです。実現はしませんでしたが、袖萩は七之助にピッタリだし、今回は7歳の長三郎が、僕も七之助も演じていない娘お君で、僕が貞任を演じるので、追善にはふさわしい演目だと思いました。

七之助:祖父の映像を見て学び、祖父の袖萩を取り入れていますが、今回は初役ということもあり、福助のおじに教わりました。歌舞伎には「100回見た人より1回(役を)やった人に聞きなさい」という口伝があります。(役は)見ただけではわからない。父も歌右衛門のおじさまに「映像で見ても裾の中は見えないだろ」と言われたと言っていましたが、歌舞伎では「裾の中がどうなっているか見せてやるよ」ということを教わることがすごく大切なんです。

――「連獅子」は歌舞伎の代表的な作品であり、人気舞踊の一つ。中村屋にとっても十七世から十八世勘三郎が築き上げ、十八世から勘九郎・七之助兄弟へ繋(つな)がれてきた大切な演目だ。今回は勘九郎と長男の勘太郎が初の親子共演を果たし、芸を繋ぐ。勘太郎が9歳でひと月の公演で仔獅子を勤めるのは、最年少という。

勘九郎:中村屋の「連獅子」の特徴はまず祖父。十七代目中村勘三郎という人は、お客様に“魔法の粉”をかける魔法使いなんだと、父がよく言っていました。親獅子が仔獅子に見せる感情と、父親が息子に見せる愛情と、うまいバランスでお客様を惑わせる。それが祖父と父という親子で演じている感動を呼び覚まし、感動的な作品になった。化け物みたいな踊りの天才が親獅子、型の美しさを追求し続ける男が仔獅子で火の玉のように踊ったのだから伝説の舞台になりますよね。祖父が作り上げた連獅子が伝説になったから僕たちにも繋がった。

七之助:お兄さんが最初に仔獅子を踊ったのはいつでしたっけ?

勘九郎:10歳。お父さんがうれしそうだったね。でも、それからは地獄。父には仔獅子のプライドがあるので、「こんなのは俺が作り上げてきた仔獅子ではない!」ってまぁ怒られました(笑)。少しでも親獅子より先に動こうものなら目も見てくれない、手も触れてくれない。違う間で足は踏まれ、「何やってんだよっ!!」って口には出さなくても、本舞台のところから花道に向けた、あの目は忘れられない。どうですか、七之助さんは。

七之助:死ぬ思いでしたよ。10歳ごろでしょう。食事も食べられなくなって。つらいの一言ですね。それに、歌舞伎座は大きい。当時は歩幅も狭いから、舞台の定位置に行くまでも大変でした。今でもつらいのだから、当時はその倍はつらい。

勘九郎:そうだね。

七之助:お兄さんも勘太郎に対するお稽古は厳しいとは思うんです。でも父はその100倍は厳しかった。(前半の狂言師の二人が手獅子を持って踊る)前シテがダメだったら、目を見てくれない、手を握ってくれない、谷からはい上がってきても何も喜んでくれない。むしろ怒っている。(前シテが終わって)先に引っ込んで仔獅子の隈(くま)を取るんだけど、慣れてないから時間がかかる。父が引っ込んでくると、そこから地獄。父は隈を取るのが早いので横で死ぬほど怒られる。怒られたまま(獅子の精が乗り移った後半の)後シテが始まる……。幕が閉まっても次はダメ出し。これがまた大変なことになって、帰りのタクシーの中も地獄。

勘九郎:子どものころ、歌舞伎座からの帰りに車の中から見た景色は全部涙でにじんでます。

七之助:夜ご飯も地獄。翌日も学校へ行って帰ってきてまた地獄。それを繰り返してきたんですが、大人になってから僕たち二人で一致した意見がありましたね。今考えると、お客様のためはもちろんだけど、僕たちは父のために踊っていたんだってすごく思います。

勘九郎:連獅子だけではないですが、父はうまく踊れたときは本当にうれしい顔をしてくれるんです。だから全幅の信頼を寄せていました。

七之助:特に、連獅子は父が喜んでくれるために全身全霊をかけて踊った。その絆が知らぬ間に「連獅子」という演目に表れていたのではないかと思う。勘太郎もこれまで生きてきた中で一番大変だと思うけど、お父さんのためにお客様のために全身全霊をぶつけてほしいな。

■生の舞台と配信同時進行の時代

勘九郎:稽古と違って舞台に立つと愕然(がくぜん)とするんだよね。こんなにも体が動かなくなるのかって。

七之助:だからと言って、舞台では誰も助けられない。舞台は素晴らしいところだけど残酷なところもある。恥をかくのは自分だし。勘太郎もしんどいと思うけど、彼は頭もいいので考えて考えて1カ月で本当にいろんなことを吸収してくれると思う。もちろん長三郎も。

勘九郎:長三郎にはお母さんの袖萩のことを思って、愛して演じなさいと伝えています。気持ちが入っているのと入ってないのは全然違いますから。袖萩を愛していれば、あんなに小さい子どもが母親のことを介助していることがとても哀れに見えるのではないかな。

七之助:袖萩は目が見えない役だから、なかなか長三郎にこうしてと言えません。僕をリードしてくれる部分が多々あるし、役に集中しなくてはいけないのに舞台上でしなくてはいけないことがたくさんある。7歳でお君ちゃんを演じるのは、ある意味、難関中の難関。でも、二人ともこの1カ月ですごく成長すると思います。

――昨年は新型コロナウイルスの影響で中村屋は3月の「桜姫東文章」に続き、毎年行っている全国巡業がすべて中止に。これまでにない苦境を経験したが、5月下旬に緊急事態宣言が解除されると、7月に歌舞伎のライブ配信を開催。浅草から中村屋にゆかりのある、復活にふさわしい「お祭り」を届けた。

勘九郎:オンラインで生配信をすることで、歌舞伎を見たことがなかった方をはじめ、大変多くの方々に見ていただけたのはとても良かったことでした。お客様がチャットにリアルタイムでコメントをたくさん書き込んでくださったんですが、それって普段は芝居を見ているときの心の中の声じゃないですか。皆様の心の声を見ることができたというのは勉強になりますし、うれしいという気持ちになれました。

七之助:僕は最初、オンラインで生配信をやる意味がよくわからなかったんです。どうなるのか不安でした。幕が開いてもお客様はいませんし、反応ももちろんない。でも、公演が終わって家に帰ってから、当日のチャットの声を送ってもらったんです。僕はSNSもしていないので、チャットというものを知らなかったんですが、全部に目を通しました。泣きましたね。やって良かったなと思いました。コロナという状況で配信という形態が増えてきたわけですが、実際にやってみて、生の舞台と配信と同時進行でやる時代に来ているのかという思いがありました。

――コロナの収束が見えない中、今年の中村屋はどう進むのか。

勘九郎:国の方針や都の方針に従っていかなければなりませんが、お客様に楽しんでいただくことをいろいろ計画しています。ただ、このような状況なので……。

七之助:目標は持たないようにしているんです。

勘九郎:今月は祖父の追善を勘太郎、長三郎とともに一所懸命勤めます。十七世勘三郎は人間性も芸の上でも素晴らしい役者。僕たちも両方をつかんでいきたいと思いますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

(構成/ライター・坂口さゆり)

※週刊朝日  2021年2月19日号